第153話僧侶と隠居、そして内政官

 天王寺での戦からすぐのこと。

 僕は義昭さんと共に、石山本願寺へと入城した――寺なのに入城したと言ってしまったが、これは誤りではない。以前よりも堅牢な寺院になっている。もはや城と言っても不自然ではない。


「私も元は僧侶だ。しかしここまで武を隠そうとしない寺は初めてだ」


 案内された謁見の間と思われる奥の部屋で、ひそひそ声で耳打ちする義昭さん。


「ええ。これも一向宗が好戦的な証でしょう」

「嘆かわしい。古来より仏法僧を敬えというが……これはやりすぎだ」


 そんな会話をしていると、襖が開いて僧侶が二人入ってきた。

 一人は石山本願寺住職、本願寺顕如。

 以前会ったときよりも少しだけ痩せている。

 もう一人は会ったことがない僧侶だ。隆々とした筋肉。眼光が鋭くきつく口が結ばれている。とても人が良いとは思えない。


「ご無沙汰しております。公方さま――いえ、今はご隠居さまと呼べば良いですか?」

「それで構わぬ。私は一介の隠居だと思ってくれればいい」


 上座に座る顕如だが、こちらをある程度は配慮してくれるようだ。

 筋肉隆々の僧が「そちらの方は、拙僧は初めてですな」と渋い声で言う。


「雨竜雲之介秀昭と申します」


 すっと頭を下げると「ああ。あの高名な……」と呟く。


「拙僧は下間頼廉と申します」

「下間……ということは」

「頼旦のことを言っているのなら、お気になさらず。あいつは――おそらく後悔はなかったでしょう」


 手を合わせて祈る頼廉。

 それに応ずるように「伊勢長島では慈悲をかけてくださったんですね」と顕如は笑った。


「我が門徒を救っていただいたと解釈してもよろしいですか?」

「いえ。先ほどの頼旦殿を死に追いやったのは、僕ですから」


 暗に貸し借りの問題にする気はないと言うと顕如は「そうですか」と悲しげに呟く。


「それで、交渉の話ですが、こちらとしては退去などできません」

「……ま、そなたらはそう言うしかあるまい。しかし王法為本の教えはどうなる?」

「それは異なこと。それに従って織田家と戦わせたのは――ご隠居さまの家臣ではありませんか」


 顕如の鋭い返しに「まあそれはそうだが」と苦笑する義昭さん。


「家臣の暴走を止められなかったのは汗顔の至りだが、その家臣は反省して名を捨てた。また首謀者である二条兼良は討たれた。これに免じて、織田殿に従ってくれぬか?」

「なんとも身勝手な言い草ですね。どれもこれも、あなた方の勝手な都合でしょう?」


 まあ無理を押しているのはこっちだから、何も言いようはないけど。

 それでも無理を道理にするのが交渉だ。


「僕にはよく分からない。どうして今も上様に逆らうのか。大義名分もなく、実利もない。このまま戦っても、勝てぬと分かっているのに――どうしてそんなことが分からないのですか?」

「ふふふ。理解できぬのに理解してもらおうと思うことこそ、傲慢ですよ」


 流石に口が上手い。到底敵わないがそれでも光明が見えた。


「本願寺殿と下間殿は頑迷な僧ではないと思います。このまま戦っても益はないことは理解できるはずです。それに先の長篠での戦でもはや織田家を討ち滅ぼせる大名は居ないことは――お分かりでしょう?」

「武田家が居なくとも、上杉や毛利が居ます」

「確かに戦上手だと思いますが――それでも致命的な欠点はありますよ」


 内政官としての見地から上杉家と毛利家の弱いところが分かる。


「上杉家と毛利家は――内政があまりよろしくない」


 僕の言葉に、顕如は動揺をしなかったけど、頼廉は僅かに表情を歪めた。

 そこを畳みかける。


「まず上杉ですが、北陸の要路を押さえているのに、それほど栄えていない。当主の上杉謙信には政治の才はなく、ただ無謀な関東出兵をしているだけの無能な為政者です。上杉家が戦い続けて居られるのは、佐渡金山と少しばかりの美田があるだけです」


 僕の言葉に異議を唱える者は居なかった。


「次に毛利家ですが、元就殿の息子である隆元殿には内政の才がありましたが、既に亡くなっております。毛利を支える両川、吉川元春殿と小早川隆景殿は戦は強いが政治の才はあまりなく、現当主の毛利輝元殿は天下を治める器ではありません」


 そしてとどめとなる一言を言う。


「それに比べて織田家は畿内の大部分を制し、京を押さえています。また日の本一の商業都市、堺を手中に収めています。そこから生み出される銭で武具や兵を仕入れ、最新の武器である鉄砲を買い集めています。動員できる兵士は十万はくだらないでしょう。いくら本願寺が数多く信者を集めたとしても――勝ち目はありません」


 さあ、どう出る? 本願寺顕如!


「……いくら理路整然とした言葉を聞いても、決意は変わりません」


 顕如は――それでも折れなかった。


「私たちについて来てくれた門徒のためにも、諦めるわけにはいかないのですよ」

「その結果、大勢死んでも構わないと?」


 顕如は――何も言えなかった。苦悩していたと思う。

 頼廉も黙り込んだままだった。


「はあ。仕方ないな。これでは交渉にならん」


 場の雰囲気を壊すような気の抜けた声を出したのは義昭さんだった。


「顕如殿。そなたの気持ちも分かる。父祖代々の土地を寄越せと言っても易々と納得はできまい」

「……ええ。そうですね」

「しかし、浄土真宗の教えを説くのは、この土地でなくともできるだろう。かつてそなたの先達、本願寺蓮如殿は各地を転々としながらも布教に励んだではないか」

「ですから、その言い分が勝手だと――」

「分かっておる。だが、そこをどうか、曲げていただきたい!」


 ここで義昭さんは貴人にあるまじき行動を取った。

 平伏し頭を下げたのだ。


「義昭さん!? 何を――」

「今の私は足利義昭ではない。ただの隠居だ」


 そのままの姿勢で義昭さんは言う。


「私が隠居したのは、織田家に懸けているからだ! 太平の世を築くことができるのは、織田家しかないと確信している! だから顕如殿も織田家に懸けてくれ! 必ず織田家は日の本を平定する! そのためにどうか、どうか――協力してくれ……!」


 必死の懇願に僕も同じように頭を下げた。

 顕如は何も言わない。

 頼廉も何も言わない。


 そのまま沈黙が続いた後、ようやく顕如は言った。


「ご隠居さまにそこまでされて、道理を説かれてしまえば、もはや何も言えますまい……」


 その言葉に義昭さんは「それでは?」と言う。

 頭を上げると顕如は笑っていた。


「本願寺は織田家に降伏します。頼廉、準備をしてください」

「……よろしいのですか? 法主さま」


 顕如は「よろしいとかそういう問題ではありません」と言う。


「ここまでされて、動かないのは僧にあらず。誠意を込めた相手を無碍にすること、仏法に叛きます。これまで戦ってくれた門徒の方々には申し訳ございませんがね」

「……かしこまりました。それでは加賀にもその旨、伝えます」


 義昭さんは「顕如殿! 感謝いたす!」と再び平伏した。

 顕如は「ご隠居さま、そのようなことをしないでください」と手を差し伸べた。


「あなたさまの覚悟で凝り固まった頭がほぐれました。ありがとうございます」




 降伏の条件は以下のとおり。

 一つ、浄土真宗は石山本願寺から退去。

 一つ、本願寺顕如は紀伊国鷺森別院に移る。

 一つ、織田家領内での布教はその土地の領主の許可を取ること。


 細々した条件はあるが、主だったのはこの三条だ。


 しかしあっさりとは行かなかった。

 浄土真宗内でもこの決定に納得しなかった者も居る。その者たちは加賀国へ向かったり、畿内に散らばったりした。

 また各地で一揆が多発することになる。良いこと尽くめではなかった。


 本願寺の降伏で、一気に織田家の天下統一が見えてきた。

 それは素直に喜んでいいだろう――と思っていた。

 僕は、思い違いをしていたのだ。

 いや見誤っていたのだ。

 本願寺顕如という統制者が居なくなった、浄土真宗の暴走を、僕は予想できなかったんだ。

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