第一章・その1

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「光沢はどうした!」


 学校の授業も終わったし、さあ帰ろうと思ったら、急に声がかかった。教室中の視線が、俺と、声の主の両方にむけられる。またかよ。


「いますよ。今度はなんですか?」


「駅から連絡があった」


 青田――先生って言っておくか――が、尋常じゃない顔つきで俺の前までやってきた。生活指導だからって、なんでそう、俺を目の敵にするんだか。


「無抵抗の乗客を殴ったって本当?」


「本当じゃないですよ。あいつ、抵抗しました」


「殴ったってのは本当なんだな?」


「そりゃ、まあ」


 目の前で立ち止まった青田先生の顔を見ながら俺は立ち上がった。べつに悪いことはやってない。それにしてもおっかねえ顔してるな。黙ってれば綺麗な人なのに。どうして男言葉なのかは聞いたことがないので俺もわからなかった。


「なんでそんなことを?」


「駅からの連絡で説明を聞かなかったんですか?」


「おまえの口から言って見ろ」


「そうすか。じゃ、まあ――電車を待ってたら、女性のでかい声が聞こえたんですよ。この人痴漢ですって。で、俺、そばにいたから、そいつを捕まえて駅長室まで連れて行ったんすよ。で、そいつ、そのとき逃げようとして暴れたから、仕方なく、ボコボコって」


「ふむ。駅からの連絡と同じだな。嘘はついてない、か」


「ついてどうするんすか。何も悪いことしてないのに」


「暴力事件を起こして、何を開き直ってる?」


「痴漢を捕まえるのが悪いことなんですか?」


「やりすぎだと言ってるんだ」


 青田先生が俺の前でため息をついた。


「もちろん、痴漢行為がいいとは言ってない。だからって、声もでなくなるまで殴り飛ばしたら、おまえが暴力行為で捕まるんだぞ」


「相手が武器を持ってるかもしれなかったから、加減なんてできなかったんですよ。魔族だった可能性もあるし」


 最近、こっちにきている上位魔族は、人間と全く見分けがつかなくなるまで擬態できる。素手だからと油断して喧嘩していたら、急に野獣に変貌して食い殺される危険もあるからな。やるときは徹底的にやるしかなかった。


 青田先生が眉をひそめた。


「言ってることはわからんでもないが、だったら駅員に声をかけて、あとは任せておけばいいだろう」


「そんなこと言ってる間に痴漢が逃げだしたらどうするんすか」


「そういうときは放っておけ」


「痴漢に遭った女性の心のケアは?」


 青田先生の言葉が止まった。黙ってジロジロにらみつけてくる。今回もそうか。結局、話は平行線だ。


「もういい。ただ、目をつぶってやるのは今回までだぞ。次からはないと思え」


 前のときも同じセリフを聞きましたよ。心のなかで言い返しながら俺は椅子に座り直した。青田先生が背をむけて教室からでて行く。


「あのさ、光沢、またやったの?」


 入れ替わるように、飯島冴子が声をかけてきた。黒髪ロングのお嬢様的な外見の美少女だが、中身は違う。俺を怖がらない――もしくは、怖がっていても我慢している、このクラスのなかでも珍しい奴だった。黙って目をむけたが、冴子は怯えた様子を見せなかった。


「正義の名のもとに暴力を振るう光沢鉄郎、またもややりすぎの模様。今回は駅で痴漢を半殺しに。そして、なぜか、やっぱり停学にならず。――学内新聞の記事に書くネタとしては、まあまあかな」


「おい」


「じゃ、本当のこと教えてよ。何があったの?」


「もう聞いてるだろうが。駅で痴漢をつかまえただけだ」


「でも、暴力事件でしょ? なんで注意されるだけで、停学にならないの?」


「そんなの、俺じゃなくて青田先生に聞いてくれ」


 実際、俺にも理由はわからなかった。――もっとわからないのは、なぜ、みんなが、ああいう罪を前にして、見て見ぬふりをするのかということである。学校じゃ、いじめを見ても見ぬふりをするのはいじめをしているのと同じだ、などと教えているのに。俺は教わった通りに行動しただけだ。教わった通りに行動されて困るのなら、教えなきゃいいだろうに。


「世のなか、本音と建て前ってのがあるのよ」


 目の前で冴子が言った。俺は口にだしてしゃべってない。こいつに精神感応が使えるとは思わなかった。――いや、突然、エレメンタルに目覚めることもあると聞いたことがある。


「俺の心を読んだのか?」


 聞いたら、冴子がニヤついた。


「顔に書いてあったのよ」


「本当は?」


「前のときに言ってたじゃん。前の前のときにも。教わった通りに行動されて困るのなら、教えなきゃいいだろうって」


「そうだったっけか」


 昔のことなんか忘れてしまった。覚えていない以上、冴子を疑ってもいいことになる。


「おまえ、本当はエレメンタルに覚醒してるんじゃないか?」


 真顔で質問したら、冴子がスッゲーいやな顔をした。


「冗談はやめてよ。私、吸血鬼軍団とか魔族と戦うなんて、死んだっていやだし。ていうか、そんなことしたら死んじゃうし」


「ふうん。――ま、わからないでもないけどな。そこまで大ごとになるって決まったわけでもないだろうに」


 エレメンタルに目覚めても、実戦投入できるのは千人にひとりと聞いたことがある。登録することまで拒否する必要はないと思うんだが。このへんは好みの問題だ。俺がどうこう言える立場でもない。


「帰るか」


 掃除当番の連中が机を片づけはじめたので、俺はカバンを持って立ちあがった。


「待ってよお」


 俺の後ろを冴子がついてくる。無視して階段を降り、下駄箱まで行ったところで、冴子が俺の前に立った。


「ほら、寮まで送ってよ」


「まだ明るいぞ」


「でも吸血鬼でるかもしれないし」


「俺だって安全だと決まったわけじゃないんだぞ。送り狼って言葉を知ってるか?」


「そういうことをやっちゃいけないって教わったんじゃないの?」


「――そうだったな。わかった。じゃ、とっとと帰るぞ」


 黄昏を越えたあたりから、この町は人間の居住区とは言えなくなる。おかげで、遠距離通学の連中は、残らず寮暮らしが義務になっていた。冴子がそれである。

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