第247話ようやく気づいた優しさの真価

 体調が少しだけ回復したので、大坂城に向かう。

 はるは最後まで心配していたけど、行かなければならなかった。

 死にゆく身でも――いや、だからこそ、秀吉の役に立ちたかった。


 揺れる輿に少々気持ち悪くなったけど、休み休み向かうことで、期日には間に合った。

 傍には弥助もついてくれた。僕の面倒や護衛をしてくれる。側近だから当たり前だけど、それでも感謝している。


 大坂城に着くと、出迎えてくれたのは加藤清正と福島正則だった。二人は感情を押し殺した顔で僕に頭を下げた。


「久しぶりだね。本当に立派になった」

「雨竜さん……」


 清正が泣きそうな声だったから「泣くな。これから羽柴家を支える武将になるんだろう」と叱った。


「でも、あんたの顔、真っ青だぜ。今にも……」

「まあ今にも死にそうだね」


 正則の指摘に僕は笑って返した。


「咳も酷いし息を吸うにも吐くにもつらい」

「だったら、どうして笑っていられるんだよ……」


 清正がとうとう泣き出してしまった。

 正則は堪えている。


「もう僕はつらいからと言って泣いたり憤ったりするのをやめたんだ」

「…………」

「そんなことをしても、僕の病が治るわけないしね」


 そのとき、柔らかい風が吹いた。

 僕たちを包み込むような、優しいものだった。


「さあ。秀吉の元へ案内しておくれ」




 秀吉は謁見の間に居るらしい。

 弥助を廊下に控えさせて、僕は襖を開けた。

 そこには秀吉だけではなく、毛利家の者が居た。

 一番前には一人の若者と二人の中年。おそらく彼らが……


「……雲之介。遅かったな」


 僕のほうをちょっと見て、それから秀吉は三人を手で指し示しながら紹介した。


「毛利輝元殿と吉川元春殿、そして小早川隆景殿だ」


 毛利輝元……確かあの毛利元就の嫡孫だと聞く。口髭を蓄えているが、他の二人と異なって、どこかおどおどしている。敵地に居るのだから仕方ないのだけど。

 吉川元春は強面の男で目を瞑っている。顔中に刻まれた皺や傷は歴戦の将の貫禄を出すことだけを手伝っている。

 小早川隆景は意外にもがっちりとした体格だった。兄弟なのだから当たり前だが、吉川殿と似ている。少々知的な雰囲気はある。そういえば、半兵衛さんと官兵衛が問答したとき、その名が出ていた気がする。


「雨竜雲之介秀昭といいます。お初にお目にかかります」


 咳をしながら頭を下げると「身体の具合が悪そうですが」と牽制するように小早川殿は言う。


「若くして隠居した理由は病ですか?」

「その問いは疑問ではなく確認のようですね」


 僕は胡坐で座った。


「失礼。もう正座では座れないので」

「…………」

「それで、毛利家の当主とその重鎮たちが来た理由は? 外交僧の安国寺恵瓊殿が羽柴家と交渉をしていると思ったが」


 秀吉に訊ねると「毛利家は従属を願い出た」と答えた。


「なるほど。それは喜ばしい」

「問題はその条件なのだが、どうしても毛利家が納得しないのだ」


 溜息を吐く秀吉に「その条件とは?」と咳をしつつ訊いた。


「周防国と長門国以外の領土の割譲。加えて吉川家の当主、吉川元春殿の隠居だ」


 それは大きく出たな……

 毛利家の本拠地である安芸国も接収するなんて。


「俺の隠居はともかく、領土の大幅な割譲は認められない」


 吉川殿が恐ろしく低い声で恫喝するような響きで言う。


「毛利家がどれだけの血を流して、ここまで領土を広げたのか……」

「ならば戦しかない。それはお分かりでしょう、兄上」


 小早川殿が吉川殿をなだめた。


「…………」

「何度も言いますが、あのとき和議を破って羽柴家を攻めたのは間違いでした」


 慎重な軍師……なるほど、官兵衛が評していたとおりだ。

 もしも、小早川殿も協力して追撃したら、僕は持ち堪えられなかっただろう。秀吉だって危うかった。

 賢いが決断できずに損するような人だろう。


「もし飲めなければ、朝敵として征伐するしかない。長宗我部家と同じくな」


 秀吉は最後通牒を告げた。

 明らかに輝元殿は動揺している。


「お、叔父上たち。ここは従うしか……」


 吉川殿は情けないと言わんばかりに首を振った。


「要求を受け入れれば、毛利家がどうなるのか、分かるだろう!」

「し、しかし――」

「兄上! 元凶となったあなたが言えることですか!」


 毛利元就の教え、三本の矢は仲が悪かった兄弟を諌めるためだと言うが……


「ごほごほ。秀吉。こちらとしては譲歩できないよね」


 僕は秀吉に確認をすると「ああ、そうだ」と頷かれた。


「吉川殿と話し合いたい」


 思わぬ言葉に吉川殿は目を剥いた。


「話し合う、だと?」


 吉川殿の呟き。

 秀吉の悲しげな表情。

 それらを一心に受けて、僕は言う。


「別室を使わせてもらう。吉川殿、いいでしょうか?」




 別室で敵愾心を露わにする吉川殿と僕は向かい合った。


「何を言っても、無駄だぞ。説得など通じん」

「まあ説得は無理でしょうね」


 僕は「下間頼廉という男を知っていますか?」と訊ねる。


「いや。知らん」

「では山中幸盛殿は知っているでしょう? あなた方に散々煮え湯を飲ませた男です」


 吉川殿は「俺の追撃で命を落としたことは知っている」と答えた。

 おそらく僕の意図が分からないのだろう。


「下間頼廉も、あなたの追撃で死にました。僕の大事な家臣です。山中殿も僕の友人でした」

「それがどうした? 今は戦国乱世、よくあることだ」

「そのよくあることを無くそうと、秀吉は頑張っています」


 僕の返しに吉川殿は「綺麗事だ」と吐き捨てた。


「ええ。綺麗事です。もしも太平の世が訪れても、人は人を殺すでしょう。物を盗んだり、暴力を振るったりするでしょう。女子供に悲しいことをする者も居る」

「…………」

「でも、戦国乱世よりは数を減らすことができる」


 表情を変えずに僕だけを見つめている吉川殿。


「吉川殿は、戦が好きですか?」

「……必要だから戦っているだけだ」

「なるほど。僕ははっきり言って、戦は嫌いです」


 人の心を動かすには、自分の気持ちを伝えなければいけない。

 正直に、真っ直ぐに、優しさをもって。

 ――なんだ。僕の優しさは役立つんじゃないか。

 今更だけど、そう思えるようになった。


「人なんて殺さずに居られれば、それで良いんです」

「だから、それを綺麗事だと言っている!」


 思いっきり畳を殴りつける吉川殿。


「人は殺し殺される! 大昔から変わっていない!」

「そうですね。それこそが真実です。だから、僕たちは変わるべきなんです」

「なんだと……?」

「殺し殺されることが不変? そんなものはまやかしです。人は変われるんです」


 僕は吉川殿に告げる。


「僕は――頼廉と山中殿の死を無駄にしない。彼らの死によって、僕は生きている。残り少ないけど、それでも生きている」


 今この場に居ることは、彼らのおかげだ。


「僕はあなたを説得するのではなく、納得してもらうためにここに居る」

「……何を馬鹿なことを言っている?」

「一つ例え話をしましょう。あなたの前には二人の男が居る。一人は満たされた世界に居るが、醜く太っている。もう一人は悪徳に塗れた世界だが、高潔で逞しい。あなたならどちらを選ぶ?」


 吉川殿は無言のまま、僕を睨んでいた。額から汗が滲んでいる。


「あなたは後者の男を選びますね?」


 答えなかったので、指摘した。


「……悪徳に塗れた世界で、高潔に居られるか!」


 吉川殿は吼えるように怒鳴った。

 僕はすかさず返した。


「だが、あなたはその者たちを――頼廉と山中殿を殺した!」


 吉川殿は――顔を歪ませた。


「まだ分かりませんか!? あなたがこれからしようとしていることは、高潔で逞しい者たちを多く殺すことなのです! 主君のため、故郷のため、家族のために戦う者を多く無駄死にさせるような戦に巻き込もうとしている! いや、してきた! それを終わらせるために、秀吉は戦では無く、交渉によって終わらそうと考えている!」


 吉川殿は何も言わず、ただ僕の顔を見つめていた。


「お願いします。どうか、秀吉に従ってください」

「……羽柴家が栄えるためではないのか?」

「否定しません。しかし羽柴家だけが栄えるのではなく、羽柴家を中心に、日の本を盛り立てようとしています」


 それから僕たちは何も言わずに、互いの顔を見合わせた。

 そして――疲れたように大きく溜息を吐いたのは、吉川殿だった。


「優れた内政官と聞いていたが、恵瓊以上の外交上手だな」

「……僕はただ、あなたの心に訴えただけです。答えを出したのは、吉川殿自身ですよ」


 吉川殿は表情を崩した。

 どうやら笑ったらしい。


「俺も焼きが回ったな。雨竜殿を信じてみようと思ってしまった」

「……吉川殿!」

「俺は、あんたの言うことに従うよ」


 そうして――僕に向かって平伏した。


「すまなかった。あんたの家臣と友人を殺してしまって」


 こうして、毛利家の従属が決まった。

 毛利家家中からは不満が出ると思うが、それは彼らの問題である。

 彼らのことは彼らに任せよう。

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