第二十七章 柴田

第216話外道な策

 謀反人から学ぶことはない――誰もがそう思うだろう。そもそも謀反人とは謀叛が失敗した者を指し示すと僕は思う。何故なら謀叛が成功さえすれば、文字通り成功者として天下に認められる。朝廷が一時的に明智を天下人と認定したように。謀反人とは失敗の代名詞であり、失格の代名詞でもある。そんな人間から学べることなど、何もないように思える。


 しかし――真の賢者は愚者からも何か学べるように、謀反人だからこそ学べることがあるのではないだろうか? 僕のような凡人は学ぶ努力を自分に強いる必要がある。そう信じているからこそ、明智から学ぶべきことを学んでおかねばならない。一応、上様を討ち取ったという成功もあるのだから、学ぶべきことは多いだろう。いや、成功と失敗の両方を学ばなければいけないのだ。


 明智の優れたところは果断の速さである。上様が油断なさっていたとはいえ、討ち取れたのは彼の決断力が常人以上だったことに起因する。いくら好機があったとはいえ、あの上様を弑逆することを考えられたのは凄い。それしか感想が出ないくらい凄い。凡将であれば見逃してしまうか、そもそも考えられないだろう。そのまま徳川家を滅ぼしてしまうことに専念してしまうだろう。


 しかし残念ながら――その果断の速さこそが明智の足をすくうことになってしまった。長岡家や摂津衆を味方に引き入れる時間がなかった。松永家のような有力な勢力をもっと多く引き入れられたら、秀吉は苦戦していただろう。ひょっとしたら負けていたのかもしれない。つまり長所と短所は表裏一体というわけか。以前、亡くなった半兵衛さんと官兵衛が話していたが、事を早く進める軍師は大成しないという。まずは足元を固めることが重要だ。


 だから明智から学べることは、勝ち方を考えなければいけないということだ。世間では明智の天下を『三日天下』と揶揄されているが、それはただ勝ってしまったからだと思う。後先を考えず――考えなかったからこそ上様を討ち取れたのだが――勝ってしまったから滅ぼされてしまった。まずは足元を固めて、盟友を作り、大義名分を持たなければ、天下を取ったとしても、誰もついて来ない。いくら桃源郷のような理想郷だったとしても、誰も従わず、誰も居ない天下だったら過疎地になってしまうのだ。


 だから僕は外道な策を長浜城の一室で、秀吉、長政、そしてお市さまの前で言った。事前に話していた義昭さんを交えて話した。その場で切腹を申し付けられても構わないと覚悟していた。


「そのようなことを! 娘に重荷を背負わすことなどできません!」


 真っ先にお市さまが反対した。顔を真っ赤にして、肩を怒らせて、僕に食ってかかった。当然だ。自分の娘に責任を負わせることになるんだから。

 長政も良い顔をしなかった。口には出さなかったけど、言外に反対という立場を取った。

 秀吉も難色を示した。それはそうだろう。自分の息子を好んで犠牲にしたい親など居ない。

 唯一、義昭さんだけは味方だった。


「雲之介の策は非情だ。畜生にも劣る。しかし太平の世を迎えさせるのであれば、これ以上の策はない。名分も血筋も文句はない」

「公方さま! いくら織田家を生かすためとはいえ――」

「そなたも政略のために婚姻したのではないのか?」


 義昭さんの指摘にお市さまはきゅっと口を結んだ。


「だが今ではどうだ? 浅井長政という素晴らしい夫に恵まれたではないか」

「それとこれとは別です! まるで家畜のように血を掛け合わせるなど、外道にも劣ると言っているのです!」


 それから僕を不倶戴天の仇のように睨みつける。

 初恋の人に憎悪の目で見られることはとてもつらかった。でも耐えるしかなかった。


「雲之介さん……! 私はあなたを恨みますよ……!」

「……ええ。僕も自分自身を恨みます。こんな策など思いつきたくなかった」


 僕は苦い顔をする秀吉に決断を促した。


「僕は――秀吉を天下人にしたい。そのためなら外道に落ちても構わない。もしもこの策が気に入らなければ、跳ね除けてもいい。僕はすぐさま隠居して秀晴に家督を譲る。もしくは切腹してもいいさ」

「馬鹿な……わしがおぬしに死を命じるわけがないだろう」

「ならばこの策を実行してくれ」


 秀吉は僕を哀れむような目で見つめた。まるで親とはぐれた迷子を見るような目つきだった。


「おぬしらしくないな。まったく優しさを伴わない策など」

「ああ。僕らしくないかもな」

「……長政。清洲で行なわれる会議に参加してくれ」


 秀吉の言葉に長政は「……それは策をお認めになったと見なしてよろしいのですか?」と静かに言う。

 秀吉は頷いた。


「天下人になるのは容易い。しかし太平の世を続けるためには、確固とした地盤が必要なのだ。それが血筋であり、正統性である。百姓の子であるわしには到底ないものだ」

「そのために息子を犠牲にすると?」


 長政は問う――覚悟を、本意を問う。


「上様が明智に討たれて、それが真実と知ったときから、わしは天下人になると決めたのだ。それにあのとき雲之介を犠牲にすることを選んでしまった。結果として生き残ったが、それでもそれを決断したことには変わりない」


 秀吉は僕をしんがりにしたことを深く後悔しているようだった。


「家臣を犠牲にできても息子を犠牲にできない……それは通らないだろう?」

「…………」

「それに雲之介。おぬしはどうなんだ? 上様の娘婿だろう? 十分に狙える立場にあるんじゃないのか?」


 思わぬ指摘に僕は「考えもしなかったな」と呟く。


「僕は、そういうのが無理みたいだ」

「無理、だと?」

「天下は僕の手に余る。器が狭いしね。秀吉のような度量もない」


 それに伊賀国を自分勝手に滅ぼしてしまった自分に天下を治める資格はないと考えていた。


「僕はあの日、秀吉について行くと決めたしね」

「……子どもの頃の約束を、覚えていたのか? 本当に律儀者だな」


 話がまとまりそうになったのを見て、お市さまが「まさか、お認めになるんですか?」と震える声で言う。


「お市。別に不幸になると決まったわけではないだろう」

「……長政さま。私は、反対です。茶々のためにも反対させてください」


 そう言った後、お市さまは立ち上がってその場を去ってしまった。

 僕は立ち上がろうとして、長政に止められる。


「拙者が説得してくる。お前だと逆効果になってしまうかもしれん」

「……ごめんな」


 長政は「謝るのが遅い」と言い残してお市さまを追っていく。

 残されたのは僕と秀吉と義昭さん。


「公方さまはそれでよろしいのですか?」

「ああ。私は構わんよ。自分の孫娘を嫁にやるくらい、どうってことないわ」


 僕は改めて自分の策を述べた。


「秀吉の子、石松丸を茶々と婚姻させ、織田の血を入れる。その子と足利家の子を婚姻させて、武家の棟梁にさせる……本当に悪逆で外道な策だよ」


 当人の思いなど無碍にした、政略を重視した婚姻だった。


「本当におぬしが考えたとは思えぬな」


 そう言って秀吉は「まず清洲で行なわれる会議で主導権を取らんとな」と腕組みした。


「跡継ぎは信忠さまのご子息、三法師さまに決まるだろうが、どうにかして支配地を増やさんといかん」

「それにも策があるよ」


 二人の視線が僕に集まる。


「行雲さまに協力してもらおう。その人が会議に参加してくれたら、柴田さまも文句言わないだろうし」




 翌日。僕たちは尾張国の清洲城に向かう。

 上様亡き後、諸将が集まるのに相応しい場所はここしかないだろう。

 もはや僕は外道となってしまったけど。

 はたして仏道を歩む行雲さまはどう思うのだろうか?

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