第156話北ノ庄篭城戦

 唐突だがどう考えても絶体絶命の窮地に陥ってしまった。

 一向宗が僕たち羽柴家の軍が篭もる柴田さまの本拠地、北ノ庄城に攻め上るという情報が先ほど物見から報告された。

 その数は――三万を超えるという。


「……とんだ貧乏くじを引かされちゃったわね」


 半兵衛さんの口に出した思いはこの場に居る全員同じだった。

 こちらの軍勢は八千しか居ない。

 本当に――窮地に立たされた。


「さて。こうなった経緯を子飼い――いや、元服したからこの言い方は駄目だな――若い将にも説明しよう」


 秀長さんが苦渋に満ちた表情で清正たちに言う。


「援軍として参陣した私たちだが、柴田さまは自らの軍と与力たちで加賀へと攻め入ってしまった。要するに私たちは留守居役ということになる。当初はこちらには一向宗は来ないと思っていたが――来てしまった」


 若い将の一同は暗い顔をしている。まあ戦の経験が少ないのにこんな状況に追いやられてしまったのだから。

 軍議に出ているのは僕と秀長さん、半兵衛さんと長政。そして若い将である清正と正則、三成と吉継と昭政だ。正勝は兵士たちの様子を見てくれている。


「どうして加賀の一向宗が本拠地を捨てて北ノ庄に攻め入るのか。理由は明白だ。加賀の後ろに上杉家が居るからだ。上杉家が柴田さまと戦う間に北ノ庄を攻めてしまおうという腹だな」

「敵ながら妙手よね。この事態に柴田さまが気づいて引き返してくれればなんとかなるけど」


 半兵衛さんの冷静な分析。

 すると正則が「それで、どうするんだ?」と震える声で問う。


「外に出て戦うのか?」

「野戦は論外よ。いくら一向宗が脆弱だとしてもね」


 否定する半兵衛さんに長政が「となると篭城だな」と静かに呟く。


「篭城!? そんな勝ち目はあるのか?」


 清正が激しく動揺する。他の若い将たちも同様だった。


「雲之介ちゃん。城の兵糧はどうなっているの?」

「うん? 柴田さまがほとんど持って行ったからなあ。十日持てば十分じゃないか?」


 その言葉に若い将は青ざめる。


「十日しか持たない……どうすれば良いのですか!?」

「昭政。落ち着け」


 長政が叱るけど「だってそうでしょう父上!」と喚く昭政。


「八千で、三万の兵から城を守るって――できるわけないですよ!?」

「はあ? できるわよ?」


 半兵衛さんの気の抜けた声に、若い将たちは一瞬、分からなかったけど、次の瞬間理解する。


「はあ!? できるのかよ!?」

「何よ清正ちゃん。できるに決まってるでしょう?」

「ならなんで深刻そうな雰囲気だったんだよ!」


 正則も喚くと「戦なんだから真剣にもなるでしょ」ともっともらしいことを言う。


「……しかし、どう考えても絶体絶命の窮地ですよね?」

「そうね、三成ちゃん。どう考えても絶体絶命よ」

「では、竹中さまはどう乗り切るつもりですか?」


 三成の再度の問いに「もちろん篭城よ」と笑った。


「消極的な篭城じゃないわ。夜襲も行なう」

「相手が兵糧攻めしたりしたら?」

「既に柴田さまに報告済みよ。兵糧が尽くまでには戻って来るわ。それに相手は馬鹿みたいに力攻めしてくる」


 吉継が「後学のために教えてください」と訊ねる。


「どうして力攻めなんですか?」

「いくら柴田さまが上杉家と戦っていると言っても、北ノ庄が窮地という知らせを聞いたら引き返すだろうと誰だって思うわ。だから早めに落とそうと焦る。そこにつけ込むのよ」

「……なるほど」


 うん。少しは若い将たちも冷静になったかな。


「雲之介さんは、初めから大丈夫だって分かっていたのか?」


 清正が少しだけ怒った口調で訊ねる。

 僕は「うん。分かってたよ」とあっさりと言う。


「本当にどうしようもなければ、こうして落ち着いて軍議できないよ」

「そ、そりゃあそうだけど……秀長さまはどうして渋い顔を?」


 秀長さんは「援軍なのに篭城の将になってしまったからだ」と嫌そうな顔で言う。


「柴田さまは手柄を立てさせないように私たちをここに残したのだ。そんな人間が篭城を成功させてしまったら、兄者だけではなく私も睨まれてしまうだろう?」

「それはお気の毒ですね」

「雲之介くん。他人事のように聞こえるけど?」


 溜息を吐く秀長さんに「そろそろ秀長さんも疎まれましょうよ」とにこやかに言う。


「今まで秀吉の影に隠れて、そういうのに縁がなかったんですから」

「そういうのは雲之介くんの仕事だろう?」

「そろそろ変わってほしいなあって思ってたんです。さあ、年貢の納め時ですよ」

「……私は元々農民の子だったのになあ。どうしてこうなったんだろ?」

「全部秀吉のせいですね」

「ああ、まったくだ。厄介な兄を持ったものだよ……」


 半兵衛さんがぱあんと手を叩いた。


「くだらない話は終わり。それじゃあ具体的な策を言うわよ」


 半兵衛さんは素早くそれぞれの配備と役割を告げていく。

 的確かつ効果的な指示に若い将は圧倒されて何も言えない。


「はい。何か意見私見異論反論ある? 無ければ持ち場について」

「一つだけ、訊ねてもいいですか?」


 吉継は半兵衛さんに問う。


「篭城戦を手馴れているようですけど、どうしてそこまで……」

「そうねえ。あたしが十二か十三のとき、斎藤道三が義龍に謀反されちゃったのよ。そのとき道三側に着いた父の代わりに篭城戦をすることになったのよ」


 この話は何度か聞かされたことのある、自慢話だった。

 若い将は初耳らしく顔を見合わせた。


「もう大変だったのよ! 兵たちは逃げ出そうとするし!」

「そ、それは大変ですね……」

「初陣だったし」

「う、初陣!? 初めてが篭城戦!?」

「ええ。だけど勝ったわ」

「す、凄いこの人!」


 これが脚色なく事実だというのだから恐ろしい話である。


「みんな。そのときの戦のせいで、半兵衛さんに女装癖ができたんだ」

「そ、そうなんですか!?」

「嘘吐かないでよ雲之介ちゃん! これは元々よ!」


 清正は「改めてあんたたち変だよな……」と頭を抱える。

 うん? あんたたち?

 僕も含まれているのかな?


「本当に勝てるのか疑問だぜ……」

「勝つに決まっているじゃない。馬鹿言わないで。ああ、吉継ちゃん。雲之介ちゃんが変な茶々入れたから、話逸れたけど」


 半兵衛さんはにっこりと微笑んだ。


「あたしは篭城戦に手馴れているわけじゃなくて、全ての戦に手馴れているのよ」

「…………」

「このあたしが守る城を攻めるのにたった三万? 少ないわねえ。どうせなら百万くらい連れてきなさいよ」


 不敵な笑いを浮かべる半兵衛さんに正則は「……怖ええ」と呟いた。

 他の若い将も同じように思ったようだ。

 そのとき正勝が帰ってきて「一向宗が来てるぜ」と言う。


「数刻後には攻めかかってきそうだ」

「分かった。みんな、雑談は終わりだ! 一向宗を迎え討とう!」


 秀長さんの言葉で軍議は終わった。

 僕は自分の持ち場につく。

 今回は雪隆くんと島が来てくれている。大久保と頼廉は留守番だ。


「夜襲なら俺も参加したい」

「そういえば、初めて会ったときは夜襲だったね」

「それだと野州みたいに聞こえるな」

「あははは。確かに」


 つまらない洒落で笑いあって、それから目前に迫った一向宗三万を見据える。

 十日のうちに、柴田さまは引き返してくるのか。

 上杉家はどう動くのか。

 それは未だに分からない。

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