波濤の世紀《とき》
木村長門
蛮社の獄
はじめに
幕末から明治維新にかけて、それは穏やかな時代から激動への時代への変革期であった。
のちに徳富蘇峰は「近世日本国民史」の中で、織田信長から明治西南の役までを描き、大佛次郎は「天皇の世紀」(病気休載のため未完成)の中で、黒船渡来から長岡戦争までを描いている。
幕末から明治初期に至るまでの約三十年間は外交交渉ともからみ波乱に満ちた激動の時代であった。徳川幕府が鎖国政策に入り外国との国交は長崎出島での和蘭とに限られ、国内は徳川による安定政権と国風の文化が発展したが、欧州諸国の大航海時代によるアジア進出で、その余波は日本にも及び出したのである。
日本は激動の時代を切り抜け近代国家としての歩みをスタートすることができたのだが、それは先人たちの努力があったからである。でもそこにも右往左往したり、挫折を繰り返して乗り越えてきたのであった。そんな時代のことを詳細に知りうることは、これまたこれからの日本にとって重要だからと思うからである。
東京大学名誉教授の宮地正人氏はその著「幕末維新変革史」の冒頭「はじめに」の中で次のように記している。
『幕末維新期を、非合理主義的・排多主義的攘夷主義から開明的開国主義への転向過程とする。多くの幕末維新通史にみられる歴史理論への正面からの批判である。この見解からは極めて容易に幕末維新期を「巨大な無意味な時代」とする評価が生まれてくる』
としている。変革があり得たものも多ければ、失ったものも多い、それを考えたら無意味な時代だったかも知れない。しかし、無意味なことも必要なのだろう。意外と自分たちのやっていることを分析すると、無意味なことをやっていることを後になって気づくこともある。
横浜市立大学名誉教授の加藤祐三氏は「幕末外交と開国」の中のあとがきの中で、
『黒船来航と日本開国について、日本には今なお次のような理解が広く存在している①無能な幕府が②強大なアメリカの軍事的圧力に屈し③極端な不平等条約を結んだとする説である。言い換えれば「幕府無能無策説」と「黒船の軍事的圧力説」の二つを理由として、そこから極端な「不平等条約」という結論を引きだそうとする単純な三段論法であり、そのためかえって根強い支持を得て、今日に至った。(中略)しかし、日本側の記録にとどまらず、日米双方の資料を丹念に読み、さらに英米競争の資料や中国情報、オランダ情報などを総合的に読むと、幕府無能無策説、アメリカ軍事圧力説、極端な不平等条約説という三段論法は、歴史の実像と大きくかけ離れていることがわかる』
としている。
東京大学名誉教授の坂野潤治氏は「日本近代史」(ちくま新書)の中で、
『「悪戦苦闘」の最大の原因は、外圧に刺激された「尊皇攘夷」論の台頭であった。ペリー来航(一八五三年)に象徴される欧米列強の軍事的圧力は、日本古来の伝統(「尊皇」)と二五〇年にわたるもう一つの伝統(「攘夷」)とを結びつけた。この二つの「伝統」が「水戸学」や吉田松陰などにより、「尊皇攘夷」という一つの「国是」に合体した時、日本に強固な原理主義が登場したのである。
他方、二五〇年余にわたる「鎖国」の中で一国平和主義に慣れ親しんできた日本は、世界有数の弱小国であり、欧米列強の開国要求をはねのける軍事力などは、あるはずもなかった。現実的な選択は、「開国」以外にはありえなかったのである。時の日本の支配者だった幕府には、「開国」を容認するしかなかった。幕府を支えて開国を容認する立場を当時の言葉で表現すれば、「佐幕開国」となる。
「尊皇攘夷」と「佐幕開国」の対立を克服することは、きわめて困難な課題であった。それは対外政策の基本的な対立であっただけではなく、「尊皇」とか「佐幕」とかいう国内政治体制の根本的な対立でもあったからである。一八五三年のペルー来航から六八年の明治維新までの一五年間の日本は、この二つの根本的対立の落としどころを求めて、悪戦苦闘しつづけたのである』
攘夷論、開国論と日本国内は議論渦巻く印象があるが、無能ではなく、今の政治に通ずるのらりくらりする体質があったとも言えるし、軍事的圧力に一方的に屈した訳でもない。今と同じ外交下手な日本の姿が見えるのかも知れない。
戦前、維新史研究の歴史学者である東京帝国大学文学博士の井野辺茂雄氏はその著書「維新前史の研究」の中「本書の目的」にて
「進取開国の思想は、江戸時代の泰平期に培養せられたものであるけれど、それが明治維新を招来する指導精神となり得たのは、全く海外諸国から受けた力強い刺激に基いている。もし此刺激が無かったならば、明治維新の歴史は、今日我々が取扱っている所と、異なった様式に於て、表現せられたに相違ない。従って我等の父祖が、如何に此刺激を感受したか、またそれが如何なる影響を、社会国家に及ぼしたかを明かにしてこそ、はじめて明治維新の意義が理解せられるであろう。此理解を欠いだならば、到底明治維新の真相を捕捉することが出来ない」
と記している。
私がこれから書こうとしているのは、何か。今それを結論づけることは出来ない。この変革期は僅か三〇年にも満たない。同じように大東亜戦争で国土が焼け野原になってから復興したのも二〇年も満たないのだ。この日本人の適応能力は如何なる所からくるものなのか。誰も端的にそれを語ることはできないだろう。
この歴史小説において、先人たちが日本のことを思うが故に為してきた数々の偉業足跡を振り返るのも、私も含め現在を生きている日本人がずっと日本のことを憂う為にも必要と感じ筆をとった次第である。
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