第十五章 旅行

第109話家族旅行

 堺に旅行する。そうは言ってもやらねばならない仕事がたくさんあったので、結局実現したのは、神無月になってしまった。それまで年貢の取立てや鉄砲の生産、火薬包みの製造などを推進した。武田家はしばらく戦を起こさないけど、摂津と河内には本願寺と三好の勢力が健在していたので、それに対する備えをしなければいけない。

 だから――三ヶ月も経ってしまった。


「さて。ようやく出立なんだけど……」


 せっかくの旅行なのに、志乃の機嫌は悪かった。

 なつめが同行するからだ。


「……なんであの女忍びも一緒なのよ」

「堺の反織田家の勢力を探ってもらおうと思って。途中で別れるからいいじゃないか」

「……不満だわ。物凄く不満よ」


 不機嫌な志乃に侍女の格好をしているなつめは「あの日のことは謝ったじゃないの」ととても悪そうに笑った。


「大丈夫よ。雲之介には手を出さないわ」

「雲之介さまと呼びなさい。雇い主なんだから」

「細かいことを気にすると小じわが増えるわよ、おばさん」


 ぶちっと何かが切れる音がして、志乃の顔が般若になった。


「雲之介、刀を貸しなさい!」

「落ち着いて。なつめも挑発するな」

「はーい。分かっているわよ」


 分かってもやるんだな……まったく。

 そんな僕たちをもう一人の同行者、勝蔵くんは離れた場所で怯えていた。


「勝蔵くんもあんまり怖がらない。ここ三ヶ月、こんな感じだっただろう?」

「あ、あんた、よく慣れるな! というかよく夫婦になれたな! そっちが驚きだ!」


 志乃に対して、かなりの恐怖を感じているらしい。僕が言っても聞かないことを志乃に言われるとすぐに改めるのだから。


「えっと、勝蔵くん。私はあなたには怒ったことないわよね……?」

「ひいい!? あ、ああ! そうだな!」

「……そんなに怖がらなくても」

「こ、怖がってねえよ!」


 本当に怖いんだな……こんなに美しいのに。


「とうさまー。ゆきのじょーときよおきはー?」

「かすみ、おるすばんだって。ふたりは」


 双子は僕に寄って甘えてくる。僕は優しく頭を撫でた。


「晴太郎の言うとおりだ。二人は僕の代わりに仕事をしてくれる」


 意外にも書類仕事もできる二人。雪隆くんの場合は一から教えたが、物覚えが早かった。

 申し訳なく思ったが、何故か二人は喜んで仕事に励んでいる。不思議だった。


「さあ。堺に行こう。道中の護衛は任せるよ、勝蔵くん、なつめ」


 そういうわけで出発。

 徒歩でゆっくりと歩く。志乃となつめの仲は険悪だったけど、それでも勝蔵くんが怯えるだけで、あまり実害はなかった。

 三日かけて堺に着くと、数年前よりも活気が溢れていて、店の数も増えていた。


「それじゃ、私は仕事に行くから」

「ああ。頼むよ」


 なつめがさっそく仕事をするらしい。志乃はあからさまに清々したって顔をしたし、勝蔵くんはホッとした顔になった。


「なつめー。またあえる?」

「あそんでくれて、ありがとう」

「ええ。可愛い子たちねえ。食べちゃいたいくらいよ」

「下品なことを言うな殺すわよ」


 双子はなつめに懐いてしまった。志乃はそれを気に食わないらしい。


「それじゃ、またね」


 なつめは最後に僕に笑いかけて、それからすぐに人ごみに紛れ込む。


「やっと行ったか。これで志乃さんの機嫌も直るな」


 勝蔵くんは安心するように言ったけど、最後の微笑みが相当気に入らなかったようで、志乃の機嫌はなかなか直らなかった。


「さてと。お師匠さまのところに行くよ」


 食事を済ませた後、僕たちはお師匠さま、千宗易の元へ向かう。


「雲之介に茶の湯を教えた人ね。楽しみだわ」


 お腹が満たされたせいか、楽しげな表情を見せる志乃。かすみは勝蔵に肩車されている。晴太郎は僕がおんぶしている。


「どんな人なの?」

「うーん、見た目はかなり大きい。性格は何を考えているのか、分からない人だな」

「なにそれ? 大きくて何を考えている人か分からない? 信用できるの?」

「うん。僕は信用できる」


 お師匠さまが営んでいる魚屋に着くと、玄関で掃いている宗二さんを見つけた。しばらく見ないうちに、立派になっていた。一廉の人物と言えば相当だろう。


「えっと、山上宗二さんですか?」

「はい。そうですが? お武家さまは……」


 怪訝な表情で僕を見つめる宗二さん。しかし僕だと分かった瞬間、口をあんぐり開けて「雲之介か!?」と驚いて箒を落とした。


「お久しぶりです。宗二さん」

「懐かしい。確か、羽柴家の重臣になったと風の噂で聞いているが……」

「ええ、そうです。お師匠さまはいらっしゃいますか?」

「ああ、今案内いたす……そちらの女性は?」


 宗二さんが志乃を手で指し示す。志乃はにっこりと笑って「雲之介の妻、志乃にございます」と丁寧に挨拶した。


「おお! 婚姻したのか! 月日が経つのは早いものだ……」

「子どもも居ます。晴太郎とかすみです」


 子どもたちも紹介する。晴太郎はもじもじしているけど、かすみは物怖じせずに「そうじ、よろしくね」と微笑んだ。


「なんと子どもまで……宗匠が聞けば驚くに違いない。なんというか、感無量だな」


 宗二さんはそう言って、僕たちを案内する。その間に勝蔵くんのことも紹介した。


「あの『攻めの三左』のご子息か。お父君のことは聞き及んでいる……ご立派だった」

「おう。下手に同情しないでくれてありがとうな」


 すぐさまお師匠さまの居る居間に案内された。


「おや。あなたは、雲之介さまですね」


 少しだけ老けていたけど、気力が漲っている雰囲気のあるお師匠さま。

 僕の妻子と勝蔵くんを紹介すると「なるほど、良き家族ですね」と笑ってくれた。


「お茶の仕度をしてきます。お待ちください」

「あー、俺作法とか分からねえから、遠慮するわ」


 勝蔵くんが退席しようとするのを、お師匠さまは止めた。


「作法など良いのです。一座建立ができれば、それで結構です」

「だけどよ……」


 渋る勝蔵くんに「折角だから」と薦めたのは志乃だった。


「茶人として高名の千宗易さまが点ててくれるのよ。無碍にしないの」

「あ、ああ。分かった……」


 まだ怖いらしく志乃の言葉に従う勝蔵くん。お師匠さまと宗二さんは顔を見合わせた。

 茶室で膳を頂いて、それから茶を点ててもらう。上座の僕のやるとおり、志乃と勝蔵くんは茶を飲んだ。その間、晴太郎とかすみは宗二さんが面倒を看てくれた。


「……あんた、只者じゃねえな」


 勝蔵くんがお師匠さまを睨みつけた。


「殺気を放っても、一切動揺しなかった。無関心とか鈍感とかじゃねえ、受け入れやがった」

「おい勝蔵くん。そんなことしてたのか……」


 失礼だろうと言いかけたけど、お師匠さまが「はい。気づいていました」と微笑んだ。


「しかし戯れで放つ殺気など、茶を点てている茶人を動揺させるのに、不十分でしょうな」

「……敵わねえと思った。あんたで四人目だぜ、そう思ったのは」


 意外と多いな……


「ご無礼をしました。後で叱っておきます」

「いえ、雲之介さま。それが勝蔵さまの作法なれば……」


 度量が深い。改めて計れない人だと思った。


「それで、何の御用で堺に?」

「家族旅行なんです。しばらく休みをもらいましてね」

「ほう。堺を探りに来たわけではなく?」


 なるほど。裏があると思ったのか。

 僕は素直に「それは部下に任せました」と白状した。


「ただの観光ですよ。これから宿を取って、明日は南蛮商館に行こうと思います」

「なるほど。では私から忠告させていただきます」


 お師匠さまは居ずまいを正して、僕に言う。


「比叡山の動きが怪しくなっております。お気をつけください」

「……噂では破戒僧がたくさん居るとか」

「加えて朝倉の残党も居りますれば」


 商品だけではなく、情報も仕入れられる堺に店を構えるだけはある。

 やっぱり堺を探るのは間違っていなかったな。


「ご忠告、ありがとうございます」


 深く頭を下げて、茶席は終わった。

 その後、お師匠さまの厚意で一晩泊めてくれた。

 お師匠さまと宗二さんと僕は思い出話に花を咲かせた。

 子どもと勝蔵くんを寝かしつけた志乃も加わって、楽しい夜を過ごす。

 久しぶりに、充実した夜になった。

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