あんぱんくずれ

 

 わたしの住む家の近所にあたらしくパン屋ができたのだが、そのパン屋はあんパン専門店で、売っているあんパンがすべて「あんぱんくずれ」などという通称のものばかりだった。

「あんぱんくずれ、あります」―――文言が、店先の黒板の立て看板にかわいらしい文字で書かれている。あんパンを売っているのか売っていないのか、これではなんともわからない。「店へはいって確かめればいいでないか」という考えはもうごもっともで、入りたいとは思うのだが、わたしといえば、仕事帰りに目の前を通るたび気になってちらちら覗いて過ぎ去るだけでまだ一度も入っていない。というかどうも、わたしとおなじような考えで「あんぱんくずれってなんだ」などと、店の前を通るときにちらちらと店内を覗く人間ばかりがこの店のいわば常連だった。なんとも迷惑な事柄である。などとうだうだ思った挙句、わたしは昨日思い切って、仕事でへとへとの帰路に、あんぱんくずれの店の中へそろりと入ってみることにした。

「いらっしゃいませ」

 声がした。

 外から覗いたとおり、店内はしっかりとパン屋らしかったし、店主さんもみるからに優しそうなパン屋のおじさん然としていた。

「あんぱんくずれ、ありますか」

「そりゃあ専門店ですから。あります」―――そうしてわたしがみたものは、あんぱん、ではあったのだが、焦げすぎたり、形が変だったり、中からあんこが飛び出ていたり、誰かにむにゅっと指で押されて凹んでしまったやつだったりと、なんらかの状態になってしまった「あんぱん」が勢ぞろいをする様相だった。

 カビたあんぱんもあった。

「どうか買ってやってください」

 そういうことかとわたしは思い、

「ではこれを」

 ひとつ選んだ。

 凹んでしまったやつであった。

「こちらのあんぱんくずれですね。これはつい昨日うちへやってきた、隣町のちびっこがつくったあんぱんくずれでございます。触った理由はその子曰く、『かわいかったからしかたないじゃん。うわあん、うわあん』とのことです。………」

 あんぱんがくずれるに至った経緯を話しながら、店主は目の前のあんぱんくずれを優しく袋へいれこんでいった。

「はいどうぞ。お大事に」

 わたしは料金を支払った。

 いま、そのあんぱんくずれは、わたしの部屋の机のうえで、ぼんやり虚空を眺めている。わたしのいまのいちばんの悩みは、わたしの買ったあんぱんくずれを食べるか食べないかであった。あんぱんとしての生を全うさせてやるなら食べるべきだろうが、あんぱんくずれに対してのベストなあんぱんくずれ生というのが、いまのわたしにはわからない。

「いやしかしやはり、食おう」

 そうしてわたしは、あんぱんくずれをほおばった。

 あんぱんくずれはぼそぼそで、とても食えたものではなかった。

 

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