第6話 チート吸血鬼、誕生


 全てが赤く染まった視界の中、俺は飢えたけものにでもなったかのようにマリーの血をすすっていた。

 だが、こんなちまちました飲み方では渇きが満たされない。もっと、もっとたくさんの血が欲しい。

 そうして俺がカエルを飲み込もうとする蛇のように大きく口を開き、今度はマリーの首筋に噛みつこうとした、そのとき――


「い、いい加減にしなさい! 目を覚ますんだミツキっ!」


 しゃぶっていた指から口を離すのとほぼ同時に、俺は彼女に左右のほほをがっしりと掴まれていた。

 さらにマリーの真っ赤な瞳と目が合った瞬間、冷たい水の中に顔を突っ込まれたようなイメージが脳内に流れ込んでくる。


「――――っっ!?」

「どうだい、目は覚めたかい?」

「…………ぅ…………お、俺は……なにを?」

吸血鬼ヴァンパイアの赤い渇き――つまり吸血衝動が暴走して、正気を失っていたんだよ」


 マリーにそう言われて、俺はようやく自分がなにをしていたのかを思い出した。そうだ、俺はこいつをベッドに組み伏せて、まるで無理やり犯そうとするみたいに血を――


「す、すまん。なんか俺、お前にとんでもないことを……」

「いいんだよ、初めての吸血行為ではよくあることだ。僕の催眠能力で強制的に意識を引き戻したから、もう赤い渇きはおさまっただろう?」

「ああ、なんか八時間ぐらい寝た後みたいに頭がスッキリしてるよ」

「いいかい、今日はまだ転化したばかりだから仕方ないが、これからは吸血衝動を自分の意思で抑えられるように訓練するんだ。それができないと、人間の社会にまぎれて暮らしていくことはできないからね」

「わかった。なるべく早いうちに自制できるようにするよ」

「ついでに言っておくと、吸血鬼ヴァンパイアは赤い渇きを感じると無意識のうちに牙が伸びたり、瞳の色が血のように赤く染まってしまう。仮にその姿を人に見られでもしたら、それが教会の不死者狩ハンターりたちを呼び寄せる原因にもなるから気をつけなさい」


 そう言われて初めて気がついたが、マリーの両目はいつの間にか落ち着いた栗色になっていた。口の端から伸びていたはずの牙も、今は人間の犬歯とほぼ変わらない長さまで引っ込んでいる。

 なるほど、当然のことかもしれないが、吸血鬼はそれとわかるような特徴を普段から見せびらかして歩いてるわけじゃないんだ。


「それで、体の調子はどうだい? 長生者エルダーである僕の血を吸ったから、吸血鬼ヴァンパイアとしての力はかなり回復したはずだが……って、なぜ股間のモノをそんなに大きくしてるんだきみは!?」


 マリーが俺の股間を見て叫んだので下を向いてみると、確かに俺のパンツは股間の部分がテントを張ったようになっていた。さっきまでいろんな意味で興奮していたので、こうなるのはむしろ当然といえるだろう。


「こ、これはしょうがないだろ! 裸の女が目の前で色っぽくあえいでたら、男なら誰でもこうなるっての。つーかそんなにジロジロ見るなよ」

「いや、僕が言ってるのはそういうことじゃない。きみの体になにか異常があるんじゃないかって話だ」

「異常?」

「さっきも言ったけど、吸血鬼ヴァンパイアというのはリビング死体デッド……つまり心臓が動いていないんだよ。筋肉のわずかな収縮で凝固しない程度に血は流れているが、下半身の一部に血液が集中してそんなふうになるなんて、本来ならありえない」

「ちょっと待てよ、じゃあ吸血鬼は普通その……なんつーか……人間の女の子とHできないってことか?」

「ええ……気になるのはそこかい?」


 マリーは俺の質問を聞いたとたん心底あきれたような顔をして、ものすごいジト目でこちらをにらんできた。

 いや、そりゃ健全な男としてはそれが一番気になるだろう。ましてやまだ童貞の俺にとって、そういう行為ができないというのはもはや死活問題だ。


「そもそも僕たちは不老不死なんだから、生殖行為で子孫を増やす必要なんかないんだよ。それにお互いの血を吸うことでセックス以上の快楽を味わえるから、そういった機能はいらないものとして省かれているんだ」

「そんな……じゃあ俺は不老不死のまま永遠に童貞ってことか?」

「大丈夫、吸血鬼ヴァンパイアは自分の肉体をある程度自在に操作できるから、それを覚えれば人間と擬似的な性行為をすることはできるよ。だいたいきみのソレは現に大きくなってるんだから、そこまで気にすることでもないだろう」

「まあ、それもそうか」

「そんなことより、今はどうしてきみの体内で血がめぐり続けているのかって話だ。悪いけど、ちょっと胸を触らせてくれるかい?」


 そう言うと同時に、マリーは返事を待つこともなく俺の胸に手を当ててきた。彼女自身の手はそれほど冷たくはないが、言われてみれば確かに普通の人間より体温が低いように思える。


「うん、やはり心臓が動いているね。それに肺もだ」

「心臓はともかく、肺が動いてるのは当たり前なんじゃないのか? 今みたいにこうしてしゃべるにしたって、呼吸しなきゃ声が出ないだろ」

「確かにきみの言うとおりだが、吸血鬼ヴァンパイアは興奮して息が荒くなったときやこうして話すとき以外、呼吸も止まっているものなんだよ。きみ、本当に体の調子が悪かったりはしないかい?」

「んー、特にそんな感じはないけどなぁ。むしろ体の奥底からものすごい力が湧いてくるような……」


 そう言いながら手のひらを上に向け、ぎゅっと拳を握り込んでみる。すると前腕の筋肉がみしりと音を立て、軽くふくれあがると同時に鋼のように硬くなった。


「…………っ!」


 そのとき、俺は初めて自分が怪物になってしまったことを自覚した。今までと筋肉の量は変わらないはずなのに、そこから生み出される力が数倍――いや、十数倍にもなったかのように感じられる。

 今の俺ならおそらくゴリラと腕相撲をしても負けないし、ヒグマを一撃で張り倒すこともできるだろう。もしも自分が漫画のキャラクターだったら、きっと調子に乗って“俺は今、究極のパワーを手に入れたのだー!”などと叫んでいたかもしれない。


「……ちょっと試してみるか」


 俺はベッドから降りて部屋の一番端っこまで歩いていくと、反対側にあるバスルームのほうへ向かって右のパンチをくり出してみた。中学二年のときから習っていた、空手の正拳突きだ。


「しっ!」


 ―― びゅぉうっ! ――


「うおぉっ!?」


 自分の力に驚くというのも少々間抜けな話だが、それでも俺は思わず声を上げてしまった。なにせひねりを加えて突き出した自分のこぶしがうなりを上げ、バスルームとの間にあるガラスの壁をきしませるほどの烈風を巻き起こしたのだ。

 軽いパンチで起こした風が少なくとも六メートルは離れた壁まで届くなんて、どう考えても人間わざじゃない。しかもベッドの向かいに置いてあった薄型テレビまでが風圧で倒れそうになり、後ろの壁にもたれかかっている。


「な、なんだよこの力……」


 俺が自分の手からマリーのほうに視線を移すと、彼女もまた俺以上に驚いた顔をしていた。どうやら俺が発揮してみせた今のパワーは、五百年を生きた吸血鬼の目から見ても規格外のものだったらしい。


「おいきみ、いったいどういうことだ!? それほどの力はこの僕にも出せないし、僕より格上の長生者エルダーにだって今みたいな芸当ができる者は少ないぞ」


 マリーがそう言いながらこちらに近づいてきて、また俺の体をぺたぺたとあちこち触ってくる。


「どういうことだなんて言われても、そんなの俺が聞きてーよ。これってそんなにすごいことなのか?」

「すごいなんてもんじゃないよ。明らかに新生者ニューボーンの常識を超えている」

「といってもなぁ、俺は吸血鬼なんてものが実在することすら今日まで知らなかったんだから、思い当たることなんかなにもないぞ」

「うーん……きみは昔なにか武術を習ってたみたいだけど、もしかするとそのせいかな? 心臓や肺が人間だったときと同じように動き続けていることといい、なにか関係がありそうなんだが……」

「おいおい、どうして俺が武術をやってたなんてこと知ってるんだよ。俺たちまだ出会ったばかりだし、そんなこと一言も口にしてないよな?」

「ああ、そのことかい。さっき血を吸わせてもらったとき、きみの過去がちょっとだけ見えたんだよ。吸血鬼ヴァンパイアは相手の血から栄養や生命力をもらうだけでなく、同時に意識や心も通わせるんだ」

「あれか……」


 俺はマリーの血を吸い始めてすぐ、自分の脳裏に浮かんできた妙な光景のことを思い出していた。あれはやはりマリーの過去、彼女の心そのものだったのだ。


「僕も詳しいわけじゃないが、東洋の武術というのは『気』とか『発剄はっけい』とかいう不思議な力を使えるんだろう? もしかするとそれが吸血鬼の持つパワーとかけ合わさって、なにかすごいことになってるのかもしれない」

「すごいことになってるって……なんともいい加減な考察だなオイ。そもそも俺はそんなご大層なもん使えねーし、武術といっても自分以外は小学生しかいないような道場でちょこっと空手やってただけだぞ」


 そう、俺が習っていたのはいわゆる『伝統派』と呼ばれる寸止すんどめ空手であり、実戦――すなわち喧嘩に使えるほど大したものではない。それどころか、俺は道場の中ですらまともに組手もしたことがないのである。

 俺が通っていたのは本当に小さな町道場で、五十歳を過ぎた初老の師範が小さな子供たちに空手を教えているところだった。しかし家から通える距離にはそこしか道場がなかったので、俺はそこで五年間、基礎的な技と型だけを学んだのだ。


「いずれにせよ、これはよく調べてみたほうがいいな。僕も自分のゲットを持つのは初めてだが、それにしたってこんなケースは聞いたことがない」

「ええー、いいよ別に。力が強くて困ることなんてないだろうし、これって要は俺が吸血鬼として超・健康優良児ってことだろ?」

「駄目だ。僕の知り合いに不死者アンデッドの研究をしている人間がいるから、そいつのところに行って詳しくてもらおう。闇の母となった以上、僕にはきみの命と人生に対する責任があるからね」


 マリーが両手を腰に当てて仁王立ちになったまま、厳しい目つきで俺の顔をじっと見つめてくる。

 うーん、そういう責任ってやつは自殺しようとしてる人間を無理やり止めた場合とか、普通は命を救った側が背負うべきものだと思うんだが……。

 まあ俺たちの関係はお互いの命を『分け合った』という感じだし、ここは吸血鬼としての大先輩であるこいつの言うことを聞いておくか。


「……わかったよ。でも、とりあえず今日はいったん家に帰らせてくれ。ただでさえ予備校サボっちまったのに、朝帰りなんてしたら親にどれだけ説教されることやら」

「そうだね、きみの日常を壊さないためにもそうしたほうがいいかもしれない。だけど明日か明後日か、少なくとも二~三日のうちには必ず僕の屋敷をたずねてくるんだよ。いいね?」

「お前の住んでる屋敷って、いったいどこにあるんだよ」

「この町は南側を除く三方を山に囲まれているだろう? 僕が住んでいるのはその北側にある山のふもと、古い家が立ち並ぶ住宅街の中でも一番大きな屋敷さ。近くの人に“猫屋敷はどこか”とたずねてみれば、場所はすぐにわかるはずだ」

「猫屋敷……ねぇ」


 そういえばこいつ、いつも猫の血を吸ってるとか言ってたな。もしかして、家に猫をたくさん集めすぎてご近所からそう呼ばれているのか?


「夜明けまでにはまだ少し時間があるけど、帰るのなら急ぎなさい。いくら太陽に強い血統とはいえ、転化したばかりの体で日差しを浴びるのはきついだろうからね」

「そうさせてもらうよ。あ、でも服はどうするかな? 着替えはバッグの中に入ってるけど、バスルームで洗ってるほうの服はすぐには乾かないだろうし……」

「僕が自分の服と一緒に乾かしておいて、きみがたずねてきたときに返してあげるから心配しなくていいよ」

「そうか、それじゃ洗濯は頼むよ母さん」

「あはは、なかなか言うじゃないか。わかった、ママに任せておくといい」

「じゃあな。昨日はほんと色々ありすぎて精神的にも疲れたから、しばらくはぐっすり休ませてもらうとするよ」

「うん、じゃあ今日か明日の夕方にまた会おう」


 そうして俺はマリーと別れ、ホテルを出て家路についた。

 なんだか大変な一日だったが、初めて経験することばかりでなかなか楽しかったような気もする。

 けれど、このときの俺はまだ知らなかった。今まで退屈だと思っていたはずの日常が、どれだけ得がたいものだったのかを――


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 第6話あとがき



 今回は主人公が吸血鬼に転化するとともに授かったチート能力、その一端が明らかになりました。

 多くの作品において吸血鬼というのはとんでもない馬鹿力の持ち主として描かれますが、この作品の主人公はその中でも数百年生きた長生者エルダークラスのパワーをいきなり身につけたと思ってくだされば結構です。

 その理由は少し先の話で明らかにする予定ですが、伏線のようなものは今回の話にいくつか書かれているので、予想してみるのも面白いかもしれません。

 ちなみに主人公には今回の超パワー以外にも4つほど、本人の工夫によって吸血鬼の特徴をさらに生かすような能力を開花させたいと思っています。

 吸血鬼の能力に人間が編み出した技が加わるとき、長生きしたというだけで偉そうにしている古代の怪物を倒す新たな怪物が生まれる……。そんな流れになっていく感じでしょうか。

 そして次回、いよいよ最初の強敵が登場する予定です。

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