第157話上杉の策略

 半兵衛さんの予想通り、一向宗は連日力攻めをした。まるで余裕がないと言わんばかりの総攻撃だった。

 しかし北ノ庄城は堅固な要害の地。加えて指揮を執っている秀長さんと軍師の半兵衛さんのおかげで、今の日の本で一番落としにくい堅城となっている。

 また夜明け前の夜襲を初日に行なったことで、相手は満足に寝られない。このまま守りきれば撤退するはずだ。現に一向宗の士気は落ちている。


 そして篭城して五日後。


「柴田さまの軍が見えました! もうすぐ一向宗と交戦します!」


 物見の報告でホッと一息を吐く。


「何ぼさっとしているのよ! 雲之介ちゃん!」


 鎧を着込んだ半兵衛さんが僕の背中を思いっきり叩く。


「柴田さまと連携して一向宗を殲滅するわよ!」

「そこまでするのか? もう僕たちの仕事は終わったんじゃないのか?」

「何言ってるのよ? 一向宗の脅威を取り除く機会じゃない!」


 咳を一つしてから周りに居た若い将たちにも言う。


「出陣するわよ! 今まで攻められてた鬱憤を晴らすんだから!」


 清正と正則は応じるように「おう!」と叫んだ。

 まったく、血気盛んなところは変わらないな。

 というわけで四千の兵で柴田さまと共に一向宗を挟み撃ちした。敵方は散り散りになり、あれでは軍を再編することは不可能に近いな。

 またこの戦で島が手柄を上げた。一向宗を率いていた朝倉景鏡を生け捕りにしたのだ。


「すまなかったな。礼を言う」


 城に入った柴田さまが秀長さんに謝罪をした。


「いえ。柴田さまがいち早く帰還されたおかげで守りきれました」

「兄と違って謙虚な男だな」

「そうでないと兄者の補佐はできませんから」


 それを聞いてにやりと笑う柴田さま。


「こやつ、言いよるわ! さて。捕らえたこやつ、どうしてくれようか……」


 そう言って柴田さまは景鏡を睨みつける。

 その傍で長政は怒りをこらえている。


「…………」


 捕縛されて身動きできない景鏡は何も言わず、ただ俯いていた。


「主家を裏切り、浅井久政殿を死に追いやった大罪人。ま、打ち首が妥当だと思うが」

「そうですな。柴田さまのおっしゃるとおりでよろしいかと」


 柴田さまは顎で兵士に合図を送った。このまま処刑されるのだ。


「――待ってください」


 兵士が動きを止めた。

 長政が景鏡の目の前に歩み寄る。


「何を――」

「柴田さま。少しお待ちを」


 柴田さまを制すように僕は声をあげた。

 長政はふうっと溜息を吐いた。

 そして――問う。


「どうして、義景殿を裏切った?」


 景鏡は――答えた。


「……織田家と足利家が上洛を促したからだ」


 それは死を覚悟した者の目と声だった。


「一向宗によって国内は不安定だった。そのような状態の中、上洛などできぬ。加えて織田家は家格の低い家。従うなど矜持が許さなかった」

「だからと言って――」

「私は己の判断を間違えたとは思わぬ」


 毅然として景鏡は言う。


「越前国を豊かにするために、私はなんでもした。しかし、要求に従えば越前国が織田家に支配されることは明白だった。だから、主君を裏切ったのだ」


 迷いのない言葉だと思われた。だが景鏡は「一つだけ後悔していることがある」と小さく零した。


「久政殿のことだ。そのお方を死に追いやったことは愚かしいことだった。できることなら死なせずに協力させるべきだった。結局、あの方の死によって朝倉家は滅んでしまった……」


 そして真っ直ぐ長政を見つめる。


「おそらくおぬしに謝っても許してくれぬだろう。それにどうせ私は地獄に落ちる。極楽浄土に居られる久政殿や義景さまには会えぬ。だがこれで良い。これが裏切り者の末路だ」

「景鏡殿……」

「さあもう良いだろう。さっさと首を撥ねられよ」


 柴田さまは「速やかに首を跳ねよ」と兵に命じた。

 長政は黙って見送った。


 こうして裏切り者の景鏡は世を去った。

 しかし心が晴れたとは思えなかった。


「羽柴家の者たちには話しておかねばならぬな」


 柴田さまは僕たちに経緯を話した。


「加賀本願寺は――上杉家に利用されたのだ」

「どういうことですか?」


 秀長さんの問いに柴田さまは苦い顔で言う。


「上杉家は加賀一向宗と共に我らを攻める様子を見せていたが、実際、あやつらの狙いは、加賀国ではなく越中国だったのだ」

「越中国!? もしかして、そのために織田家をけしかけたの!?」


 いち早く理解した半兵衛さんはほとんど悲鳴に近い声をあげた。

 柴田さまは「竹中の言うとおりだ」と肯定した。


「一向宗は越中国も支配している。今回の戦は越中国の一向宗を加賀国に出兵させて、少なくさせた上で進攻することが目的だったのだ」


 それが本当だとするのなら――僕たちも利用されたわけだ。


「おいおい。上杉謙信ってのは義将だって噂だったけどよ。これじゃあまるで夜盗のやり口と一緒じゃあねえか」


 正勝の言うとおりだった。吐き気がするほどの邪道な戦略だ。


「しかし結果として加賀国の半分は手に入れられた。こちらは得をしたようにも思える」


 結果論だけどそのとおりでもある。前向きに考えれば柴田さまのように考えられる。

 でも稀代の軍師、竹中半兵衛の考えは違っていた。


「柴田さま。あなた、舐められているわよ?」


 その言葉に柴田さま配下の武将や与力が反発した。


「舐められているだと!? ふざけるな!」

「無礼だぞ!」


 罵声が飛ぶが柴田さまが手を挙げると次第に静まる。


「竹中。舐められているとはどういうことだ?」

「あたしが上杉謙信なら、二方面攻撃をするわ。越中国を攻めることと織田家を攻めること。一向宗が織田家を攻めるのに協力しているのだから、両方達成するのは容易いわ。ましてや上杉謙信なら余裕でしょう」


 柴田さまは「ではなぜそうしなかった?」と半兵衛さんに問う。


「公平じゃないからよ」

「公平ではない?」

「さっき正勝ちゃんも言ったと思うけど、上杉謙信は義将と誉れ高い大名よ。ちょっと上杉謙信になったつもりで考えましょう」


 半兵衛さんは真剣な表情で語る。


「織田家とその重臣、柴田勝家をここで葬ってしまうのは――容易いがつまらない」

「つ、つまらない――」

「加賀国を織田家に渡せば、もう少し楽しい戦ができそうだ――と考えたはずよ」


 全員が唖然とした。誰も言葉が出なかった。

 柴田さまの顔が真っ赤に染まっている。


「だから最初に言ったとおり。柴田さま、あなたは――舐められている」


 柴田さまは――赤を通り越して真っ青になっていた。


「こ、このわしを、小者扱いしているのか……ふざけるな!」


 その怒鳴り声は一同を震撼させるのに十分な声量だった。


「利家! 成政! すぐに加賀国を平定する! 軍備を整えろ!」


 与力の前田さまと佐々さまは蒼白な表情で「承知!」と言う。

 彼らも怒りを感じているのだろう。


「し、柴田さま。私たちはこれにて、長浜城に帰還します」

「ああ? そうだな。ご苦労だった」


 このままだと戦に巻き込まれると思った秀長さん。見事に回避できた。

 慌ただしくなった城内。

 僕は半兵衛さんに疑惑の目を向けていた。




「半兵衛さん。上杉謙信の狙いは本当なのか?」

「さあね。あたしには分からないわ」


 帰還の道中、僕は半兵衛さんに訊ねた。

 けれど、とぼけられた。


「おいおい。兄弟、どういうことだ?」


 隣に居た正勝は気になったのか会話に参加してきた。


「正勝の兄さん。半兵衛さんが柴田さまに話したことは推測に過ぎない。だって二方面攻撃ができるほどの余裕があればの前提だからね」

「あー、確かに。越中国を手中に収めるんだから大勢の兵は必要だしな」


 言われてみればという風に納得する正勝。

 そして彼もまた疑惑の目を向ける。


「まさか、柴田さまを挑発するために言ったのか?」

「それこそまさかよ。そんなことをしてあたしに利益があるの?」


 僕は「半兵衛さんには無くても秀吉にはあるだろう」と言う。


「怒りに任せて攻める。そんなので勝てるほど戦は甘くない。柴田さまが失策すれば秀吉が出世する機会があるからな」


 図星だったらしく、半兵衛さんは「今の秀吉ちゃんは危ういわ」と溜息を吐いた。


「柴田さまは北陸の方面軍。明智さまは国攻め。佐久間さまは大坂。それに比べて、今の秀吉ちゃんは遊軍扱いが多いわ」

「それはそうだけど」

「秀吉ちゃんに大きな仕事をあげたいのよね」


 軍師は主君のために動くもの。

 たとえ他者に不利益があったとしても。


「でもまあ、上杉家が二方面作戦を考えてなかったなんて、証拠はないし」

「それって詭弁だと思うぜ」


 正勝の言うとおりだ。


「秀吉ちゃん、中国辺りの攻略任されないかしら? 無理よねえ。荒木さまがいらっしゃるもの……」


 半兵衛さんは切なそうに呟く。

 僕もそうだろうと思っていた。

 どうしたものか……

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