第9話 チューイング


 古ぼけたスチール製の事務机をはさんで、俺と修道服姿のアリシアさんは向かい合うように座っていた。

 きっと今よりも喫煙きつえんに対して大らかだった時代の名残なごりなのだろう、タバコのにおいが染みついて壁まで黄ばんだこの部屋に、禁欲の象徴みたいな彼女の服装はあまりにも不釣り合いに見える。


「大まかな話は警察の人からも聞いてるけど、あなたのご両親を殺したのは少なくとも人間じゃないわね。遺体の状態も色々と不自然すぎるし、なにより深夜なのに玄関のカギが開いていたというのが引っかかるわ」


 アリシアさんは体ごと横を向いたまま俺のほうを見ようともせず、さっきの刑事が机の上に置きっぱなしだった供述書に目を通していた。おかげでこっちは彼女の色っぽい脚をじっくりと拝めるわけだが、下手に興奮すると瞳の色が変わってしまうのであまり堪能たんのうするわけにもいかない。


「二人の死亡推定時刻から考えても、犯人はあなたが家の近くで見たという男で間違いないでしょう。もしもそいつが吸血鬼だったのなら、あなたの家に侵入できたのもうなずけるんだけど……」

「どういうこと?」

「吸血鬼の中には相手から招かれないと他人の家に入れないやつもいるけど、それとは真逆の能力を持ったやつもいるのよ。ちょっとした念動力みたいなもので、扉に手をかざすだけで外からカギを開けられるの」

「そんなやつが……」

「だからあなたにその男の詳しい特徴を教えてほしいのよ。私たちのデータベースにはまだ討伐されていない不死者アンデッドの情報が登録されているから、あなたの証言と照らし合わせればそいつの正体を特定できるかもしれないわ」

「なるほどね。でもその前に、俺にも一つだけ聞かせてくれないかな」

「なに?」

「なんで修道女シスターのあんたが警察署の取調室に堂々と、しかも自分のほうが捜査権限が上みたいな顔して入ってこられるんだよ? なんか刑事さんは“自分たちはもう蚊帳かやの外だ”みたいな態度だったんだけど……」

「そんなの、私の所属する討魔教会がこの国の政府とつながっているからにきまってるでしょう。もちろんこの国だけじゃなく、世界各国の政府から依頼を受けて不死者アンデッドを狩るのが私たちの仕事なんだもの」


 アリシアさんは“そんなこともわからないの?”とでも言いたげな表情で椅子にふんぞり返り、肩をすくめながら鼻で笑ってみせた。

 自分の感情をいちいちこういったオーバーアクションで表現するあたり、さすがは外国人というべきだろうか。


「この国でこういった不可解な事件が起きたときは、とりあえず私たちにも話が回ってくるのよ。それで事件が不死者アンデッドがらみだとこちらが判断した場合、警察には手を引いてもらうっていう協定が結ばれてるわけ」

「あの刑事さん、それであんな気の抜けたような顔してたのか。でも……なんか胡散うさん臭い話だなぁ。だいたい国が不死者アンデッドの存在を認めてるなら、特殊部隊か軍隊でも動かして始末させたほうが手っ取り早いだろうに。なんでその仕事を『教会』なんて古臭い組織に委託する必要があるのさ」

「そこに所属してる人間を前にして、よくも胡散うさん臭いだの古臭いだのとはっきり言えるわね。あなた、そもそも警察の仕事がどんなものだか知ってるの?」

「そりゃぁ……社会の秩序を守るために犯罪者を捕まえることでしょ?」

「半分は正解。でもね、たとえば今回と同じような殺人事件が起きたとき、その犯人が実は幽霊や宇宙人だったりしたらどうなると思う?」


 俺の返答に対して、アリシアさんはまたおそろしく突拍子もないことを言いだした。

 確かに今回の事件は誰の目から見ても人間の仕業しわざとは思えないし、実際に犯人はあの狼男で間違いないだろう。しかし幽霊はともかく宇宙人なんて、どうしてそんなところまで話が飛躍するんだ?


「いったいなにが言いたいんだよ」

「もしもそれが事件の真相なら、警察にはその犯人をどうすることもできないってことよ。能力的な問題じゃなく、法的な問題でね」

「法的な問題?」

「仮に幽霊や宇宙人を捕まえられたとしても、そんな馬鹿げた存在を裁く法律はどこの国にもありはしないってこと。それに事件は霊の仕業しわざでしたなんて、マスコミに発表したところで誰も納得しないし、多くの人はそもそも信用すらしないでしょう」

「まあ……俺だって実際に屍鬼(グール)なんてものを目にしても、まだドッキリ番組の撮影じゃないかと疑ってたもんな」

「そう、だから表向きには事件が起こったときに現場の一番近くにいて、誰もアリバイを証明できない人が一応の犯人として逮捕されるの。警察の仕事は真犯人を捜して罪をつぐなわせることじゃなく、その事件が法のもとで合理的に解決されたという体裁を整えることなのよ」

「なんだよそれ? それじゃ冤罪えんざいどころか犯人の捏造ねつぞうじゃねーか」

「そっちは私たちの仕事じゃないし、文句があるなら国のお偉いさんに言ってちょうだい。初めて会ったときにも言ったけど、全ては社会の秩序を守るためなんだから」

「……なるほど、そういうオカルトじみた存在に国が手を下せないのはよくわかったよ。で、代わりにそいつらを裏で始末するのがあんたたちってわけか」

「そういうこと。私たちの仕事がどういうものか、理解してもらえたようね」

「でもさ、それだと今回は俺がその『一応の犯人』にされるってことか? 薬物中毒の息子が親を殺害……みたいな、その手のワイドショーが喜びそうな筋書きでさ」

「そうしてもいいんだけど、そのときは吸血鬼に関するあなたの記憶を消さなきゃいけないのが少し面倒ね。私も両親を亡くした気の毒な子供にそんなことはしたくないし、あなたが私たちに協力してくれて、事件の真相を誰にも話さないっていうのなら……」


 アリシアさんは銃こそ向けてこなかったものの、昨日と同じくぞっとするような目つきで俺の瞳を覗き込んできた。言い方がどうにも脅迫めいているのが少々気に食わないが、どうやらここは素直に従っておくのが得策らしい。


「あーもう、わかったよ。そのかわり、事件のほうは熊かなんかの仕業しわざってことにしといてくれよ?」

「ふふ、いい子ね」


 そうして俺はあの狼男について、自分が知っている限りのことを彼女に話した。警察にはおそらく信じてもらえないと思って言わなかった、やつの不気味な顔のこともだ。


「二メートル前後の巨体に西部劇みたいな服装、それに狼のでき損ないみたいな顔……か。間違いないわね、特に凶悪な不死者アンデッドをリストアップした手配書ビンゴブックにも載ってるやつよ」

「それって、あんたらにはあいつの面が割れてるってことか?」

「ええ、私たちの間では『チューイング』って呼ばれてるわ。最初に存在が確認されたのはそれこそ開拓史時代のアメリカ西部……つまり百五十年は生きてることになるわね」

「チューイングって、なんか変なあだ名だな。どういういわれがあってそんな呼ばれ方してるんだよ」

「吸血鬼っていうのは基本的に血液以外のものを体が受けつけないんだけど、そいつは食餌しょくじの仕方がちょっと特殊なの。人間の肉を口に含んだままクチャクチャ噛んで、血の味がしなくなったら吐き出すのよ。それこそチューインガムみたいにね」

「そういや刑事さんも同じこと言ってたな。なるほど、それで『チューイング』か……」


 アリシアさんからその通り名を聞いた瞬間、俺の脳裏に無残な肉塊にされた両親の姿が思い浮かんだ。

 そうか、そんな理由であいつは俺の両親をあんな姿にしたのか。

 つまりあの狼男にとって、人間はただの食材か嗜好品しこうひんにすぎないのだ。人間が肉を調理して少しでも美味うまく食べようとするように、あいつにとって人をミンチにするのは残酷なことでもなんでもないらしい。


「それにしても……あなた、あのイカれた吸血鬼と遭遇そうぐうしてよく無事でいられたわね。食餌しょくじを終えたばかりであいつも満足してたのかしら?」

「い、いやぁ、出くわしたというよりは遠くにいるのを見かけただけって感じだからさ。きっと俺のいたほうが風下で、あいつもこっちには気づいてなかったんだと思うよ」


 また咄嗟とっさに適当な嘘をつき、自分がやつに同属のよしみで見逃してもらったことは黙っておく。

 なにせ自分も吸血鬼になってしまった今となっては、俺にとってこの人はもはや天敵とでもいうべき存在だ。すでに知らない仲ではないのだから、俺が吸血鬼であることがバレたとしてもいきなり撃たれるようなことはないと思いたいが……。


「ふぅん……まあいいけど。ありがとう、参考になったわ。あなたも辛い思いをしたでしょうけど、やつには私が神の裁きを下してやるから安心しなさい」


 アリシアさんはそう言ったかと思うと、いきなり席を立って取調室から出ていこうとした。

 “自分の知りたかったことは聞けたから、もうあなたに用はない”とでも言わんばかりのそっけなさではあるが、それがいかにもこの人らしくてむしろすが々しいくらいだ。


「ちょ、ちょっと待ってよアリシアさん」

「なんなの? 私はこれから色々と準備しなきゃいけないことがあるから、悪いけどあなたを慰めてあげている時間はないのよ」

「そう、それだよ。あんた、これからあの狼野郎をブッ殺しにいくんでしょ? その仕事、俺にも手伝わせてもらえないかな」


 俺がそう言ったとたん、アリシアさんの顔が急に厳しいものになった。平和ボケした国のなにも知らない子供が、自分の仕事を甘く見るなとでも言いたげな形相ぎょうそうだ。


「なにを馬鹿なこと言ってるの!? 相手は吸血鬼、それも長生者エルダーと呼ばれている最上級の化け物なのよ。ただの人間でしかないあなたが、そんなやつを相手になにができるっていうの」

「アリシアさんだって俺と同じただの人間でしょ。頼むよ、親を殺されてかたきも討てずに黙ってるなんて、俺には我慢ならないんだ」


 自分が吸血鬼だとバレないよう、あくまで無力な少年を装いながらそう頼み込む。だが俺の中にあるやつへの怒り、そしてアリシアさんに向けて放った言葉に嘘はなかった。

 そもそも俺がこうして彼女と話していたのは、あの狼男の足取りについてこちらもなにか手がかりを掴めないかと思ったからである。

 そう、俺は最初からあいつを自分自身の手でブチ殺してやるつもりだったのだ。

 俺がかつて空手を習い始めたのは、自分の居場所や大切な人を理不尽な暴力などで奪われたくなかったからだ。そんなものを振りかざして俺から大切なものを奪おうとするやつを、二度とそんな気が起きなくなるまで叩きのめしてやるためだ。

 今回のような不条理を許せないという気持ちは誰でも同じなのだろうが、そこで黙って泣き寝入りをしたり、ましてや復讐を他人任せにするほど俺はおとなしい性格をしていない。


「……あなたの気持ちは理解できなくもないわ。私も十年前、吸血鬼に両親と妹を殺されているの。教会の不死者狩ハンターりになったのも最初は復讐が動機だったし、あなたもそうなりたいというのなら止めはしない」

「だったら……!」

「でも今回だけは駄目よ。なんの訓練も積んでいない素人をしごとりに同行させるなんて、お互いの安全のためにも許可できないわ。ご両親のかたきは私が必ず討ってあげるから、あなたはおとなしく吉報を待っていなさい」

「そんなこと言われても、俺はあんたと連絡をとる方法も知らないんだぜ。いつまで待ってりゃいいんだってこともだけど、どうやってその吉報とやらを受け取ったらいいんだよ」

「それなら私が今お世話になってる教会の場所を教えてあげるわ。そうね、一週間から十日後ぐらいに訪ねてきなさい。やつの最期がどんなに無様ぶざまなものだったか聞かせてあげるし、なんなら肉片か目玉の一つも持ち帰って踏みつけさせてあげるわよ」


 アリシアさんはとても優しい微笑みを浮かべながらそう言ってくれたが、後半の内容はその表情に似合わぬえぐいものだった。こんな台詞を笑顔で吐けるというだけでも、彼女がどれほど吸血鬼を憎んでいるのかがよくわかる。


「じゃあね。これから一人で生きていくのは大変だと思うけど、亡くなったご両親のためにも自分の命を大切にするのよ」


 そう言ってアリシアさんは教会の場所が書かれたメモを渡してくれた後、俺の前から去っていった。

 俺自身もそれからすぐに釈放されたが、結局あの男についてはどこか間抜けな響きの通り名と、あとは長生者エルダーであるということぐらいしかわかっていない。

 くそ、こうなったらどんな手を使ってでもあいつをさがし出してやる。やつを襲撃するときはアリシアさんとはち合わせにならないよう気をつけないといけないが、今の俺は彼女が言うようなただのガキではないのだ。


(さて……そうなると頼りにできるのは同じ吸血鬼のマリーしかいないな。あいつならあの狼野郎のことも知ってるかもしれないし、ちょっと早いけど猫屋敷とやらに行ってみるか)


 さっきマリーには夕方になってから来いと言われたが、今の俺にはとてもそんな時間まで待っている心の余裕はない。時間はすでに昼を回っていたが、俺は警察署を出てすぐに太陽の下へと歩き出した。


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 第9話あとがき



 今回は前回に引き続き、主人公がアリシアさんとの会話から両親のかたきの情報を探ろうとする場面です。

 その中でシスター・アリシアの過去もさらっと入れましたが、私が彼女のキャラを作るとき最初にイメージしたのが“父よ、母よ、妹よ”の歌で有名なあの人なんですよね。

 自分は赤い復讐者ってのがどうも好きみたいでして、主人公にとって吸血鬼としての先輩がマリーなら復讐者としての先輩がこの人、みたいな感じでこの先の話を膨らませています。

 彼女自身の復讐がすでに終わっているかどうかはまだ未定ですが、それで面白い話が書けそうなら一つのエピソードとして後で入れるかもしれません。


 ちなみに今回出番のなかった狼男さんですが、彼のあだ名である『チューイング』というのは摂食障害の一種として実際にある病名だそうです。

 現実では拒食症と似たような感じで食べたものを吐き出してしまうらしいですが、この作品の彼は吸血鬼だから元々肉が食べられないにもかかわらず、狼っぽく振舞いたいのとそっちのほうが美味く感じるという理由だけであんなことしてる下衆野郎です。

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