第169話茶会と宴会

「松永さま。そして雲之介。お待ちしておりました。どうぞこちらへ」


 今井宗久の店を後にした僕と松永はお師匠さま、つまり千宗易の屋敷に訪れていた。

 松永曰く、とある男が茶会を催すらしい。ここで断ってしまうとなんだか負けを感じてしまうので、受けて立とうと思った。

 案内してくれたのは、僕の兄弟子である山上宗二さんだ。思えば久しぶりの再会だったので「お元気でしたか?」と声をかける。


「ああ。変わりない。しかし……」

「どうかなさりましたか?」


 歩きながらなので、先頭の宗二さんの表情は見えない。

 しかし声から悲しみが伝わってきた。


「志乃殿のことは、聞いている」

「…………」

「さぞつらかったな」


 ぶっきらぼうだけど、気遣ってくれるのは分かる。

 僕は「……そうですね」としか答えられなかった。

 そんな僕たちの様子を松永はにやにや笑っていた。


「お師匠さま。お二人を連れて参りました」


 茶室の襖を開ける宗二さん。

 中にはお師匠さまともう一人――


「がっはっは! あんたとはまたいつか会えると思っていたぞ!」

「なっ――」


 二の句が出ないほど、驚いた。

 本願寺攻めをしているはずの荒木村重さまがそこに居たのだ。

 いや、それを言うのなら松永も同じだ。

 一体、何を企んで――


「雲之介さま。どうぞ中へ」


 お師匠さまが何事もないように促す。この場で動揺しているのは、自分だけだった。

 なんだか度胸では負けた気がする。


「……失礼します」


 そう言って中に入り、座ることしかできなかった僕。

 松永が末席に座り、お師匠様が茶を点て始める。

 その間、誰も何も話さない。

 張り詰める空気。

 まるで高僧が読経しているのを聞いているような雰囲気。


「――どうぞ」


 お師匠様が何の気負いもなく、荒木さまの前に井戸茶碗を置く。

 名物と思わせる立派な茶碗だ。それを荒木さまは豪快ながらも作法に則って飲む。

 荒木さまが飲み終えると僕の前に置く。僕も作法通り飲む。そして松永の前にそっと置く。


「ほう。良き井戸茶碗だな」

「流石は松永殿! お分かりいただけるか!」


 嬉しそうに笑う荒木さま。


「羽柴殿に借りた三千貫で買ったのよ! がっはっは!」

「それ、返してくれるんですよね?」

「以前も言ったが、『いつか』返す予定だ!」


 ……絶対に踏み倒すつもりだ。


「ふふふ。良きものを見せてくれたな」


 松永も飲み終えて、そのまま自分の前に置いた。


「それで荒木殿。わしに何か用か?」

「おお、そうだったな。三つほど用があってな。一つは井戸茶碗の自慢よ」


 良いものを手に入れたから、他人に自慢したい。まるで子どもの発想だな。


「二つ目は松永殿に訊きたいことがあったのだ」

「ほほう。何かな?」


 どうせ茶器の話だろうと気にも留めなかったが、それを大きく裏切ることを荒木さまは言った。


「どうして――謀反を起こさない?」


 ハッとして荒木さまの顔を見る。

 荒木さまはにやにや笑っている。

 松永を見ると、すまし顔で何も言わない。


「上杉の進攻と呼応して、信貴山城で挙兵するつもりではないのか?」

「…………」

「しかしだ。この時期になってもその動きがない。上様を油断させるつもりかもしれぬが、それにしてはあまりに何もない。あんたの息子、久通殿は今も佐久間殿の組下に居るのもおかしい」


 そしてすっと笑顔を止めて、荒木さまは問う。


「あんた――牙でも折られたのかよ?」


 松永が荒木さまのほうを向く。

 目が爛々と輝き、口元は笑みで歪んでいる。


「牙は折れておらぬ。むしろ研がれた……雨竜殿にな」

「……ほう? 雨竜殿に?」


 このじいさん何言い出すんだ?

 とうとうボケたのか?


「それにまだ機は熟しておらぬ。待つさ」

「墓穴に半分足が入っている老人の言葉とは思えんな」


 皮肉交じりに荒木さまは言うと、松永は偉そうに胸を張って答えた。


「まだ若いな。いずれ時期を見て、必ず裏切る。確実なときにな」

「……僕が居るって分かってて言っているのか?」


 だとしたら舐められたものだ。

 陪臣とはいえ、織田家の者である僕の目の前で、上様を裏切ると言うなんて。


「ふふふ。貴殿は黒いものを黒と言うのか?」


 松永の余裕な声で気づく。

 松永がいずれ裏切るなんて、分かっていることじゃないか。

 行動に移していない以上、言質を取っても無駄なんだ。


「誰も信じぬよ」

「…………」

「がっはっは。なるほどな。牙を研がれたという意味がよく分かった」


 荒木さまが豪快に笑う。

 すると今度は松永が問う。


「三つ目の目的はなんだ?」

「田中宗易殿に茶器を譲ってもらおうと思ってな」


 三分の二が茶器のことじゃないか……

 いや、もしかすると松永に謀反を焚きつけたのは、奴が所有する茶器をあわよくば奪おうとしていたのではないだろうか?

 なんとも業の深い、強欲な数寄者だ。




「おう! 雲之介! 遅かったではないか!」

「…………」


 呆れてものが言えないとはこのことで。

 その原因は、集合場所である東屋に行ったら、女人を三人侍らせて酒を呑んでいる秀吉と、女人に慣れていない様子の清正と三成が顔を真っ赤にさせている光景を見たからだ。


「おう。おぬしも吞め吞め!」

「いやあ、今日はちょっと……」

「なんだ疲れているようだな? だが吞ませるぞ! 下戸とは言わせんぞ!」


 気分が高まっているのか、板間に置いた酒瓶を持ってどかどかと近づいて差し出した。

 さっきの茶会と比べて、気が抜けるなあ。


「分かったよ。落ち着いて。吞むから」


 酒瓶を受け取り、一気に吞む。

 かなり美味しいな。


「結構な上物だな。どこで手に入れたんだ?」

「津田宗及殿に貰ったのだ。伊丹の清酒で、世間では有名ではないが味はなかなかだぞ」


 ささっ座れ! と御膳の前に誘導される。

 秀吉に付いていた女人の一人が僕のほうに来るが手で制す。


「秀吉に付いてやってくれ。僕は手酌で構わない」

「そうつれないこと言わないで。さあどうぞ」


 なんか強引だな……うん? どこかで見たような……

 女人は秀吉たちに聞こえないように言う。


「はるさまには言わないでおいてあげるわ。雲之介さん」


 ……なつめか。どうやって潜り込んだんだ?

 まあ雪隆くんほどではないが、それなりに腕は立つし、他の忍びも傍に控えているであろうから、ここは安心できるな。


「清正。三成。緊張しているようだな。そんなに固くならなくていいぞ」


 二人にそう言うと清正が「こういうの慣れてねえから……」と子どものようなことを言う。

 いや、まだまだ子供か。三成も黙って頷いているし。


「初々しいのう。しかし雲之介。おぬしも知っているだろうが、津田殿も荷止めをしてくれるのだ。今井宗久殿と同じでな」

「ああ。聞いていたよ」

「まあ無駄足とは言わないが。これで上杉家攻略が楽になればの話だな」

「なんか含むような感じだな」


 秀吉は女人の一人を抱き寄せながら「上杉家の強さはなんだ?」と改まって問う。


「そりゃあ上杉謙信が戦上手なところだろう?」

「ああそうだ。それ以外に理由はない。それゆえに強く、それゆえに脆いとも言える」

「僕は内政官だ。軍事には明るくない。けど、言っている意味は分かるよ」


 内政は一人だけでは成り立たない。多くの吏僚が居ることで領地経営ができるんだ。

 軍事も同様だ。それが一人でも成立するのが上杉謙信の強みだけど――


「上杉謙信を討ち取ってしまえば、上杉家は滅ぶ」

「そのとおりだ」


 秀吉は酒を注がれた杯を一気に飲み干す。


「こちらが攻める城攻めでもなければ、守る篭城戦でもない。あの上杉謙信が得意とするところの野戦で討ち取るほかないのだ」

「酔っているのか? それが誰もできなかったから、上杉謙信は軍神の異名をほしいままにしている。あの武田信玄だってできなかったんだぞ?」


 秀吉は僕の言葉を鼻で笑う。


「だがわしと上杉謙信は会ったこともなければ戦ったこともない。可能性は無いわけではない」

「屁理屈だなあ。何の根拠もないじゃないか」


 こういう後先考えないことを言うのが秀吉だ。墨俣城のときもそうだった。

 でもそういうところが魅力的なわけで――


「秀吉がそういうのなら、僕は従うよ」


 そう言って杯を傾けた。

 秀吉も嬉しそうに傾ける。


 翌日。二日酔いの清正と三成を介抱し、南蛮商館で金平糖を購入する。

 それから五日かけて長浜城に帰ると、何やら城内が慌ただしくなっていた。

 真っ先に僕と秀吉は評定の間に向かうと、鎧姿の秀長さんが「兄者、遅かったな」と言う。


「でも間に合ってよかった」

「何があったんだ秀長」


 秀長さんは僕たちに告げた。


「上杉謙信が能登国の畠山家を攻めている。上様は彼らを助けて上杉家と戦う決断をなさったんだ」

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