第218話夢追いし者と目覚めた者

 会議の結果だけを言えば、秀吉の大勝利だった。支配下から外れた空白地域の河内国、丹波国、山城国、大和国を自身の領地として手中に収めたのだ。また丹羽さまには松永家の旧領である大和国の一部を、池田さまには攝津国の一部を新たに割譲した。


 しかし柴田さまの領地は増えなかった。初めは長浜城を譲れと迫ってきたが行雲さまの鶴の一声で退けられた。行雲さまが秀吉の味方になってくれて本当に良かったと思う。

 それと岐阜は信孝さま、尾張は信雄さまが受け継ぐことになったが、織田家当主、つまり後継者は三法師さまにすんなりと決まった。後見人はその二人と行雲さまが引き受けることとなる。


 もちろん、これに不満を持つ者も大勢居た。柴田さまの派閥の諸将と信孝さまの家臣たちだ。その不満は秀吉の元へと集まることになるだろう。本来なら織田家の力を弱めないように協力していくのが筋だが、彼らはそんな大局的なことは考えられないのだろう。それは秀吉が明らかに権力を手中に収めようとしているからだが。


 それともう一つ、僕にとっては嬉しいことがあった。それは浅井家の再興である。


「長政。おぬしに長浜を含む北近江国を任せることにする」


 清洲城内で羽柴家に宛がわれた一室。

 この場には僕、秀長さん、官兵衛、長政、そして秀吉の五人が座っている。正勝や若い将は毛利家の進攻に備えて姫路城で留守居役をしている。

 長政は思いもかけない言葉に呆然としていた。


「そ、それは、殿……浅井家を大名として再興させるということですか?」

「そうだ。今までよく尽くしてくれた。それにわしは常々、北近江国は長政から預かっていたと思っていた。それを返すときが来たのだ」


 秀吉が猿みたいな顔をくしゃくしゃさせて笑った。


「行雲さま以下、宿老全てが賛成した。誰にも文句は言わせん」

「と、殿……! なんとお礼を申せば……!」


 長政は恐縮して頭を下げた。

 僕は長政に「良かったな! 長政!」と肩に手を置いた。


「く、雲之介! お前も喜んでくれるのか!」

「もちろんだとも。心から祝福するよ!」


 きっと本心では家や国を失ったことをずっと後悔していたんだな。

 長政の様子を見てそう思えた。


「うけけけ。だが柴田さまがこのまま黙ってるわけはねえよな」


 官兵衛が不気味に笑う。秀長さんも「そうだろうな」と頷いた。


「兄者。柴田さまが信孝さま辺りを唆したらどうする? 大義名分となる三法師さまは向こう側だぞ?」

「わしはなるべく争いたくはないが……そうも言ってられんな」


 秀吉は腕組みをして悩んでいる。

 各々、良い考えが浮かばないまま、時が過ぎる。


「……こうなったら、腹を割って話すしかないな」


 長い沈黙の後、秀吉が呟いた。


「兄者……まさか、柴田さまと話すのか? どう考えても戦うしかないのに……」

「秀長。それはわしも重々承知しておる。だがな、それでも柴田さまの本音を知っておきたい」


 秀吉は「官兵衛。柴田さまに渡りをつけてくれ」と命じた。


「秀長と雲之介。おぬしたちも同席せよ」

「……分かった」


 はっきり言えば不安で仕方なかったが、秀吉が言い出したことを尊重するのが家臣である僕の務めだ。できる限り剣呑な雰囲気にならないように支えよう。




 柴田さまは会見するにあたって二つの条件を出した。

 一つは同席するものはそれぞれ一名であること。

 そしてもう一つはそれとは別に行雲さまの同席すること。

 別段、不利な条件ではなかった。公平というか正々堂々を重んじる柴田さまらしい。

 秀吉は快く応じた。

 そして同席する者は僕に決まった。てっきり秀長さんだと思っていたが。まあ罠を仕掛けられても秀長さんが無事なら羽柴家はなんとか持つだろうという判断に違いない。


 そうして、夕刻。

 指定された部屋に秀吉と共に入ると、既に柴田さまと行雲さま、そして甥の佐久間盛政が座って待っていた。清洲会議と同様にこちらが主導権を握るには、早めに入ったほうが良かったのだが……仕方ない。


「柴田殿。お待たせしました」

「いや、構わぬ。それで――話とはなんだ?」


 僕らが座るや否や、すぐに本題を切り出す柴田さま。何気ない会話をして場をほぐそうとしていた秀吉にとっては奇襲に近い。

 先ほどから柴田さまは秀吉の考えを読んでいる。長年同じ陣営に居た味方だから、互いに思考が読み取れるのだろう。


「ずばり、柴田殿は今後、どうなさるつもりかをお聞きしたい」


 対して秀吉は迂回することも奇を衒うこともなく――真っ直ぐに堂々と切り込んだ。

 まるで無策のように、余所見をせずに正面から柴田さまを見据えた。

 柴田さまは虚を突かれた顔になったが、すぐに「曖昧な問いだな」と返す。


「なにをどうすると訊ねているのだ?」

「言葉足らずでしたな……織田家を柴田さまはどうするつもりですか?」


 秀吉はあくまで率直に問うようだ。

 柴田さまはにやりと口元を歪ませて答えた。


「無論、三法師さまを中心に織田家家中をまとめ、協力して天下統一を果たす」

「ほう……そうですか」

「貴様は、織田家をどうするつもりだ?」


 答えづらいことをはっきりと訊ね返す柴田さま。

 返答次第では、難しい立場に追い込まれるぞ、秀吉……


「織田家をどうするのか。それが問題なのですよ」


 秀吉は困ったように頭を掻いた。

 その返答に秀吉以外は呆気に取られる。


「……何を言っているのだ?」


 柴田さまがまるで馬鹿を見るように秀吉を見つめた。

 秀吉は「柴田殿を男と見込んで正直に訊ね申す」と胸を張った。


「わしは上様の跡を引き継ぎ、天下統一をし、太平の世を創りたい」


 それは言外に織田家を乗っ取ると言っているのと違いはなかった。

 佐久間盛政は目を吊り上げた。

 行雲さまは諦めたように目を閉じた。

 そして柴田さまは――


「お前は、夢の続きを見たくはないのか?」


 明らかに落胆していた。


「上様が見せてくれた、夢の続きを――皆で見ようとは思わぬのか?」


 怒るでも無く呆れるでも無く、ただただ悲しそうに秀吉を見つめる。

 対して秀吉は柴田さまに現実を突きつける。


「醒めない夢などありませぬ。それに夢を見せてくれた上様はもう死にました」

「だが、それでも――」

「我々は子どもではありませぬ!」


 秀吉ははっきりと、夢を見続けたい柴田さまに、引導を渡した。


「我らは多くの兵と民を預かる身! この清洲城で夢と野望と野心に満ち溢れていた若人ではありません! 我らは夢を見る者ではなく、民草に夢を見せる立場にあるのです!」


 秀吉は必死で、悲しげな柴田さまに、訴えた。


「どうか、お目覚めなされ、柴田殿……!」


 柴田さまは――目を閉じた。そして黙ってしまう。


「叔父貴! 言わせておいて良いんですか!? これは立派な叛意ですぜ!」


 佐久間盛政が喚いている。行雲さまも同席していることから、秀吉は逃れられない。

 だけど、再び目を開けた柴田さまはこんなことを言った。


「……もういい。羽柴筑前守。お前の気持ちはよう分かった」


 柴田さまは微かに笑った。だが疲れているようにも見えた。


「わしが言っていることは甘いのかもしれん。戦国乱世に生きる者としては、お前のほうが正しいのかもしれん」

「……柴田殿」

「だが、わしは――今更自分の道を変えることなどできん」


 僕はこのとき、秀吉と柴田さまは戦うことになるのだなと感じた。


「過去の栄光を引きずるわしでは、お前には勝てぬ。だがしかし、足掻くことはできる」

「…………」

「お前の腹、見せてもらった。それに関しては礼を言う」


 柴田さまは立って「いくぞ盛政」と甥の名を呼んだ。


「しかし叔父貴――」

「次、会うときは戦場ぞ」


 そう言い残して柴田さまは去っていく。

 佐久間盛政は悩んだが、柴田さまの後を追った。


 僕は何も話せなかった。

 柴田さまを説得することもできなかった。

 何とも情けない話だ。


「雲之介。わしは、間違っておるか?」


 行雲さまも去って、二人きりになった部屋。

 秀吉は俯いて僕に訊く。


「柴田殿の言うとおり、夢の続きを見るのが正しいのではないか? 協力し合って織田家の天下統一を目指すべきではないのか? 何より羽柴家が天下を取るという思いが罪深いものではないのか? だとしたら、わしは愚かではないか?」


 僕は秀吉の正面に座った。


「……馬鹿なことを言うな。秀吉」


 秀吉の手を握る僕。


「夢はいずれ醒めるものだって、自分で言ったじゃないか。それに間違っているなんて間違っても言っちゃいけないんだ。ついて行く家臣のためにな。秀吉は――天下人になるんだろ?」

「…………」

「罪深いと後ろ指を指されても、愚かだと馬鹿にされても、僕は一生、秀吉について行く」


 嘘偽りではなかった。

 本心からそう思っていた。

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