第11話「男に見つめられても」
「人使い荒すぎるだろ……くそ!」
月が空の真ん中に居座る頃合い。深い深い森の奥で、大きな熊と対峙する少年が一人。ナハトは大きく息を吸って、石と木の枝でできた簡素な武器を握り込む。身一つで来たのだ、即席で作り上げる他なかった。
熊の後ろには小熊が。おそらくこいつは母親なのだろう。でも、躊躇したらこちらが危ない。できるだけ楽に、楽に。
昨日までずっと農作業と家事しかしてこなかった。狩りなんざ他の奴の仕事で、やったことがない。シルヴィのことが無ければ、武器を投げ捨てて逃走するくらいには覚悟が弱い。
しかし、今はやらねばならない。ナハトは真正面から母熊に襲いかかる。攻撃しようと振り下ろされた熊の右手をステップで躱し、斧に似たそれを構える。自分の顔面めがけてタックルをする熊をスレスレに避けては、額の冷や汗をぶんぶんと振り払った。逃げ行く小熊は放っておく。ナハトは斧を思い切り母熊へ投撃するが、惜しいことに避けられた。木に突き刺さった武器を取りに走るナハトを、母熊は追跡する。どうやら生かす気は更々無いらしい。ふう、とため息をつき、自分の喉笛に食らいつこうと顔を前のめりにする熊を睨んだ。木に刺さったままの斧を背に、ギリギリまで引き寄せる。
声にもならない獣独特の唸り。ナハトは勢いよくしゃがみ込むと、そのまま足を回転させて左へ逃れた。熊は勢いを殺せずに木へと突撃する。丁度熊の顔面にあたる位置には、先程の斧が突き刺さったままだった。
「げっ、やべーな……」
結構グロテスクな惨状になる中、ナハトは顔を曇らせながらも合掌する。まさか、シルヴィを追いかけた末に熊を倒す羽目になるとは思わなかった……。どっと身体に疲れを覚え、今晩の食糧となった熊の前に座り込む。すると、草むらの方から物音がした。二匹目か⁉などと思いつつ、ナハトは視線だけ送る。
「おっ、熊倒せたみたいだねー。よしよし」
「さっさと食べて寝て馬車を追いかけましょう」
至ってひょうきんに熊を突くものだから、少し苛立ちを覚えてしまった。しかし、自分をシルヴィたちへと導いてくれる上に初めてあった人だ。邪険に扱うわけにもいかない。
エスと名乗った兵士は、自分の袋にパンパンの果実を入れていた。ここらでよく採れる種類だが、ずいぶん質の良いものを厳選したように見える。ナハトが興味深そうに見つめていると、エスは口角だけ上げてみせた。
「オレ、男に見つめられてもあんまりだなー」
「失礼だなアンタ! 別に、よくもまあそんな果実見つけられたもんだなって思っただけだ。です」
既にして敬語が出来ていないナハト。そんな彼をエスは変わらない表情で見ていたが、ああ、と声を発すると頭を掻いた。月が雲に隠れたからだろうか、少しだけあたりは暗くなる。
「オレの実家、八百屋だったんだよねー。だからじゃない?」
「なるほどな」
「うんー」
やたらと語尾を伸ばす兵士は手早く集めた木の枝を地に落とし、その前に座り込んではズボンのポケットから火打ち石を取り出す。一瞬ちらっとナハトの方を見ると、また自身の手元に視線を戻した。慣れた手付きで火を起こすエス。ナハトは手持ち無沙汰に立ち尽くす。
「お、おい。次はどうする」
「熊捌いてー、内臓は取り除こう。ホルモンは嫌い」
「やったことねえけど……」
「何事も経験だよー」
次々とお気楽に頼み事をするが、その一つ一つがなかなかにハードだ。ナハトは心の中で悪態をつきながら、言われた通りの事をこなす。
本当に奴について行っていいのか。チャラけた奴だ、もしかしたら道を間違えてるかもしれない。今この瞬間にも、シルヴィとあの男は先に行っているんじゃないのか。今から走れば、あるいは。
「ダメだよ、ダメダメ」
「えっ」
先程まで爆ぜる火の粉をぼんやりと眺めていたエスが、気がつけば隣に立っていた。完全に不意をつかれた。貸して、と言われるがまま、エスから受け取ったナイフを彼に返す。
難なく熊の肉体にナイフを突き立てたエスは、そのまま捌きながら言葉を連ねる。
「ここら一帯は魔物が出るから」
「こ、こんな人里にまで居るか?」
「居るよー。というか、出たんだ。昨日くらいからね、それで兵士たちは対応に追われててさー。人手も足りなくなるし、困っちゃうよねー」
どへえ、とため息をついたエス。つい最近、という言葉にナハトは眉をひそめる。
(もしかしなくとも……あの魔道士野郎の言ってた、封印がどうたらこうたらってのが原因か……)
「ここの魔物は強くないけど、いかんせん数が多くてー。なのに、俺なんて一人でここの地域担当にされちゃってさー? 山と村5つ分だよ⁉ 同僚も部下もついてこないしさ! やってらんないよねー!」
ムキー、と歯を見せんばかりのプンプン具合だ。ナハトは切り分けられていく食糧から目を背けつつ、でも、と口を開く。
「数が多いっつっても、見かけなくねえか」
「ここはもう殲滅したからねー。でも、お城に行く道中で居るかもしれないでしょー、俺の管轄地域じゃないんだから」
ん……?
何か引っかかった気がする。しかし、それが何か分からない。うーん、と少し悩んだ後、その形の無い疑問は置いておくことにした。
エスは更に言葉を重ねる。
「あと、流石に夜道に馬車は危ないからさー。小隊長たちも休んでると思うよー」
「そ、そうか。別に気にしてるわけじゃね、ねーんだけどな……!」
「あはは、大丈夫だよー」
なんか不思議な奴だ。そいつの気配というか、なんというか。俺の思っていることに応えたような感じがした。心を読む魔法でも使えるのか。
「オレは見ての通り、剣術使いの一兵士さー。ちょっと察するのが得意なだけー」
「なっ、アンタ気味悪いな!」
「わあ、酷いなー」
なおもからからと笑うエスに多少引きつつ、半ば強引にナイフを奪った。それにちょっとだけ口を尖らせたエスだったが、俺が黙々と切り捌く様子を見るとたちまち笑みに変わる。本当によく笑う奴だ。両手をひらひらさせて、機嫌良さげに目を細める。
「いやー、優しい後輩を持てて嬉しい限りだなー」
「そいつはどうも」
こうして、ノリの軽い兵士と苦労人の農民は一夜を明かすことになる。
一方、シルヴィたちはと言えば。
「は、離れてくださ……ぃひゃあっ⁉」
「もう君の家じゃないんだけど」
馬車の中での攻防戦がはじまっていた。
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