How to 人生

ミネムラコーヒー

マッサージの痛みに耐える

 人生にはマッサージの痛みに耐えなければならない時がある。タイの百貨店内にあるやや高級げなマッサージ店、90分コース。


 そもそも苦手なら行かなければよいじゃないか。そういう甘い考えのあなたにこそ読んでおいてほしい。人生にはマッサージの痛みに耐えなければならない時があるのだから。


 ◆


 足を洗われるところからマッサージは始まる。心地よい体験だがこれから始まるのは苦痛の波だ。流血以外のあらゆる要素を覚悟する。足の裏をグッと押される。骨の隙間をグリグリとせめられる。肉の薄いところを執拗にこすられる。


 第一に大事なことはこれらを直視しないことだ。天井を見るぐらいなら最初から目を閉じておく。目を開けるのは姿勢の変更を求められるときだけ。痛みは五感で構成されている。見えている光景は痛みと無関係ではない。むしろ重要な要素だ。


 小さい頃、自転車で転んだことがある。痛かったがなんとかなると思った。しかし目を開けてぱっくりと赤く開いた傷口を見たとき、幼いぼくは耐えられなくなって泣き出した。以来、自分を襲う肉体的な痛みからは必ず目をそらしている。健康診断の注射なども必ず針先、吸い出される血から目をそらす。


 マッサージの最中はずっと目を閉じていなければならない。目を開けていいのは異動や姿勢の変更を求められたときだけだ。痛みの正体が気になっても消して目を開けてはいけない。アクション映画のヒーローは常に襲いくる敵の攻撃を見極めてかわし、防がなければならないが、マッサージは痛みの正体を見極めたところで回避も防御もできない。見ても痛みが増すだけだ。絶対に目を開けてはいけない。


 途中、薄いなにかでかかとを削られるような感覚があった。何が起こっているんだ。少なくとも人の手ではない。木の板か?それとも刃か?わからない。気になる。しかし絶対に目を開けてはいけない。だからあれがなんだったのか、ぼくは知らない。


 次のポイントは呼吸だ。ゆっくりと、鼻から息を吸って、ふぅーと口から息を吐く。その息を吐くとき、全身の筋肉をゆっくりと弛緩させる。そうやって身体をリラックスさせて、痛みを受け入れる。筋肉をこわばらせて抗ってはいけない。作用と反作用を意識する。こちらが抵抗すればそれだけマッサージの手も強まる。そうなった先では負けるしかない。


 この呼吸は本で学んだ借り物で、ロシアのシステマにおける呼吸法だ。鼻から息を吸う時に筋肉をこわばらせ、ゆっくりと口から息を吐きながら弛緩させる。多くの場合、人は必要以上に身体をこわばらせて生きている。排気量の大きな口で息を吐き、意識的に弛緩させることでこれをコントロールする。特にその本はバイブルでもないし、日頃から気にしているわけでもないが、呼吸法で痛みに耐える描写を思い出して以来使っている。


 しかし本当に痛いとき、呼吸法はままならない。グッと押しこむような種類は耐えやすいが、骨の近辺をグリグリとやられているときは思わず息を止めて耐えたくなる。苦悶の表情を浮かべそうになる。ここで苦痛に顔を歪めてはいけない。逆だ。口角を上げて笑顔を作る。強制的に副交感神経をアレして、ナントカミンを放出することで痛みをおさえる。そういう理論をでっち上げ、信じ込み、実践する。なりふり構ってはいられない。


 足のマッサージをひとしきり終えると、マッサージ師のおばちゃんがぼくの腕をとった。腕の付け根にすべての体重をのせられているようだ。痛い。しかし絶対に目を開けてはいけないのでこれは想像。痛い。痛い。極限の苦痛の中で新しいメソッドが生まれる。


 いまぼくの腕の付け根を押しているのはだ。黄色いフカフカの身体に赤い服を着たくまのプーさん。ぼくとプーは仲のいい友だち。子供の頃はいつも一緒だったが最近はたまにしか会うことはない。プーは久々の再開をよろこびじゃれているのだ。


 おいおい、プー、痛いじゃないか。ぼくの身体はキミの綿のと違って骨と肉でできているからそんなに押すと痛いんだよ。プーは無邪気な笑顔で曖昧な表情をして、今度はぼくの腕をひっぱりはじめる。腕が取れちゃうよ、やめておくれ、ぼくの腕はキミのと違って針と糸ではくっつかないんだよ。


 気がつくとピグレットがにんじんでぼくの左手をグリグリとやっている。こらこら、食べ物で遊んじゃダメじゃないか。笑顔がキュートだが、グリグリをやめてくれない。まわりではティガーがしっぽをバネに跳ね回ってなにか言っている。ごめんねティガー、いまキミのジャンプをみてやることはできないんだ。いつのまにかマッサージ台で寝ているぼくのまわりには友だちがたくさん来ており、かわるがわるスキンシップを求めてくる。痛いこともあるが、ぼくは笑顔で彼らと接し続ける。可愛くて大事な友だちがぼくを癒そうとしてくれているのだ。ちょっと痛いけどつらくはないさ。


 そうやって楽しい友達たちとのひとときを想像し、90分を乗り切った。

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