第二十六章 転変

第201話銭の力

 備中国へ進軍の準備をしている最中、その知らせは唐突に姫路城にもたらされた。


「武田家が信忠さまの軍勢により、滅びました!」


 信忠さまが総大将として武田家に攻め入り、一気に滅ぼしたという。


「あの武田家が……こうもあっさりと滅びたのか……」


 長篠の戦いを知っている正勝などは驚いたが、事情を聞いてみると領民が進んで裏切ったと知らせに来た使者が携えていた書状に書かれていた。

 送り主は長益さまだった。


 内容はこうだ。甲斐国は河川の氾濫が多く、そのため信玄堤と呼ばれる堤防などが作られた。また貧しいゆえに多くの戦を仕掛けて他国から資源を奪う方法を取っていた。だが、肝心の内政や外征を行なう銭や米はどこから徴収していたのか――答えは領民から搾り取っていたのだ。


 別紙が添付されており、それには非常に重い税の詳細が書かれていた。

 棟別銭――人や家にかける税金のことだ――が春と秋に百文ずつ、年間で計二百文支払わされていた。普通は五十文から百文が相場で、しかも臨時の場合が多いのが通例だが、これだけでも重税というのが分かる。


 また甲州法度次第では以下のように定められていた。

 逃亡、もしくは死亡した者が居れば、その者が暮らしていた郷村のものがすみやかに棟別銭を代わりに納めること。

 他所へ引っ越す者が居れば、追って棟別銭を徴収すること。

 家屋を捨てたり売却して何も仕事をしていない者には、どこまでも追って棟別銭を徴収せよ。ただし、本人に銭が無い場合は、その家屋を所有している者が代わりに納めること。

 棟別銭の免除は一切ない。ただし、死去または逃亡などで納税が二倍になった場合は申し出ること。


「こりゃひでえな。あっはっはっは」


 紙を読んでいるときに覗き込んだ官兵衛が呆れたように笑った。

 確かに逃げても銭がなくても払えとか、死んでも支払えとか。

 ひかえめに言って頭がおかしい。


 これは信玄の時代から行なわれていて、しかも勝頼の治世にはもっと多くの税が課せられていたらしい。理由は新府城という新しい城の築城のためだ。

 また長益さまはこう書いている。飯田に向かったとき、敵方が引いたと見るや、領民が自分の家に火をつけて嬉しそうにやってきたと。その者たちが言うには、織田家の領土になれば重税に苦しまなくて済む。


 領民に見放されてしまったら滅ぶのは当然だ。もちろん、勝頼が諏訪という武田家と敵対していた家の出自であるとか、長篠の戦で重臣が討たれてしまったとか。そういう理由も無くもないが、結局のところ、武田家は悪循環に陥っていたのだろう。国が貧しいから重い税金を課して、その重税のせいで国がますます貧しくなったのだ。


「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり……信玄公の言葉だが、彼自身分かっていなかったのかもしれないな」


 誰に言うまでもなく呟く。

 武田家は滅ぶべくして滅んだ。

 そして最後の敵は毛利家である。

 一層身を引き締める思いになった。




 姫路城から出陣し、まずは宇喜多家が治める備前国の岡山城に入城する。

 すると出迎えたのは凛々しい顔つきをしている子どもだった。

 周りには宇喜多家の重臣が居て、その子どもを見守っていた。


「初めまして。宇喜多家当主の八郎と申します」


 子どもとは思えないほどの落ち着きで、丁寧に秀吉へ挨拶をした。

 秀吉は感心して「将来有望な若武者だな」と笑った。


「亡くなった父は生前、もしものときは羽柴さまに頼るようにと」

「ああ、確かに約束した。困ったときはわしに何でも言え」


 そういうことを言えるのが、秀吉の度量の深さでもある。

 八郎はにっこりと笑って――直家と違う純真無垢な笑みだった――頭を下げた。


「ありがとうございます! 毛利攻め、頑張ります!」


 これで宇喜多家が裏切ることはないだろうと確認できた。


 僕たちはまず、境目七城でも特に重要な備中高松城の城主、清水宗治を調略しようとするが、失敗に終わった。交渉したのは正勝と官兵衛だったけど、にべもなく断られたらしい。


「稀に見る忠義者って感じだ。利益でも恫喝でもこちらに寝返らねえな」


 正勝は少しだけ嬉しそうに笑った。理由を訊くと「久しぶりに気持ちの良い奴に出会えた」と言う。

 仕方ないので高松城の周りの城から攻めることにする。まずは冠山城だ。これには秀晴も出陣することになった。官兵衛の息子、黒田長政の初陣がそれなので、心配でついて行くそうだ。


「無理はするなよ」

「……分かっていますよ」


 声をかけたものの、鳥取城攻め以来まともに会話をしていなかった。心配なので雪隆くんも付けた。

 結果から言えば、秀晴も黒田長政も首級を挙げることができた。立派に育ったと思うが、少しだけ不安にもなった。

 僕の息子がだんだん分からなくなる。理解ができなくなる。

 それが――少しだけ不安だった。


 冠山城に続き、宮路山城も落として、さあいよいよ高松城攻めになるわけだが、大きな問題があった。

 高松城は湿地帯にある平城――言うなれば沼城だった。城の周りを沼地に囲まれていて、兵の身動きがままならず、泥と水に足を取られたところを弓矢で狙い撃ちされる。また堀を渡る橋が押し出し式で自在に引っ込められる。渡河も困難だ。宇喜多家一万が二度攻めかかったが、いずれも敗北し、四百余りの死者を出してしまった。


「あひゃひゃひゃ! こりゃ駄目だな!」


 本陣にて軍議が行なわれた。大笑いする官兵衛に長政が「笑い事ではない!」と一喝した。


「高松城を落とせなかったら、今後の戦略が狂う! それに毛利家が援軍としてやってくる情報も入っている! 五万の大軍勢だ!」

「へへへ。分かってるよぉ。こちらも援軍を要請したんだろ? 誰が来る?」


 官兵衛の言葉に秀長さんは「明智さま、長岡さま、池田さまがやってくるはずだ」と言う。


「上様はその後、直々にやってくるらしい」

「えっへっへ。上様が? こりゃあ直接叱られるかな?」

「笑い事じゃねえよ。なあ軍師さまよ、何か良い手はねえか?」


 正勝が言うと「うーん、もうすぐ梅雨だしなあ」と天を仰ぐ官兵衛。

 ちょうどぽつぽつと小雨が降ってきた。


「ますます攻めづらくなるぜえ」

「……これ以上ぬかるんだら、動きづらくもなる」


 僕の言葉でますます暗くなる。


「なんでもいい。とにかく策を出さんと、本当に上様に叱られるぞ」


 秀吉が冗談のつもりで言ったけど、そうには聞こえなかった。


「なあ。高松城って中も沼地なのか?」


 正勝の問いに僕は「それはないんじゃないか?」と答える。


「向こうも歩きづらいだろうから、何か工夫していると思う」

「そうか。梅雨が続いたら敵も不利になるんじゃないかと思ってな」


 僕は「あはは。それはないよ」と笑う。


「雨水が浸水したら、高いところに昇ればいいんだから――」


 そう言った瞬間、秀吉と官兵衛が声を揃えて「それだ!」と叫んだ。


「雲之介! やはりおぬしは最高だ!」

「……へっ? 何が?」

「うひひひひ。前々から思ってたけどよ、発想が素晴らしいな!」

「……だから何が?」


 秀吉と官兵衛がかなり興奮している。秀長さんの顔を見ると、よく分からないという顔をしていた。


「雲之介。今ある銭と米はどのくらいだ?」

「結構あるけど……銭は二十万貫くらいで米は三万石かな。兵糧攻めになると思ったから」

「姫路城にはどのくらいの備蓄がある?」

「銭は百万貫で米は十五万石だけど……どうしたんだ?」


 秀吉は「すぐに半分ずつ輸送してくれ」と言う。


「官兵衛。堤防を作るのに、これで足りるか?」

「へへへ。報酬は土俵一俵で百文と米一俵だな」


 二人が何を言っているのかさっぱり分からない。


「殿。拙者たちにも教えてください」


 長政が問うと秀吉は「水攻めだ」と言う。


「大きな堤を作り、水を塞き止めて、高松城を沈める!」


 途方もない策に官兵衛以外は口も開けない。


「さあ忙しくなるぞ! 前代未聞の大掛かりな城攻めだ!」

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