第152話天王寺の戦い

 河内国若江で上様は諸将と兵が集まるのを待っていた。

 急な出陣で現在五百しか集まらなかった――敵は一万五千だと聞く。これでは勝負にならない。

 しかし遅れてやってきたのは、松永と長岡さまという犬猿の仲の二人。そしてかなり遅れて佐久間さまがやってきた。

 明智さまが篭もっている天王寺砦からはもう保つことができないと何度も書状が来ていた――危うい。


「もう待てぬ! 出陣いたす!」


 上様がそう決断したのは、もう天王寺砦が陥落寸前だと知らされたときだった。三千の兵しか集まらず、この兵数のみで救出に向かうという。


「上様! 無謀にございます! お考えをお改めくだされ!」


 諸将を集めて下知を下したとき、ここでも佐久間さまは頑強に反対した。理由は分かる。秀吉を始めとする織田家の重臣がかなり集まっていたからだ。これが一網打尽に討たれてしまえば、織田家は終わってしまう。


「うるさい! 今行かねば、光秀を失うことになる!」

「さりとて――我らも得がたき家臣ですぞ!?」


 佐久間さまの言葉に上様が怒気を孕んだ目をした。

 そして何も言わなくなった。この沈黙が恐ろしかった。諸将全員がごくりと唾を飲み込んだ。


「……ここは出陣すべきかと存じます」


 勇気を出して僕は言った。

 上様は「……申してみよ」と何の感情を込めずに言う。


「明智さまは織田家重臣。見捨てたとあれば家中の不信を買います。それに明智さま自身を失うのも惜しい。あの方は天下統一に必要なお方です」

「陪臣風情が……! 何を申すか!」


 佐久間さまが怒鳴りつけるけど、上様は「雲之介の言うとおりだ」と立ち上がる。


「行くぞ! 光秀を救う! 全軍、一心不乱に天王寺砦に向かえ!」


 こうして出陣が決まった。

 佐久間さまは僕を睨んでいたけど、ああ言わないと佐久間さまが処分されてしまう可能性があった。ま、恨まれる矛先が僕でも構わない。


「うーん。無理にでも半兵衛を連れてくるべきだったか」


 秀吉と僕は第二陣に配置された。

 僕もそう思うけど、仕方がない。


「僕じゃあ頼りないけど、全力を尽くすよ」

「そういう意味ではない。おぬしには期待しているぞ。主に鉄砲の腕をな」


 そう言って肩に手を置く秀吉。

 まったく、口だけは上手いんだから。


「一向宗門徒はたいしたことはない。問題は雑賀衆だ」

「雑賀孫市か……厄介だな。秀吉、何か対策はあるか?」


 秀吉は「弾が当たらぬように祈るしかないな」と笑った。


「誰に祈るんだ? まさか仏じゃないよな?」

「確か、本願寺の本尊は阿弥陀如来だったな。では大日如来にでも祈るか」

「……仏にも種類があるなんて、笑えない冗句だよね」


 本当に笑えない話だ。


「ところで雲之介。どうして明智殿を救おうと言った? おぬしと明智殿には因縁があるだろう?」


 秀吉にはほとんどのことを話していた。


「戦国乱世を太平の世にするためには、明智さまが必要だからね」

「本当にそれだけか?」

「……ごめん嘘吐いた。なんていうかな、たとえ因縁のある人でも、見殺しにできないんだ」


 僕は遠くを見つめた。

 戦場を真っ直ぐ、見つめている。

 人の悲鳴が聞こえてくる。

 血の臭いも感じてきた。


「嫌になるよね。自分の性格が。みんなは優しいことは美徳だって言うけどさ。臆病なのかもしれない。人が死ぬことがとても嫌なんだよ」

「……おぬしは変わらぬな」


 秀吉はそんな僕は慈しむように笑いかけてくれた。


「だからこそ、おぬしはわしの弟みたいなものなのだ」


 その言葉に僕は笑った。


「なんだよそれ。というより弟だったら秀長さんが居るだろう?」

「あっはっは! そうだったな!」


 戦の前の談笑。これを近くで聞いていた兵たちは僕たちを豪胆な人間だと思い込んでしまった。

 この大将の元なら生き残れるかもと錯覚してしまったのだ。


「さあ行くぞ――雲之介!」

「ああ、行こう!」




 戦況は意外にも織田家有利に進んだ。

 やはり一向宗は農兵中心で弱く、たいしたことはなかった。

 それに率いている武将の質が違う。

 特に松永と長岡さまは手足のように兵を扱う。


「雲之介! あやつを撃て!」


 秀吉が大声で叫んだ。

 指差す方向には鎧を着込んだ武将が居た。

 本願寺の武将か? いや、それにしてはらしくない。


「この距離だと当たらないかもしれない!」


 僕の腕ではぎりぎり当たるかどうかの距離だった。


「構わぬ! 当たらずとも怯ませれば良い!」


 僕は馬から降りて、鉄砲の準備をして――狙いを定めて撃った。

 なんと武将の腹に当たり、馬上から落ちてしまった。


「見事だ雲之介! さあ、あの隊を一掃するぞ!」


 流石秀吉。機を見るに聡い。

 僕も馬にまたがり、後に続く。


 後に聞いたところ、僕が撃った武将は前波吉継という。かつて主君である朝倉義景を騙し、浅井久政さまを切腹に追いやった裏切り者の一人だった。僕の銃撃で重傷を負ったが、まだ生きていて、雑兵によって上様の元に連れて来られて、打ち首を申しつけられることになる。


 結局、天王寺の戦いと呼ばれる戦は、僕たちの勝利となった。

 無事に明智さまを救うこともでき、万事上々――とまでは言えなかった。


「う、上様が、撃たれた!?」

「雑賀衆の狙撃によるものと見られます。太ももに当たりましたが、命に別状はありません」


 伝令の言葉にホッとする。家督を譲られたと言っても、まだまだ上様のお力は必要だ。


「……秀吉。僕に案があるんだけど」

「なんだ? 言うてみよ」


 二人きりの陣中。僕ははっきりと言った。


「本願寺とは和睦するべきだ。これ以上戦っても無益な犠牲が出るだけだ」

「…………」

「上様に献策してくれ。頼む」


 頭を下げる僕。

 秀吉は「わしも同感だ」と短く言った。


「この戦で本願寺の力は削がれた。良き頃合かもしれん」

「じゃあ――上様に言ってくれるか?」

「条件がある。使者には雲之介、おぬしも加わること。そして公方さまが交渉することだ」


 意図がよく分からなかったので「どういうことだ?」と訊ねる。


「言葉どおりだ。これなら――公方さまが毛利家に行くことを阻止できる」

「……そういえば、相談したっけ」

「長益さまからも相談されたのだ。ま、危険なことには変わりないが、今の本願寺ならば聞く耳を持つだろうよ」


 秀吉はその場で背伸びをして「さあて、行くとするか」と言う。


「雲之介、おぬしも来い」

「ああ。承知した」


 まるで昔のように、秀吉について行く。

 本陣には、ふとももに銃弾を受けたとは思えないほど元気な上様が居た。

 手当も既に済んでいた。


「上様、ご無事で何よりです」

「うむ。猿、雲之介。大義である」


 傍らには佐久間さまが居た。得意そうな顔で僕たちを見ている。


「たった今、本願寺攻めの軍団長に佐久間を任命したところだ」

「それは……おめでとうございます」


 佐久間さまは僕の言葉を無視した。陪臣の言うことには耳を貸さないつもりだ。


「それで、何用か?」

「ははっ。今一度、本願寺と交渉してみてはいかがかと」


 秀吉の言葉に佐久間さまは「何を申すか!」と怒鳴りつけた。


「上様の言葉を聞かなかったのか! それに、このわしが本願寺を落としてみせる! 交渉など要らぬ!」

「まあ待て……どんな交渉だ?」


 和睦とまでしか打ち合わせしてなかったが、秀吉はなんと「退去を命じさせます」と大言壮語を吐いた。


「そのような世迷言……できるわけなかろう!」

「佐久間さま。できなくともよろしいのです。失敗しても佐久間さまならば落とせます。もし交渉が上手く行けば、それはそれで問題ないでしょう。どちらに転んでも損はありません」


 佐久間さまも立てつつ、決して譲らない。秀吉は流石に心得ているな。

 これには何も言えないらしく「……交渉する者は?」と渋々訊ねる。


「ここに居る雲之介とご隠居された公方さまではいかがですかな」

「なっ――そのようなことを!」


 佐久間さまが反対なさろうとした瞬間、上様が「良いだろう」と頷いた。


「見事に交渉をしてみよ。失敗しても責はとらん」

「上様! 本当によろしいのですか!?」

「良いと言ったはずだ」


 揉める二人を余所に秀吉は「かしこまりました」と打ち切ってしまう。


 本願寺を退去させるか……僕にできるだろうか?

 あの一代の傑物、本願寺顕如をどう言いくるめれば納得させられるだろうか……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る