第213話明智の手紙、前半部

 私がしたためたこの文を雨竜殿が受け取る可能性は零に等しいですが、それでもあなたに届くことを祈りつつ誰かに託しました。その者が素直に渡してくれるのか、それとも届ける前に命を落としてしまうかは分かりません。この文を書くこと自体、危ういことと分かっておりましたが、雨竜殿には知ってほしいと思いました。私の強い想いとささやかな願いを。


 この文は上様に叛く前に書いております。おそらくあなたが受け取った時点で、上様か私、もしくは両方が命を落としたと思われます。未来を知る予言者ではないので、できることであれば上様を討ち、私が生きていることを願うばかりです。いや――そんな未来が想像できないからこそ、私は文を書いているのでした。自分でも呆れるほどの度胸の無さです。


 本題に入りましょう。雨竜殿が知りたがっていることを話しましょう。あなたは二点ほど気になることがあると思います。一つは何故私が謀叛を起こしたのか。もう一つは何故上様を討つことができたのか。この二つは話しておかねばなりません。もしも私が生きていれば直接お話したいのですが、雨竜殿と会えるのは今生では無い気がします。


 まず何故謀叛を起こしたのかと言えば、理由は明智家を守るためです。知ってのとおり、私は老齢です。もはや先は永くありません。一方、我が嫡男である十五郎光慶は十五になったばかりです。親であれば我が子はとても可愛いものです。子が居るあなたならご理解できるでしょう。


 しかし死が近づく身としては不安に思うことが多くなってしまいました。十五郎は若年で、私でも治めるのが難しい丹波国を十分に治めることができるのか。もしかすると難癖を付けられて領地の没収や追放されてしまうのではないかと戦々恐々しておりました。現に長年仕えた塙直政殿や家老の佐久間殿、林殿も追放されました。


 無論、私が健在であれば追放などされません。それだけの自信があります。だが子の十五郎は上様と上手くやっていけるでしょうか? 加えて信忠さまとではどうでしょうか? 私が生きていればなんとでもできます。けれど死んでしまえばどうすることもできないのです。


 そんな折、私は上様から重大な施策を聞きました。なんでも南蛮人から協力を確約されたらしく、かなりの乗り気でした。『光秀。お前には期待している』と声をかけてもらいましたが、私には処刑宣告と変わりなかったのです。その日は震えて一睡もできませんでした。


 上様は――唐入りを考えておられたのです。つまり日の本を統一したら大陸を攻めようと目論んでいたのです。


 私は日向守という官位を頂いております。羽柴筑前守殿と同じく九州の一国であります。上様は私と羽柴殿にいずれ九州へ領地替えを命じる予定であったことは予想がつきます。それを受け入れられても、日の本を統一するために戦うことができても、大陸を攻めることなど許容できませんでした。


 実際に大陸を攻めるのは上様では無く、九州の大名に任ぜられた私か羽柴殿でしょう。もしくは柴田殿かもしれませんし、丹羽殿かもしれません。しかし確実に私は選ばれる。そうなった場合、はたして私は生き残れるでしょうか? いえ、もしかすると私ではなく十五郎が攻め入ることになるかもしれません。そうなった場合、明智家の跡取りである十五郎は生き残れるのでしょうか? わずか十五才の若殿が……


 そしてこれは私の想像でしかないのですが、上様の目的は大陸の領地ではなく、出兵そのものなのかもしれません。織田家の対抗勢力となり得る外様大名を大陸へと移し、織田家の者だけで日の本を支配しようと企んでいるのではないでしょうか? だとするのであれば天下を統一し、太平の世へと導くことが、明智家の滅びへと向かわせることにならないでしょうか?


 私の中の疑惑が大きくなりましたが、最早どうすることもできませんでした。何故ならば上様は家臣の直言をまったく聞かない人だったからです。家老の私が唐入りをやめてくれと懇願しても上様は聞かぬでしょう。それどころか佐久間殿と同じく追放の憂き目に遭うかもしれません。


 だとすれば、残された道は謀叛しかありませんでした。もちろん、真っ向からの謀叛では勝てぬことは分かっております。別所や荒木の最期を見れば言わずもがなです。私が謀叛を成功させるには、数々の乗り越えなければならない困難がありました。


 まず確実に上様を討つこと。その次に信忠さまを討たねばなりません。唐入りのことは信忠さまにも伝わっているでしょう。もし上様だけを討ったとしても後継者の信忠さまが生き残れば、その方針を引き継ぐことは必定でしょう。そして朝廷の信任を得ることは忘れてはいけません。大義名分がなければ諸将や諸大名は従わぬでしょうから。無論、織田家の財力が集中している安土城も抑えなければなりませんでした。


 これらは短期間で行なわなければいけません。もし長い戦となれば柴田殿や滝川殿、そして羽柴殿が加勢に来るからです。しかし考えれば考えるほど、難儀なことでした。上様が無防備で居ることなどほとんどなかったからです。しかしながら、天は私を見捨てなかった。上様のある命令でそれらが一挙にできる好機に恵まれたのです。まさに天佑を得た気分でした。


 二つ目の疑問の答え。何故私が上様を討つ好機を得られたのか。それは上様からの直々の命令――徳川家康殿並びに重臣たちの殺害でした。

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