第110話人の夢を笑うな!
翌日。南蛮商館へと向かう。勝蔵くんは堺の町を歩きたいらしく、行かないと言っていた。志乃が怖いわけじゃないよね?
お師匠さまと宗二さんと別れて、見た目は珍妙な建物に入った。
「オー! 雲之介サンじゃないデスカ! お久しぶりデス!」
久しぶりに会ったロベルトは以前会ったときと比べて、立派な口髭を蓄えていた。しかし白い肌と青い目、そして金髪は変わりない。
「久しぶりだな。でもよく分かったな」
「お得意さまの顔は忘れまセン。あれ? そちらの女性たちハ?」
僕の背に隠れている志乃。どうやら南蛮人が怖いらしい。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。同じ人間だ」
「で、でも、ちょっと怖いわ……」
「ぼくもこわい……」
怯えている志乃や晴太郎と対称的に、かすみはとことことロベルトに近づく。
「ちょっと! かすみ!」
「ろべると、どうしてそんななの?」
どうしてそんな見た目なのかと聞いているのだろう。
さて、ロベルトはどう返すのか……
「それはデスネ。いろんな人が居たほうが楽しいデス」
「いろんなひと?」
「そうデス。世界にはいろんな国や人がイマス。こちらにドウゾ」
そう言って僕らを招き入れたロベルト。
中には珍しいものがたくさんあって目移りする。
「前に雲之介さん、見ましたネ。地球儀デス」
ああ。そうだった。このとき世界が丸いって教えてもらったんだっけ。
「せ、世界って丸かったの!? じゃあどうして私たちは立っていられるのよ!」
「中心に引っ張られているからデス」
相変わらず何を言っているのか分からないけど、かすみはいろいろなものに興味を示していた。
まるで昔の僕を見ているようだった。
「えっと。かすみチャン。世界はこれだけ広いのデス。だからいろんな人も居て、いろんな人が暮らしているのデス。このアフリカには、肌が黒い人が暮らしてイマス」
「へえ。そうなのか。どうして肌が黒いんだ?」
「とても熱い国なので、みんな日焼けしたのデス」
なるほど。そういうものか。
「しかし同じ人間でも、奴隷として使われている者もイマス」
陽気なロベルトがなんだか悲しそうな表情を浮かべた。
「私の夢は、みんなが平等に暮らす世界デス。そのために、商売頑張って、いろんな人と関わって、人の素晴らしさを知らせたいのデス」
いまいちピンと来ない話だった。公家や武家、商家と農家など身分差がはっきりとしている日の本。いや、これだけ多くの国があるのだから、各々身分があるはずだ。
はたして真の平等が成し遂げられるのは、いつになるのだろうか?
「……そうだな。そうなればいいな」
しかし人の夢を否定する権利など誰にもない。
僕はそう返すしかなかった。
「ありがとうございマス」
にっこりと微笑むロベルト。
「これみたことないよ、にいに」
「だめだよかすみ」
かすみがはしゃいで、晴太郎が宥めるのを眺めていると、志乃が「綺麗……」と呟いた。
そちらに目線を向けると、親指くらいの丸い水晶が陳列してあった。水晶の上の部分に金具がつけられていて、そこに紐が付けられていた。
「志乃。それ欲しいかい?」
「えっ? いや、そんな……」
何故か遠慮する志乃。見るとなかなか値の張るものだった。
「オー! それは首飾りデスネ!」
ロベルトがすっと近づく。
志乃が僕の背に引っ付く。
「お目が高いデス。今なら二割引にシマス」
「いい商売だな。じゃあ貰おう」
即決すると志乃は「いいの? 雲之介?」と上目遣いで見つめた。
「うん。志乃が喜んでくれるなら」
「……ありがとう、雲之介」
僕の手を握る志乃。本当に欲しかったんだろうし、本当に嬉しかったんだろうな。
「オー! お熱いデスネ!」
「茶化すなよ……」
ロベルトの冷やかしを聞き流しつつ、僕は志乃に首飾りを付けてあげた。
志乃にとっても似合っていた。
志乃はこれ以降、めったに外すことはなかった。
家族みんなで堺の町を歩いていると、団子を食べ歩いている勝蔵くんに会った。
「勝蔵くん。どうだい堺の町は?」
「結構楽しいな。珍しいもんばかりだ」
僕は「ちょうど昼頃だから何か食べよう」と言う。
「宗二さんに教えてもらったんだけど――」
そう言っていると、目の前で騒動が起きていた。
どうやら喧嘩みたいだ。
「雲之介。避けて通りましょう」
「そうだね。喧嘩みたいだし――」
迂回しようとしたときに晴太郎が「かつぞう、行っちゃった」と指差した。
「おらおらおら! 何をしてやがるんだ!」
勝蔵くんは人ごみを掻き分けて、喧嘩をしている商人の二人の間に割って入った。
そしてあっという間に二人を気絶させてしまった。
「おいおい。勝蔵くん……」
僕が近づくと勝蔵くんがにっこりと笑って言った。
「雲之介さん、これでいいか!?」
「…………」
ええ……僕のせいにした……?
周りは僕を引いた目で見ている。あからさまに恐れている目をしている人も居る。
「はあ。とりあえず、二人の話を聞こう……」
この厄介事、どうしたのものか……
近くの宿で僕は気絶した二人を介抱した。勝蔵くんが「顔ぶん殴ってやった」と言っていて、おそらく一番の大怪我はそうだろう。
「かつぞうつよい!」
「かっこいい!」
「ふはは! そうだろう!」
子どもたちが勝蔵くんを尊敬し始めている。
やばい……
「……勝蔵くん? あなた何してくれたのよ?」
「ひいい!? すんません!」
志乃はかなり怒っている。
「うう……」
「ここは……」
二人はほぼ同時に目が覚めた。
僕は「大丈夫かい?」と訊ねる。
二人とも、僕よりも歳が若い。それでいて賢そうな顔つきをしている。
「何があったのか分からないけど、喧嘩は駄目だよ」
「喧嘩……そうだ、助左衛門! 貴様がおかしなことを言うから!」
「笑った若旦那がいけないでしょうが!」
やばいな。喧嘩という言葉で思い出してしまったらしい。
「うるせえ! また殴られたいのか? ああん?」
勝蔵くんの怒声で二人はそれも思い出したらしい。掴みあったまま固まってしまった。
「まあまあ。落ち着いて。二人の喧嘩の理由を教えてくれ」
問うと二人の内、若旦那と呼ばれた若者――利発そうな子だった――が説明し出した。
「こいつが呂宋に行きたいと言ってきたんですよお武家さま」
「呂宋? ああ、南方の外国か」
先ほど見た地球儀に書いてあった。
すると助左衛門と呼ばれた若者は「俺の夢なんですよ」と呟いた。
「呂宋と日の本で貿易がしたい。それを言ったら若旦那が……」
「笑い話にもならん! そんなことできるわけがない!」
僕は腕組みして「できるかどうかは分からないけど」と前置きをした。
「人の夢を笑うのは良くないよ」
「それは……」
「それと笑われたと言って喧嘩するのも良くないよ」
「…………」
二人とも黙り込んでしまった。
「ま、今回は痛み分けってことでいいかな?」
遺恨は残るかもしれないが、互いに自分が悪いと反省したようだ。
二人の商人は共に頭を下げる。
「失礼ですが、お武家さまのお名前は?」
「うん? ああ、雲之介だよ」
名を告げた瞬間、二人は顔を合わせて布団から飛び出て、居ずまいを正した。
「も、もしや、京の商人を支配した、あの雨竜雲之介秀昭さまですか!?」
若旦那と呼ばれた若者が驚きながら問う。
堺だとそう伝えられているのか……お師匠さまたちは何も言わなかったな……
「支配してないよ。協力してもらっただけさ」
「そ、それでも、私たちにとっては天上人でございます!」
僕は小恥ずかしいので話を逸らそうとする。
「君たちの名は?」
若旦那と呼ばれた若者は言う。
「今井宗薫と申します」
助左衛門と呼ばれた若者は言う。
「納屋助左衛門と言います」
「そうか。二人とも、仲良くやるんだよ」
これで一件落着……と思ったけど、そうはいかなかった。
宿を出ると商人がずらりと並んで待っていた。
「雨竜さまですね」
「うん。そうだけど……」
今井宗薫が「うちの商人です」と耳打ちした。
「旦那さまが是非あなたさまを招きたいとのこと。受けてくださいますか?」
今井宗薫の名を聞いて、思い出したことがある。
堺の豪商であり、織田家の御用商人。
今井宗久の名を――
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