第114話演奏者が往く

「俺は――昔から手先が器用でした」


 庄吉はこれまでのいきさつを話し始めた。やや俯きながらも懸命に僕に理解してもらおうとしていた。

 今井宗久とロベルトは黙って見守っていた。


「村の農具を直したりするのが得意でした。だけど、それ以上に得意だったのは、笛や太鼓でした。村祭りを盛り上げるのに、自ら好んで叩いたものでした」


 宗薫と助左衛門は未だに庄吉が生きていることが信じられない様子だった。


「父と母が亡くなり、天涯孤独になった俺は、堺に行って一旗挙げようと企んで、田畑を売って、村を出ました。でも学の無い俺がまともに働けるわけありません。すぐに金が尽き、路頭に迷いました。そこを助けてくれたのは、ロベルトさまでした」

「……私はただ、見捨てることができなかっただけナノデス」


 ロベルトは言い訳をするように口を挟んだ。


「神の教えを守る者として、死にかけていた隣人を守りたかったのデス」

「その教えのおかげで、俺は救われました。感謝しています」


 僕は「じゃあ今井宗久と知り合ったのは、ロベルト経由だったのか」と問う。


「そうです。ロベルトさまが今井の旦那さまに掛け合って、雇ってくださったのです」

「チェンバロを弾けるようになったのは、今井宗久と知り合う前だな。でないと雇う道理がない」


 庄吉は「あなたさまは賢いお人なんですね」と少し笑った。


「庄吉の才能は、素晴らしいものデシタ。チェンバロを見た瞬間、弾き方を理解シマシタ。そして自分で曲を作るようにまで成長したのデス」

「それが本当ならたいしたものだな」


 庄吉は「今井の旦那さまは言ってくれました」と語る。


「君の音楽は人を感動させられる。どうだろうか、一つ大もうけしないかと」

「それが――もてなしの始まりか」


 今井宗久が「そこからは私が話しましょう」と受け持った。


「庄吉の演奏を聞いたとき、私は震えました。これは極楽浄土の音だ。聞き終えたときは何も考えられませんでした。しかしながら――庄吉の演奏は不完全でした。私のような凡人ならば感動させられますが、分かる人には粗が分かってしまうのです」

「だから薬を使ったのか。だから宗二さんは感動させられなかったのか」

「ええ。そのとおりでございます。初め、庄吉は薬を使うのを拒みましたが、私とロベルトの説得でようやく聞き入れてくれました」


 薬を使いたくなかったのは、いわゆる矜持というものだろうな。


「そして雨竜さまへのもてなしの後――庄吉は襲われました」

「他の商家による忍びを使った暗殺のことか?」

「いえ、正確には暗殺ではなく、誘拐でした」


 まあこれだけの演奏者だ。殺すより利用するほうが得だと思ったのだろう。


「そこで、過ちが生まれました」


 過ち? どういうことだ?


「今井の旦那さま。そこは俺が話します」


 庄吉は俯いていた顔を上げて、自らの過ちを告白した。


「攫おうとした忍びを殺したのは――俺なんです」


 宗薫と助左衛門が息を飲むのを感じた。

 僕は内心驚いていた。


「はずみで殺してしまいました……それしか言えません」

「……いくら忍びとはいえ、人を殺めてしまった庄吉は、堺には居られません。それに忍びが庄吉の身代わりとなったせいで、もう人前で演奏などできません」


 今井宗久が慰めるように言う。


「……だから、海外へ行くのか」


 僕の問いに庄吉は頷いた。


「おそらくチェンバロを弾かせれば、俺に敵う者は日の本には居ません。でも世界にはもっと上手い南蛮人がたくさん居る。それに一から音楽を学びたいんです」


 その決意は固く、そして揺るがないものだった。

 真っ直ぐ僕を見る庄吉の顔が物語っていた


「雨竜さま。どうか、俺を見逃してください」


 庄吉はその場に座り込み、土下座した。


「あなたを騙したことは謝ります。でも俺は、リスボンに行きたいんです。わがままを言っていることは重々承知の上です」


 僕は息を吐いて、それから三人を見た。

 ロベルトは僕の誠意を探っていた。

 今井宗久は僕の真意を考えていた。

 庄吉はひたすら僕の許しを乞うた。


「僕は、庄吉が今井宗久に殺されたとばかり勘違いして、今回の顛末を探っていたんだ」


 誰も何も言わない。僕の言葉を待っている。


「庄吉の演奏は素晴らしい。それが永久に誰かに聞かせられないのは残念だと思ってね。でも生きていてくれた。それだけで良いよ」

「えっ……それじゃ……」


 顔を上げた庄吉が呆然として僕を見つめる。


「ただし条件がある」

「契約の変更ですかな?」


 今井宗久の素早い返答に僕は首を振った。


「違うよ。もう一曲だけ聞かせてくれ」


 朝日が昇る中、僕は晴れやかな表情で言う。


「薬なしで聞かせてくれ。僕は君の演奏がとても好きになってしまったんだ」




 南蛮船が海を往く。次第に小さくなっていく船を僕は眺めていた。


「しかし、雨竜さま。あんたは酔狂な人ですね」


 隣に居る助左衛門が呆れているのか感心しているのか、分からない表情で僕を見る。

 宗薫も不思議そうに見ていた。


「一曲聞くために、真相を確かめたんですか?」

「まさか。違うに決まっているだろう」


 僕はあっさりと否定した。


「もし庄吉が生きていて、今井宗久が裏で利用しようとしていたら、あの場で刺し違えても、庄吉を殺すつもりだったよ」

「……へっ?」

「あのまま利用されてたら、庄吉は可哀想だったからね。それに秀吉や大殿に演奏を聞かせて、要求を飲ます――それは最悪の展開だ」

「だったら、どうしてこういう始末に終えたんですか?」

「庄吉は海外に行くんだろう? だったら秀吉と大殿に会わないし、利用されることも無い」


 二人は開いた口が塞がらない様子だった。


「それにしても、最後の曲は良かった。まるで憑き物が取れたような、清々しい曲だったよ」


 船が見えなくなるまで、僕は見届けた後、くるりと振り返って歩き始めた。


「どこへ行かれるんですか?」

「長浜に帰る。仕事が溜まっているんだ」


 柏手を鳴らす。するとなつめが旅人風の装いで現れた。


「さあ、帰ろう」


 宗薫と助左衛門を残して、僕となつめは堺の町を出る。


「ねえ。本当に庄吉を殺すつもりだったの?」


 なつめの問いに僕は「さあね」と笑った。


「あなたは誰も殺さない。いえ殺せない人だと思うけどね」


 なつめの言うとおり。僕は人を殺す度胸のない、意気地なしだ。

 それでも否応にでも人を殺さないといけない。

 本圀寺のように。敦賀の戦いのように。

 それでも――殺さずに居られるなら、それでいいじゃないか。

 そう思っていた。


 空を見上げる。

 青くて、雲が一つ浮かんでいた。

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