第246話内政論

 秀晴率いる丹波国の軍勢が伊予国で戦果を挙げているという知らせが耳に入った頃。

 丹波亀山城に訪れた三成は、僕にとある男を紹介した。


「お初にお目にかかります。直江山城守兼続と申します」


 第一印象は狐のような男だなと思った。狡猾で油断ならない知恵者。それを上手く隠しているように見えるが、言葉の端々から感じとれた。

 いや、僕が死に近くなっているから、そういったことに鋭くなっているのかもしれない。

 見た目は美男子と言って良かった。特に目元が涼やかで泣き黒子があり、女性に好かれるだろうと思う。


「直江殿は上杉家の家老です。先生にお会いしたく、越後国から参ったのです」


 三成がそつなく説明した。


「雨竜雲之介秀昭だ。すまないね、こんな姿で」


 僕は布団の上で身体を起こして直江殿と三成に対面していた。

 身体の調子が悪くて、最近は寝てばかりだった。玄朔ははっきりと言わないが、険しい顔で危ういことは分かった。

 思ったより早く死ぬのかもしれない。そう覚悟を決めたばかりだった。


「……噂どおり、身体の調子は悪いのですね」

「遠国の越後国まで届いているとは。隠居した身でも警戒されているのかな」


 僕の率直な意見に直江殿は「雨竜殿は天下の名宰相。そうとも噂されています」と濁した。


「今や丹波国は日の本でも有数な商業地帯となっています。隣国の丹後国も恩恵を受けているらしいじゃないですか」

「京に近いからね。それに山上宗二が創った丹波焼の効果が大きい。あれで流通が良くなったし、商人も来るようになった」

「なるほど。名産品は金の成る木なのですね」

「名産品というより、文化かな……そんなことを訊くために来たのかな?」


 息切れで話すのがつらくなっていた。そんな僕を三成は唇を噛み締めて見つめていた。


「本題に入ってくれ。僕はこのとおり、病を患っている」

「……雨竜殿は新発田重家をご存知ですか?」


 僕はその者が直江殿の主君、上杉景勝に叛いた当人であることを知っていたので頷いた。


「我が主君、上杉景勝が上洛した目的は、羽柴家に臣従することと新発田討伐のための援軍を乞うためです」

「まあ僕に会いに来るためだけに、家老である君が来るわけないね」

「……一つご教授願いたい。新発田を討ち取った後、我らはどのような政をするべきか」


 僕は「越後国を統一しても、まだ重要なところを攻め取ってない」と指摘した。


「佐渡島。あそこは金が豊富に取れるという。押さえるべき要所だ」

「金の重要度は把握しておりますが、また戦を仕掛けるとなると……」

「それだけの価値がある」


 咳払いしてから、僕は三成に問う。


「三成。僕たち武士は基本的に米で俸禄が支払われるな? それは何故だ?」

「それは与えられた土地からの収入が主に米であり、給与計算が銭と比べて簡単だからです」

「そうだ。百姓はわざわざ米を銭に替えて納めたりしない。だからこそ米を基準とした物流や経済となっている」


 僕は直江殿に「ではどうして、米がここまで力を持つようになったのか」と問いかける。


「……不作を除いては、ある程度の収入を望めるからでしょうか」

「それもあるが、もっと簡単に言えば――銭が不足しているからだ」


 直江殿は三成の顔を見た。僕が何を言わんとするのか、理解できないのだろう。


「都が大和国の奈良にあった時代。日の本で初めて貨幣が流通した。和銅開珎だ。しかしこれは失敗に終わった。鋳造技術と信頼性が無かったからだ。以来、皇朝十二銭が作られたが、なかなか浸透せず、今では宋銭や明銭を輸入して使用している」


 直江殿は僕に話を真剣に聞いていた。なんとか分かろうとしていたのだ。


「秀吉が日の本を統一したら、貨幣がきちんと整備され、日の本独自の貨幣が作られる。交換比率も整えたものになる。それによって銭の価値が上がり、逆に米の価値が下がるだろう」


 直江殿は「だからこそ、銭を作るための金を産出する佐渡島を押さえろと?」と答えを示した。


「しかし、貨幣の整備と米の価値が下がるのには時間がかかります。私たちの世代では訪れないでしょう」

「なんだ。上杉家は永代に続くことを望んではいないのか?」

「…………」

「僕ならば佐渡島を秀吉に献上する」


 直江殿が驚くのを見つつ、自論を展開する。


「秀吉は金の重要さを知っている。喉から手が出るほど金山が欲しいはずさ。このまま上杉家が佐渡島を取っても、いずれ没収される。それだったら高く売れるときに売っておけばいい」

「上杉家の財政の一助になる金山を手放せと?」

「金山が無くても内政に力を入れれば豊かになるよ越後国は。それか金山の収入の一部を貰えるように交渉すればいい。実際に経営するのは越後国の大名になると思うから」


 直江殿は「私も政には優れていると自負がありましたが」と苦笑した。


「あなた様の視点は遥か高みに達している。流石、天下の名宰相ですね」

「褒めても何も出ないよ」

「しかし、あなたの考えからすると、いずれ米の価値が下がり、それを支配している武士の力が弱まる……つまり銭を持つ商人が力を持つようになりませんか?」


 ふむ。三成が連れてきたのだから、それなりに内政の才がある人間だと思っていたが、そこに気づく高い知性があるとは想像できなかった。いろいろ話しすぎたか。


「ああ。その場合は銭で俸禄を支払えばいい」

「あなたは先ほど百姓は物納するとおっしゃったのでは?」

「百姓が米を銭に替えて納める仕組みを作る。百姓は経済感覚を養う必要がある。文字の読み書きや計算ができるように教育する。そのためには寺社の力を借りることが肝要だ」

「どうして寺社なのですか?」

「僧は読み書き計算を教えられる。僕も幼き頃は政秀寺という寺で手習いしていた」


 僕は咳をして、それから二人に告げた。


「武士は土地から収入を得るのではなく、羽柴家を中心とした大名家から俸禄を受け取ることになる。つまり土地の支配者から管理者へと変化する」


 この考えは二人とも怪訝な顔をした。というより認められないみたいだった。


「それでは、武士の意味が無くなりませんか? 御恩と奉公が崩れる可能性があります」

「三成。僕は前々から考えていた。武士に土地を与えることで争いが置き、また有限であるから、分割すれば力が弱まる。だったら羽柴家や傘下の大名が土地を管理して、その代表者として武士を派遣すれば、上手くいくんじゃないかと」


 直江殿も三成も僕の言っていることを図りかねていた。


「まあそうなるためには、時間が必要だ。僕にはない」


 そう結ぶと三成は「先生、私は……」と何か言いかけた。

 三成が僕の跡を継いでくれるのなら、安心して死ねるのだけど。


「話が逸れてしまったな。直江殿、もう少し助言するなら、開墾はしたほうがいいな。聞くところによると、土地が肥えているらしいし」


 直江殿は「必ずそういたします」と頭を下げた。


「今日は喋りすぎた。もう休んでもいいかな?」

「先生。実は、殿から書状を預かっております」


 三成は直江殿に目配せした。


「……私は退座します。今日は良い勉強をさせていただきました」


 直江殿が部屋から出た後、三成が僕に書状を手渡す。


「……なるほど。秀吉に伝えてくれ。期日までに大坂城に向かうと」

「先生。その御身体では……」

「秀吉からの呼び出しに応じないわけにはいかないよ」


 三成はとても心配そうに僕を見つめた。

 僕は敢えて何も応じなかった。


 書状には、毛利輝元、吉川元春、小早川隆景が大坂城に来ると書かれていた――

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