第10話 ワンピース姿の女性

 帰り道、望結を送るため、ターミナル駅へと向かっていた。

 俺たちは近すぎず離れすぎず絶妙な距離感を保ちながら横に並んで歩いていた。

 何故だか、今日は話が盛り上がらず、むずかゆい沈黙が何度も続いていた。


 その時だ、不意に俺の手と望結の手がぶつかった。


「あっ…ごめん…」

「ううん・・・私こそ…」


 お互いに謝った後、再び視線を逸らして、沈黙が訪れる。

 何とも言えないモヤモヤやドキドキ感が俺たちを覆っていた。


 そして、赤信号で立ち止まった時、俺はチラっと望結の下の方を確認して、意を決して望結の手を握った。


 望結は驚いたように俺の顔を見たが、恥ずかしかったので目が合わないようにひたすらに前を向いた。

 すると、望結もスっと手の力を抜いて、俺の手に合わせるように手をつないできた。


 特に会話をすることはなかったが、先ほどとは違う、甘酸っぱい空気感がある沈黙が流れていた。


 ターミナル駅に到着して、改札口の前に到着して望結の手を離した。望結は、ここからさらに30分ほど電車で行ったところに家があるので、そっちまで送って戻ってくると、日をまたいでしまうので、送るのは駅までと決めているのだ。俺はもう少し手を繋いでおきたかった気持ちをぐっと抑えて、にっこりと笑みを浮かべた。


「それじゃあ、また明日」

「うん、またね」


 望結も優しく微笑んで手をひらひらと振りながら改札口の方へと向かっていった。

 ホームへと続く階段を上っていき、望結の姿が見えなくなるまで見送った。姿が見えなくなった直後、寂しさや虚しさと言ったらいいのか、ターミナル駅に一人取り残されたような感覚に陥ってしまう。


 だが、気持ちをなんとか切り替えて、俺は近くの繁華街にあるラーメン屋へ向かうため、足を動かして歩き出す。ロッカールームで着替えている時に、稲穂たちからラーメンを食べようと誘われていたのだ。俺は、望結をしっかりと送り届けてから向かうと約束していたのだ。

 

 ラーメン屋がある通りに出ると、店の前で稲穂を含む数名のメンバーたちが、俺の到着を待っていた。俺が腕を大きく上に挙げて手を振ると、それに気づいた稲穂たちも手を振り返してきた。駆け足で稲穂たちの元へ向かい、開口一番に謝った。


「悪い、遅くなった」

「ちゃんと、送ってきたか?」

「あぁ、改札からホーム上るまではちゃんと送り届けたよ」

「ならよろしい」




 そんな会話をしつつ、ラーメン屋の入り口の前にある食券券売機の列に並んだ。

 今日は走り込みの練習だったので、みんなかなり腹を空かせているようで、何を頼もうかと悩んでいた。


 しばらくして俺たちの番が回ってきた。食券を購入しようと券売機に小銭を入れようとした時だった。


「キャァア!!!」



 耳がキーンとするような女性の叫び声が聞こえた。

 辺りを見渡すと、ラブホテルの入り口付近で男女が揉めているのが見えた。


「やめてください!!!」

「いいから、こっちにこい!」

「いやぁ!やめて!」


 男は、黒いスーツ姿に身を纏った強面の男と、赤いワンピースに身を纏った女性が揉めていた。だが、通行人たちは誰もその揉め事に見向きもしない。それもそのはず、ここは県内一の繁華街でもあり、県内一の裏世界のたまり場でもあるのだ。キャバクラや風俗店が密集しており、ラブホテルなども数多くあるので、酔っぱらったお客さんの接待などで変なことをされて、ああいう風にホテルの前で揉め事が起きているなんてことは日常茶飯事なのだ。

 また、ラブホテルの前で揉めてる人達などは、普通関わっちゃいけない系の人たちの可能性が大なのだ。なので、一般のサラリーマンたちも、問題にかかわりたくないため、揉め事にも助け船を出さないのだ。俺たちもほかの人たちと同じように、一瞬揉め事の様子を眺めたものの、すぐに目線を券売機へと戻してしまう。


「誰か!誰か助けてください!」

「いいから、大人しくしろ!」


 だが、どうやら男の方は、騒ぎ立てて欲しくないらしく、辺りを気にしながらキョロキョロと周りを見渡していた。どうにも挙動が怪しかった。

 普通、そういう系の兄ちゃんたちであるならば、力ずくでも引きずり込んでいってしまうのに、そういう感じにも見えなかった。


 俺は再びその男女に目を向けた、男がワンピース姿の女性の腕を引っ張っているが、周りをキョロキョロと見渡しているため、力が入らずに勝負が拮抗していた。

 すると、俺とその女性の目が合った。女性は必死に抵抗しながら訴えかけてきた。

「お願いします!!警察を呼んでください!!」

「なっ、待て待て」


 警察という言葉を出した瞬間、明らかに男の方がためらった。これはただ事ではないことがその時点で理解できた。

 俺が稲穂たちの方を見ると、同じことを思ったのか稲穂も俺の方を向いていた。そして、顔を合わせて頷き合うと、その男女の元へ駆け出した。

 首から下げていた鞄を手に持って、武器代わりにしてその男に向けて振り回した。


「おりゃ!!」

「どわっ、てーなぁ!何しやがる!」


 その間に、男から解放された女性の元へ駆け寄り、俺は女性の腕を優しく掴んだ。


「こっち」

「えっ!?」


 女性は驚いた表情をしていたが、俺が手を引かれるがままについてくる。


「あ、おい!待てこらぁ!!」


 稲穂たちを始め3、4人で男を取り押さえて、俺たちが逃げていくのを手助けしてくれた。そして、俺たちは角を曲がってしばらく繁華街の外れの方まで突き進んだ。


 しばらく走って後ろを振り返った。男は追ってきてはいなかった。


 俺は「ふぅ」っと息を吐いて胸を撫でおろした。



「あ…あのぉ…」


 すると、手を引いてきた女性が心配そうに俺を見つめてきていた。


「あっ!ごめんなさい」


 俺は掴んでいた手を咄嗟に離して女性に向き直った。真っ赤なワンピースに身を纏い、前髪をピン留めをして分け目を作り、後ろでサイドアップに結んでいる艶やかな髪に、赤縁眼鏡の中から見える茶色かかった綺麗な瞳は吸い寄せられそうなほど透明感があった。

 そして、小顔の可愛らしさに引けを取らないワンピース越しからわかるその溢れんばかりの胸!この辺りでは見ないほどのその巨乳に思わず目を奪われてしまう。さらには、ワンピースから伸びるスラっとした長い脚。どこぞやの女優やモデルさんと間違われてもおかしくない美貌を持ち合わせていた。


「あの…その・・・ありがとうございました」


 すると突然、ワンピース姿の女性が深々と頭を下げてお礼を言ってきた。


「いやいや、いいですって別に、困ってたようなので助けただけなんで」

「でも、今頃あなた方に助けられていなかったら、私はどうなっていたことやら…本当に感謝しきれません」

「そんなにいいですって、お願いですから顔を上げてください」


 俺が促すと、彼女は顔をゆっくりと上げた。彼女の目にはいまにも涙が顔を伝って流れ出そうになっていた。


「使いますか?」


 俺は咄嗟に自分が持っていたハンカチをポケットから取り出して彼女に手渡す。


「ありがとう」


 彼女は手渡したハンカチを受け取ると、そのハンカチで顔に流れ出た涙を拭いた。

 そして、涙を拭って真っ直ぐに見つめた。その真剣な表情が俺に向けられた瞬間、どこかで見覚えのある感覚にとらわれた。


「えっと、申し遅れてごめんなさい。私、『広瀬智亜ひろせちあ』といいます」

「広瀬さんですね。僕は、天馬青谷といいます。このあたりに住んでる学生っす」


 広瀬さんから自己紹介をされたので、俺も名前を名乗った。


「うん、制服見て何となくわかった。山中学園の学生さんでしょ?」

「えっ?制服見てわかるんですか!?」

「私、そこの卒業生なの、去年卒業したから、1年だけ被ってたのかもね」


 まさかの学校のOGだったとは、世間は狭いものである。


「それで…どうしてあの男の人と揉めてたんですか?」

「それは…」


 俺が本題へ話を切り出すと、広瀬さんはそこで言葉を詰まらせた。言いにくいことなのであろう。もしかしたら、やはり裏業界のお仕事的なのをしている関係の人だったのだろうか…


「いや、言えないことなら言わなくても別に…」

「いやっ!聞いてほしいの…」


 その女性は強い口調でそう言うと、顔を再び上げて意を決したように何かを覚悟した表情をしていた。次の瞬間、鏡を外して、結んでいたサイドテールの髪を解いた。

 そして、彼女は俺のことをじぃっと見つめながら尋ねてきた。


「私のこと…見たことないかな??」


 そのトロンとした表情を目に焼き付けて、記憶の中から探し出す。すると、とある人物が俺の頭の中でヒットした。それはまさに俺が記憶している中では最高の逸材といえる孤高の存在だった。


渡良瀬わたらせ・・・あゆむ・・・?」


 俺が驚いたように乾いた声で言葉を発すると、その彼女はニコっと微笑んで頷いた。


「うん、正解。始めまして、広瀬智亜こと渡良瀬歩です。アダルト女優やってます。というか、やってました」


 この時、俺は人生で運をすべて使い果たしてしまうのではないかというめぐり合わせに出会ってしまった。そんな気持ちになって渡良瀬歩の姿をただただ見つめることしかできなかった。

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