第三章・その5
2
「あ、ここでいい」
冴子を女子寮の前までおんぶして運び、ピンポンダッシュでずらかった俺は、ひきつづき、ダイアナをエスコートをすることになった。――で、ダイアナの言葉通りに、一緒に歩いて到着した場所は、ただのアパートである。中卒でもバイトで借りることができるレベルの代物だった。
「庶民的だな」
俺は、少しダイアナに目をむけた。本人がいるので黙っていたが、イギリス王室と言ったらいいのか、なんだかロイヤルな雰囲気の美少女である。それが、こんなところに住んでいるとは。
「私は庶民だからな」
ダイアナの返事は少し意外だった。黙ってる俺を見て、ダイアナが苦笑する。
「よく誤解されるんだ。それだけ、私の外見がいいということなんだろうと思って、ずっと我慢していたが」
「外見がいいのは否定しないぞ」
もちろん、外見がよくて、実際に家柄もいい、沙織みたいなのもいるが。考える俺の前で、ダイアナが頭をさげた。
「本日はエスコートをしていただいて、礼を言う」
「あ、いや、こちらこそ」
つられて俺も頭をさげた。あらためて頭をあげると、ダイアナが笑っていた。
「礼を言うときはこうべを垂れる。日本の文化をきちんと学んでいることについて、何か言うことはないか?」
「こうべを垂れるなんて、普通は言わないぞ。勉強しすぎだ」
俺は苦笑しながら手を振った。これで何度目だろう。
「じゃ、俺は帰るから。本当に、これでおさらばだ」
「また明日な」
「おう」
さて、明日からどうすっかな。根性を据えて本当のことを言うのが人間のやることだろうし。いや、ここは、余計なことは口にするべきではない、か。つか、そもそも俺の記憶を改竄した奴の特定もできていないのに、どうしたらいいもんだか。お先真っ暗の状態で、俺は暗闇のなかへ消えることにした。
で、何も決まらないまま翌日になった。
「おはようございます。殿――光沢様。ではなくて、光沢さん」
とりあえず、学校へ行くのが学生の本分だ。――という判断で登校したら、あたりまえみたいに桜塚沙織が教室で俺を待ち構えていた。吸血鬼だって気配は微塵もない。これならばれなくて済むはずだ。ほっとする俺の前まで、沙織が笑顔で近寄ってくる。ほかの連中もいるというのに。これは、誰が見てもラブラブに見えるだろう。俺はため息をついた。
「おはよう。なんだ?」
「あの」
沙織がもじもじしながら俺の前でうつむいた。
「本日の夜、お話したいことがあります」
「あーそりゃよかったな。俺もだ」
反射で返事をしてから、俺はしまったと口を押さえた。沙織が驚き半分、嬉しさ半分の顔で俺を見あげる。
「あ、あの、それは、ひょっとして」
「あ、済まんけど、それは誤解だ」
俺は即座に言った。冷静を装えていただろうか。それはいいけど、ほかのクラスの連中がひそひそ言いだす。
「夜に話すってさ」
「あれって、桜塚さんと光沢、どうも見ても付き合ってるよね?」
「だったら、夜に話すことって、あれなんじゃね? 付き合ってください的な」
「馬鹿、もう付き合ってるんだから、そんなレベルじゃないだろ」
「すると、もっと先の世界へ行く的な」
「じゃ、セックス的な?」
「的じゃなくて、セックスそのものだろ?」
「というか、もうやってるだろ?」
「じゃ、あれなの? 検査で陽性で、どうしよう的な」
「そんなわけがねえだろが!!」
ひそひそ声の連中に恫喝し、俺は沙織の手をとった。
「ちょっと場所を変えるから。そこで詳しい話をだな」
「あ、はい」
赤い顔で沙織がうなずくのを確認し、そのまま俺は教室をでようとした。
「ほら、やっぱり、いい病院を探そうって話なのよ」
「だからそうじゃねえって言ってるだろが! おまえらも人間なら、少しは相手の言うことを信用しろ!!」
いかん、いまの言葉は、本来の人間が口にするものじゃなかったな。やはり違和感があったのか、妙な顔をするクラスの連中から顔を背け、俺は沙織をつれて教室をでた。
そのまま、昨日と同じく、非常階段の前まで行き、人の気配がないことを確認した俺は緊張を解いた。
「あのな。ああいうものの言い方は誤解を招くから気をつけるようにな。ま、俺もやっちまったけど」
「はい。申し訳ありませんでした」
沙織はおとなしく頭をさげた。こうやってみると、素直でいい娘なんだよな。そして俺を愛してくれている。いまはともかく、最後は俺も、沙織の熱意にこたえなくちゃならないだろう。それはいいとして。
「今日の夜、話があるって言ってたけど、いま、この場で話せるか? それとも、それは無理な種類の話なのか?」
俺は簡単に訊いてみた。
「ここなら、ふたりっきりだし、言えるんじゃないか?」
「あ、あの」
沙織が俺を見つめた。
「言えます。よろしいでしょうか?」
「かまわんぞ。言うてみい」
どうもダイアナの時代劇言葉が感染したらしい。俺のおかしなセリフに気づいてない沙織が嬉しそうにした。
「本日の夜、魔族討伐ができます」
「え」
「魔族の、休戦協定を無視した、非合法の跳梁があるという情報が入りまして。それを粛正、淘汰する機会に恵まれたのでございます。光沢さんの、本来の力を発揮できる、すばらしき夜がくるのです」
「あーそういうことか。それはわかった」
俺は腕を組んだ。まあ、それはいいとしよう。話し合いで済む相手じゃない。知性はあるのに言葉の通じない、最低レベルで虎と喧嘩のできる化物が相手なのだ。殺っちまうしかないが、これは正当防衛の一種で問題ないはずである。
「それで、昨日の、あの魔道具も使用できます」
つづけて沙織が言ってきた。
「そこで、あの魔道具を使っていただければ、あの魔道具を制作したリリスの手腕もわかっていただけるかと。もし、光沢さんが望むのでしたら、わたくしが命じて、光沢さん専用の魔道具を、いくつもリリスに命じて制作させて御覧に入れます」
「あ、そこまではしなくていいから――?」
普通の人間は、量産型の標準タイプでも十分に満足するものだ。俺は特注とか、自分だけのものなんてのには興味がない。と言いかけ、俺は口をつぐんで視線を変えた。それに気づいた沙織も、俺に合わせて視線を変える。
沙織の背後から歩いてきたのは飯島冴子だった。
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