第168話荷止め交渉

 評定から翌日。

 僕は家族に事情を話していた。


「というわけで、今から堺に行くことになった。留守を頼んだよ」

「……お前さまはすぐにどこかへ行ってしまうな」


 口を尖らせて不満を言うはるに困ってしまう。

 僕だってゆっくりしたいんだけどなあ。


「はるさん。わがまま言っちゃあいけませんよ。父さまは勤めのために行くのですから」

「……分かっている。晴太郎殿の言うとおりだ」


 子どもが成長するのは早いものだ。晴太郎を見ていてそう思う。

 背丈も僕と同じぐらいになっているし。


「お土産。買ってくるよ。何がいい?」

「……金平糖が良いです」


 こんふぇいとす? なんだろう? おそらく南蛮のものだろうから、ロベルトに訊けば分かるだろう。


「分かった。その金平糖を買ってくる」

「約束だぞ。お前さま」


 最後にはるの胸の中で寝ている雹の頬を触る。

 くすぐったそうにして笑っていた。


「では行ってくるよ」

「お気をつけて」


 短い言葉で出立する。

 屋敷の門をくぐる前に、玄関で控えていた丈吉たち忍びの者八人に言う。


「家族を頼む」

「はっ!」




「いやあ。相変わらず堺は栄えておるなあ!」

「……あんまり面白くないよ、秀吉」

「ははは。やっぱり気づいたか?」


 くだらない洒落を言いつつ、堺の目抜き通りを歩く秀吉。

 傍には僕と護衛のためについて来た清正と、交渉のため、算術に明るい三成が居る。

 若い二人はいささか緊張しているようだ。


「こんな大勢の人、見たことねえな」

「ああ。まるで祭りでもやっているようだ」


 ぼそりと話す二人に僕は「驚くのはまだ早い」と言う。


「堺には珍しいものが多く売られている。暇ができたら南蛮商館にでも行こう」

「お、俺は護衛だし、三成も忙しいし、そんな余裕ねえよ」


 すると秀吉は「若いのう」と笑い出す。


「雲之介、言ってやれ」

「いいか清正、三成。余裕とはあるものを見つけるのではなく、ないものから作り出すものだ」


 言われた二人は顔を見合わせて、それから三成が手を横に振って「ちょっと何を言っているのか分からないです」と呟いた。

 確かに若いなあ。

 こずるいことを覚えないと、仕事なんてやってられないぞ?


「わしは天王寺屋の津田宗及殿に会ってくる。雲之介は今井宗久だ」

「委細承知。任せてくれ」

「……雲之介さん一人で大丈夫ですか?」


 三成が心配と言うか気遣うように言う。しかし秀吉が「万事こやつに任せれば大事無い」と言ってくれたのでなんだか気恥ずかしくなった。


「いえ。護衛の者が居なくて大丈夫なのかと」

「……三成。雲之介さんを護衛している奴なら居るぜ。さっきから視線を感じる」


 おお。凄いな。なつめたち四人の気配を感じるなんて。


「やるな清正! 成長してくれて嬉しいよ!」

「頭を撫でるな! だああ! もう餓鬼じゃねえんだ!」


 秀吉が「ああ。件の甲賀衆か」と退屈そうに欠伸をした。


「おぬしのことだからぬかりないと思っていたが。それでは、交渉が終わったら、東屋という宿屋で会おうぞ」

「それも承知した」


 ということで、僕は今井宗久の店、納屋に入る。

 納屋は他の商家よりも大きく、外観も小奇麗だった。


「御免。どなたか居られるか」

「はい。ただいま」


 奥から出てきたのは、助左衛門だった。

 出世したようで着ている服が高価になっている。


「雨竜さま。これはご機嫌よろしいようで」

「そっちも元気そうだね。さっそくだけど今井宗久殿は居るかな?」

「おります。今、客間へ案内いたします」


 客間で茶を出されて、飲みながら待っていると、すっと襖が開く。

 そこには今井宗久だけではなく、他にも居た。

 ――松永弾正だ。


「おお、これは雨竜殿。貴殿も堺に居るとは。奇遇というべきかな」

「ああ。奇遇だな」


 松永は堂々と上座に座り、宗久はちょうど三角となるように座る。


「雨雲はどうだ? 大切に扱っているかな?」

「……真っ先に茶器のこととは。相変わらずの数寄者だな」


 呆れるというか、そこまで来ると尊敬に値する。


「それで、何用でここに?」

「あなたが訊くべきことではないが、一応答えよう。今井宗久殿に、上杉家の荷止めを頼みに来たんだ」


 僕が正直に言うと、松永は「少しおかしな話だな」と首を捻る。


「北陸方面軍の軍団長は柴田勝家殿だ。貴殿の仕える羽柴殿ではないはず」

「……あなたのことだから、知っているだろう。上杉の配下、軒猿が長浜で一騒動を起こしたんだ」


 悪人に対しては誤魔化しは効かない。

 ただ真っ直ぐ伝えることのみ有効だ。

 松永は顎に手を置いて、それからしばし考える。


「なるほど。上杉の力を削ぐために荷止めをするのか。まあ内政を軽視している上杉殿には効果は大だろうな。よく考えている」


 少しの間でこちらの考えを読み切っている。

 改めて恐ろしい……


「しかし遅かったな。たった今、直江津港と柏崎港への荷止めが決まった」


 一瞬、何を言っているのか分からなかったが、次の瞬間、理解する。


「……あなたが既に交渉していたのか?」

「いかにも。まあ上様の命令であったがな」


 上様の? ということは松永を通じて、今井宗久と交渉したということか。

 ならば津田宗及も同じ……


「無駄足ではない。むしろ貴殿が来たからこそ、交渉は成立したのだ」

「……意味が分からない」


 今井宗久をちらりと見ると、彼はにこやかな表情で言う。


「流石に松永さまだけのお頼みでしたら、他の商家を説得することは難しいでしょうが、羽柴さまのお頼みでしたら、聞かざるを得ないでしょう」

「堺の豪商の中には、簡単に言うことを聞くものが少ない。まあそういうことだ」


 まあつまり、多くの方面から圧力をかけられたという事実が必要なのだ。

 それが理由となり、名分となる。商家らしい処世術だ。


「今井宗久殿。悪いが少し席を外してほしい」

「承知いたしました」


 今井宗久が中座し、僕と松永の二人きりとなる。


「ふふふ。紀州平定、おめでとうと言っておこう」

「ありがたいとだけ答えておく」

「これでわしが、謀反を起こすことはなくなった」


 そう言って笑う松永。

 僕は笑わずに「これで従い続けるんだな」と念を押す。


「さあな。わしが素直に約束を守ると思うか?」

「思わない。いずれ起こすと思うが……近い将来ではないだろう?」


 松永は「貴殿の言うとおりだ」と溜息を吐く。


「裏切り。それこそがわしの生き方だ。人生そのものだ。自分より弱き者をねじ伏せ、自分より強き者に背く。強弱関係なく、善悪関係なく、ただただ裏切り続けた」


 裏切ることが快感になっているのか。それとも他の生き方ができないのか。

 僕には判断できなかった。


「翻って雨竜殿はどうだ? 主君のために尽くし、裏切ることなく、忠義に生きる」

「そんな立派な生き方をしているわけではない」

「わしから見れば眩しくて真っ直ぐ見れない」


 そこで松永は「羨ましくはないが、恐ろしくある」と珍しく本音を話した。


「戦国乱世、下克上の時代。成り上がることが正義である中、貴殿は明るい道を歩んできている」


 それは僕の内面を知らないからだ。

 気を狂わせた母。狂わせた張本人の父。そして僕を殺そうとした祖父。

 たった一人で生きてきた孤独。

 そして志乃の死。

 決して明るい道を歩んだわけじゃない。


「違う。僕だって戦国乱世を生きてきたんだ。明るく生きてきたわけじゃない」

「…………」

「志乃が……妻が死んだとき、胸が張り裂けそうだった」


 だから目の前の悪人に言ってやる。


「誰だって暗い道を歩んでいる。汚いことをしている。後ろめたいこともしている。松永殿だけじゃない」


 最後に、松永に言い放った。


「長く生きているからって、なんでも分かった風で居るなよ。じいさん」

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