第5話 長生者《エルダー》の血は蜜の味
俺は先ほどと同じようにマリーに抱えられ、再びベッドへと運ばれていった。本当は自分の足で歩きたかったが、まだ立つことさえままならないので仕方がない。
そしてマリーは先ほどと同じような体勢で俺の前に座ると、細長い指で自分の胸元をさしてみせた。
「覚えているかい? ここはきみと出会ったとき、僕が血を流していたところだ」
「ああ、覚えてるよ。かなりざっくりと刺されてたはずだけど、吸血鬼ってのはそんなに早く傷が治るんだな」
「普通の武器によるものならね。だけど今回の場合はそうじゃなかった」
「……?」
「あの傷は僕が
「銀? 吸血鬼の弱点って、普通は太陽とか十字架じゃないのかよ」
俺は今までに映画や小説などで見たことのある吸血鬼の知識から、思わずそう聞き返していた。
「
「ええっ、同じ種族でもそんなに差があるのか?」
「そうだよ。ましてや十字架なんて、転化する前にカトリックだった
「マジかよ……」
吸血鬼というのは一般的に知られているだけでもかなり弱点の多い怪物だが、その中でも太陽と十字架は特に有名なものだ。なのにそれらが効かないやつもいるなんて、ちょっとインチキ臭いような気もする。
というより、本物の吸血鬼というやつは俺が考えていたものとずいぶんかけ離れているようだ。これは今のうちにしっかりチュートリアルを受けておかないと、後で命に関わるような間違いをやらかすかもしれない。
「ちなみに僕の血統も太陽にはそれほど弱くないから、きみもすぐに日中でも外を歩けるようになるよ。体が慣れるまで一ヵ月ぐらいは外出を控えたほうがいいと思うけど、人間だった頃と比べてそれほど不便はないはずだから安心するといい」
「なんだ、それじゃ今までと変わらずに生活できるんだな。もう一生日の出が見られないのかと思ったよ」
太陽を恐れる必要はないと聞かされて、俺は少しだけ落ち着きを取り戻すことができた。そもそも吸血鬼なんてものにされて俺がなにより不安だったのは、今までの生活がどう変わってしまうのかということなのだ。
「伝承にある吸血鬼の弱点には、教会の連中が自分たちを権威づけるためにでっち上げた迷信も多いからね。聖水や
「まあ……そりゃそうだな」
「流水やニンニクの花が苦手だなんて話もあるが、それもそういう血統に属する者でなければ気にする必要はないものばかりだよ。だが一つだけ、あらゆる血統の吸血鬼に共通した弱点がある……それが銀だ」
「そういえば、俺が出会った
俺は先ほどアリシアさんに撃たれ、灰になった
「
「それでも傷を完全に
「うん、そうなんだ。それにきみが来てくれるまでの間にも、僕はあまりに多くの血を流しすぎていた。きみの血を致死量ギリギリまで吸わせてもらっても、まだ命の危機を脱するには至らなかったんだよ」
そう言いながら、マリーはまた傷のあったところに手を当てて軽くうつむいた。
「なんとなく話が見えてきたよ。つまりお前はあのとき、俺との約束を破って自分だけが助かるか、それとも生きるのを諦めて死を選ぶかって状況だったんだな」
「察しがいいね、まさにそのとおりだ」
「でも俺たちは今、こうして二人とも生きてる。ってことは、お前はそのどちらでもない、第三の選択をしたってことだよな? 俺を吸血鬼にしたのもそれに関係がある……というより、それ自体が第三の選択か」
「人間は体内にある血の半分を失うと死んでしまうけど、
「でもさ、結局それって人間としての俺は死んじまってるってことじゃねえのかよ?」
「……そうだね。確かに
俺が少しきつめの口調で問いかけると、マリーは心底申しわけなさそうな顔でそう言った。
ちょっと意地の悪い言い方だったろうか? 誰だって生きるか死ぬかの状況なら自分の身が可愛いものだし、こいつはそんな中でも自分が考えうる最善の方法を選んでくれたはずなのに。
「……もう一つ聞くけど、こうなったのはあくまでお前自身が思ってた以上に傷が深かったからであって、最初から俺を吸血鬼にするつもりだったわけじゃないんだよな?」
「ああ、それについては僕の命にかけて誓ってもいい。本来なら闇の口づけは双方の合意の
ふぅん、そんな
そもそもこいつを助けてやろうと決めたのは、他の誰でもない俺自身だ。
俺がこの
他人の生き死にを左右するようなことに自分から関わっておいて、望まない結果になったからといって文句を言うぐらいなら、最初から手なんか差し伸べなければいい。
「……わかった、もういいよ」
「えっ?」
「お前、俺をなんとか生かすために闇の口づけとやらをしてくれたんだろ? その気になれば自分だけが助かって、後は俺を
「う、うん」
「だったらいいさ。肝心のお前が助からなきゃ、せっかく俺が分けてやった血もそれこそ無駄になってたわけだし。吸血鬼の体ってのも想像してたほどのデメリットはないみたいだからな」
「ありがとうミツキ……。血を吸わせてもらう前にも言ったが、僕は命を救ってくれたきみの恩を絶対に忘れないよ」
マリーが胸の前で両手をぎゅっと握り締め、祈りを捧げるように目を閉じる。
うーん、あらためて見るとめちゃくちゃ可愛いなこの吸血鬼。さすがは中世から生きている
そういえば、海外には“品性のない美しさは針のついてない
「でも、これって本当に大丈夫なのか? 今日からきみは吸血鬼だなんて言われてもまるで実感がないし、体はなんかだるいままだぞ」
とりあえず今の状況に納得がいったところで、俺は先ほどから気になっていたことを
実際のところ、俺の体にはさっきのような変化が起こった後もずっと力が入らないままだ。
俺の中では吸血鬼というと鉄棒をひん曲げたりできるイメージがあるのに、これでは自分がそんな怪物になってしまったとは到底思えない。
「普通は転化すると全身に力がみなぎってくるものなんだが、きみはその前に大量の血を失っていたからね。言うなれば今は吸血鬼として瀕死の状態なんだ。血を吸えば体の調子は元に戻るし、吸血鬼本来の力も出せるようになるよ」
マリーはこういった事例にも詳しいのか、あっさりと俺の疑問に答えてくれた。
なるほど、吸血鬼になったからにはまず血で栄養を補給しなきゃいけないってことか。
「そういえば、お前らいつもどうやって人間から血を吸ってるんだ? 俺は女の子をナンパした経験なんかないし、かといって男の首筋に噛みつくなんて考えたくもないぞ。それとも病院から輸血用の血液パックでも盗んでこいってか」
「僕の血統は催眠術が使えるから、その能力が覚醒すればきみも適当な異性を誘惑できるようになるはずだよ。といっても、血を吸う相手は別に人間でなくてもいいんだ。僕なんかはいつも近所の猫に血をもらっているからね」
「ね、猫ぉ?」
「まあ、その手のことも心配しなくていい。きみが
「うーん……それならいいか」
「とりあえず今は僕の血を吸うといい。転化したばかりの
マリーがそう言いながら、ベッドに横たわった俺の上にまたがってくる。そして彼女が刃物のように尖った爪で自分の指先を引っ
「さあ、飲みなさい。これがきみにとって、
「…………」
「なんだ、恥ずかしがっているのかい? なんなら闇の母らしく、おっぱいから血を吸わせてあげようか」
マリーがいたずらっぽく笑い、年上らしく俺をからかおうとする。俺に
しかし俺がマリーの指に口をつけるのを一瞬ためらったのは、恥ずかしさからではなく驚きによるものだった。彼女の指先から
「――――っっ!」
次の瞬間、俺は
嫌悪感などまるで感じない。ただ
「あんっっ♪」
それと同時にマリーが色っぽい声を上げ、ぶるりと体を震わせる。
きっと俺が彼女に血を吸われたときと同じように、全身に快感が走ったのだろう。もしかすると、吸血鬼の牙や唾液にはなんらかの
また人間は吐血したときに自分の血で
(な、なんだ……?)
そのとき、突然俺の脳裏に妙な光景が浮かんできた。
自分の人生では目にしたことのない、中世から近世までのヨーロッパらしき風景。そしてそこで繰り広げられてきた、人々の営みや戦争の歴史。これは……マリーの記憶か?
まるで他人の夢を
俺はそれに触れたことで、一瞬のうちにマリーのことを深く理解できるようになっていた。彼女がなにを好み、なにを嫌い、どんなことで喜び、どんなことに怒りを感じるのか――マリーとは出会ったばかりのはずなのに、そういったことが何十年も共に生きた家族のようにわかる。
「お、おいミツキ、それぐらいにしておきなさい。百年以上を生きた
マリーが耳元で息を荒くしながらそう忠告してくれたが、俺はなぜか彼女の指に吸いつくのをやめられなかった。
人間は睡眠中に夢を見ているときも、それが夢だと気づかなければ自分の行動をコントロールできないことがある。まるで他人が自分の体だけを動かしているかのように、おかしな状況でもただ流されるままに受け入れてしまうのだ。
今の俺の状態もまた、そんな
「んっ…………あ…………んふぅっ……!」
俺がマリーの血を吸いはじめてから、どれだけ時間が経っただろうか。実際にはせいぜい二~三分なのかもしれないが、彼女はその間ずっと俺の上で身をくねらせ、指先から送り込まれてくる快楽に
ぱっと見には十代前半としか思えない少女、それもとびきりの美少女が目の前でこんな
そして俺はいつしかマリーの体をベッドに組み伏せ、彼女に覆い被さるようにしてその血を
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第5話あとがき
今回は予告どおり、主人公が初の吸血をするシーンになりました。
とはいえ前半はヒロインが主人公を吸血鬼にしたことへの言い訳がメインになってしまったので、それほどHな感じのシーンにはなりませんでしたね。
吸血鬼の設定については色々と「ご都合すぎない?」とか「これってどういうこと?」と感じられることもあるかと思いますが、おいおい明らかになっていくことも多いので、とりあえず保留していただけると助かります。
さて、次回のお話ですが……。主人公は暴走する吸血衝動を制御することができるのか? そして主人公が持つ吸血鬼としての意外な才能とは? という話になる予定です。
そのシーンが終わったらいよいよストーリーが大きく動きだす予定ですが、まずはその前にヒロインの家を訪れる話を書きたいと思っています。
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