第212話生き残った者たち

 明智の謀叛が終わった後、僕たちは長浜城に向かった。明智に攻められたので奪い返さなければいけない。はるや雹がどうなっているのか、それも心配だった。最悪の場合、殺されてしまったのかもしれない。そう考えると――不安で仕方なかった。


 長浜城を奪い返して、周りを捜索すると、山間の大吉寺にねねさまたちが隠れているのが分かった。老兵や女しかいない状況では守ることは不可能であると、ねねさまが判断したからだ。何とも思い切ったことをする。流石だ。尊敬に値する。


 はると雹も一緒に隠れていた。特にはるは上様の娘だから人質に捕らわれてはいけないと、ねねさまが考えたらしい。もちろん、かすみやお市さまを始めとする武将たちの妻子も無事だった。本当にねねさまは素晴らしいお方だ。もう足を向けては寝られない。


「お前さま。父上が亡くなってしまったのは本当か?」


 再会して真っ先にはるが言ったのは、その言葉だった。

 はると手をつないでいる雹は不思議そうな顔で母の顔を見る。

 僕は「ああ。間違いない」と答えた。


「そうか……父上が……」


 はるはとても淋しそうに言う。

 僕ははるの肩にそっと手を置いた。


「殺しても死なない人のように思えたんだが、やはり滅せぬ者のあるべきか、か……」

「上様が好んだ『敦盛』の一節だね」

「……お前さま。私は、どうしたらいい?」


 実家である織田家がどうなるのか、物凄く不安なのだろう。心細いのだろう。

 それを払拭するために僕は力強く言う。


「今までどおりでいいんだ。はるは雨竜家の者で、僕の妻なんだから」


 はるは僕に寄り添って静かに泣いた。


「ははうえ、なかないで」


 雹も泣き出したので、抱き上げて「大丈夫だよ」と言ってあげる。

 しばらく一緒に居てあげようと思った。




 二日間、家族と過ごした。雹もだいぶ大きくなってきて、秀晴と雪隆くんと一緒に遊んでやった。島と大久保に仕事を任せて僕はゆっくりと過ごした。大久保は家財を奪われてしまったと申し訳なさそうに言ってきた。隠す暇もなかったとも言う。僕は屋敷の倉の近くの木の根元を掘るように伝えた。備えて銭を三千貫ばかり隠しておいたのだ。


「それ使って増やしておいてくれ。今まで以上に銭が必要になる」

「はあ。どうしてですか?」

「いずれ分かるよ」


 大名になるとはこの段階では言えなかった。秀吉は約束を破らないと思うが、いつになるかは分からない。

 大久保は怪訝そうな顔をしていたけど、黙って仕事をしてくれた。本当に助かるな。

 それからしんがりのときに生き残った者を雨竜家の家臣として召し使えることにした。全員、足軽大将の身分だ。そのための俸禄を秀吉にねだると「おぬしは仕方ないな」と苦笑された。


 二日が経った後、僕は京へと向かった。理由はとある人から文が届いて本能寺で会おうと言ってきたからだ。その方の呼び出しは絶対に断れない。

 それと九日後には尾張の清洲城で会議が行なわれる。織田家の後継者の決定とこの度の戦で生じた空白地帯の分配について話し合うためだ。

 できることなら多くの領地をもらえれば良いのだが、そこは秀吉と官兵衛に任せるしかない。


 京に着いて、本能寺に向かうと、そこには焼けてしまった寺の跡しかなかった。

 受け入れたと言っても実感が湧かなかった。でもそれを見て思い知らされる。

 手を合わせて拝む。上様、必ず太平の世を創ってみせます――


「兄上はさぞかし無念だろうよ。道半ばで亡くなるなんて」


 振り返るとそこには僧衣を纏った、僕を呼び出した張本人、織田長益さまが居た。


「ご無事だったんですね」

「ああ。変事のときは信忠と一緒に居たのだがな。あの馬鹿、自分は残るから叔父上逃げてくださいとかぬかしやがったんだ」


 そのまま寺内に入る長益さま。僕も後をついて行く。


「俺はふざけんじゃねえ、お前は織田家の頭領だろうが。生き残るのが仕事だろ! って言ってやったけど、信忠は悲しそうに笑ったんだ。それっきり何も言わなかったから、分かったよ。死ぬまで戦って腹を切れって言って俺は逃げたよ」

「ああ。だからあんな歌が流行っていたんですね」


 途中で童たちが歌っていた。


『織田の源五は人ではないよ お腹召せ召せ 召させておいて われは安土へ逃げるは源五 むつき二日に大水出て 織田の原なる名を流す』


「ふん。言いたい奴には言わせておけばいいさ」


 世間の評価など気にしていないという感じだ。こういうところがこの人の凄いところである。


「お前に会わせたい者が居る。時間あるか?」

「僕にですか? どなたですか?」


 長益さまは口の端を歪ませながら言った。


「お前のアミーゴだよ」




 弥助は京の南蛮寺に居た。僕を見るなり「くものすけ!」と駆け寄って僕の身体を軽々と持ち上げた。


「ぶじだったか!? よかったよかった!」

「こ、このとおり無事だから、放してくれ!」


 長益さまと共に南蛮寺の奥に案内された。どうしても話しておかねばならないことがあるらしい。


「あ、あのひのこと、はなす」


 弥助は身体を震わせて、話し始めた。


「よるだった。うまのいななきと、ひとがおおぜい、かこんでいるのがわかった。はじめ、らんまるがうえさまにほうこくした」


 弥助は震える声で言う。


「うえさまがさいしょにうたがったのは――わかだった」

「……まあ確かに状況を見ればそうかもしれないな」


 長益さまが腕組みした。


「でもらんまるがききょうのもん……あけちだっていうと、うえさまはこういった」


『俺は自ら死を招いたな――是非もなし』


「自ら死を招いた? どういう意味だ?」


 僕の問いに弥助は首を横に振った。


「わ、わからない。でもうえさま、おれにいった。のぶただをまもれと」


 長益さまは「こいつが妙覚寺に知らせに来たんだ」と説明した。


「それでおれ、たたかって。でもあけちにとらわれた」

「よく無事だったな」

「……おれは、あけちがよいのかわるいのか、わからない」


 弥助は俯いていた顔を挙げて僕と長益さまを見た。


「あけちとふたりきりになった。おれはしばられていた。あけちはおれにあたまをさげた。すまないと」

「……聞くところによると『崑崙奴は動物で何も知らず、また日の本の民でもない故、これを殺さず』と言っていたらしいが」


 長益さまの言葉にも弥助は首を横に振った。


「それはうそだって。おれをたすけるためにうそをついたと」


 明智なりに弥助を助けたかったのか?

 でもどうして?


「あけちはおれにてがみわたした。もしうりゅうどのにあったら、わたしてほしいと」


 そう言って弥助は文を懐から取り出して僕に渡す。


「文……」

「くものすけ。さいごにあけちはこういった」


 弥助の声は最早震えていなかった。


「やりたくなかった。でもわたしがこうしなければ……さいごはききとれなかった」

「どうしてだ?」

「あけちがないてしまったから」


 僕は分厚い文を前に読むべきか悩んでいた。


「雲。読んでくれ」


 長益さまは言う。

 彼は珍しく、熱のこもった顔と声だった。


「兄上と甥が死なねばならなかった理由を、俺は知らねばならない。頼む」

「――分かりました」


 僕は文を包んでいた紙を取って、読み始めた――

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