第八章 足利

第58話上洛!

 想像でしかなかったけど、京の都は華やかなものだと思っていた。

 しかしどうだろうか。活気が感じられない。というより生気を感じられない。

 目抜き通りの商品は貧相で、あまり物流がなされていない。

 堺どころか、清洲や岐阜の町のほうが栄えていると言っても過言ではない。


「大殿は全ての辻通りに立て札をなさった。乱暴狼藉を行った者は処刑すると。旭将軍の二の舞は避けたいと思っているのだろう」


 大通りを馬に乗って歩く僕たち――いや、僕たちだけではない。

 筆頭家老佐久間信盛さま。家老の柴田勝家さま、丹羽長秀さま。それに部将の池田恒興さま、森可成さま。前田利家さまと佐々成政さまも居る。そして明智光秀さまと細川藤孝さまも同行なさっている。

 織田家の家臣団が勢揃い――とまではいかなかった。林秀貞さまは尾張にて留守をしているし、滝川一益さまは伊勢で戦っている。

 しかしこれだけの武将と六万の大軍勢での上洛は、京の住人だけではなく、公家衆にも多大な影響を与えるんじゃないだろうか?


「雲之介。任官が済んだらわしと一緒に義昭さま――いや公方さまのところへ来るようにと大殿が言っていた」

「大殿が? 何の用だろう?」

「さあな。案外自慢したいだけじゃないのか?」


 冗談を言う秀吉だけど、意外と近いところを掠めている感じがする。


 朝廷より将軍宣下を受けた義昭さんは正式に十五代将軍になった。これによって名実共に織田家は将軍家を再興させた大大名ということになる。

 任官式が終わった後、僕は秀吉と一緒に義昭さんが居る御所に向かう。

 そこには義昭さんと細川さま、僧の一覚さん、大殿と明智さまが居た。


「よく来たな。そこに座れ」


 大殿は義昭さんと何か話していたけど、僕と秀吉が来たので、一旦やめてしまった。

 下座に座る僕に義昭さんは貴族の正装、束帯の姿で嬉しそうに言う。


「雲之介! そなたも来てくれたか! 任官式は見ていたのか?」

「いえ。僕は身分が低いので、控えていました」


 義昭さんは残念そうに「そうか。まあ仕方ないな」と呟いた。


「だが幕府を終わらせるのだから、関係はないか」

「……公方さま。本当に終わらせるおつもりですか?」


 一覚さんの恐る恐るという問いに義昭さんは「当然だろう」と応じた。


「もはや将軍家に力はない。あるのは見せかけの権威だけだ。これからは力あるものが継ぐべきだ」

「……それがあなたさまの選んだ道ならば、私は何も言いません」


 幕臣である細川さまは目を閉じて言う。納得はしていないようだ。

 大殿は「しかし今は将軍家が必要です」と説いた。


「公方さまとは長い時間話し合いました。決意が固いことも分かっています。だから織田家が天下を差配するまで、勝手に辞めないでくだされ」

「分かっているとも。それでさっきの話だが、本当に副将軍にはならないのか?」


 大殿が副将軍に!? しかも話からして断ったようだ。


「副将軍か管領になれば箔も付く。そなたに従う大名も出てくるだろう」

「公方さま。家格が高くない織田家がそのような地位に就いても、成り上がり者の印象は消えません。むしろ将軍を脅して地位に就いたと噂されます」

「あ、なるほどな。すまぬ余計なことを言ってしまった」


 素直に謝る義昭さんに大殿は「その代わりと言ってはなんですが」と切り出した。


「堺の支配権をいただきたい」

「……すまぬ。私の頭が悪いのか、そなたがうつけなのか、理解できん」


 義昭さんは混乱しているようだ。

 まあ無理もない。幕府の領地でもないところの支配権を欲しがるのだから。

 僕も大殿言っていることは測りかねた。


「私が与えられるのは、支配下に治めても良いという名分だけだ。しかも三好どもの支配下にあり、それを追い払っても会合衆が牛耳っている。そのような土地の権利が欲しいのか?」

「その名分が欲しいのです。正当性があれば無理矢理奪っても誰も文句は言わない。それに堺は近畿の経済の中心ですから」


 僕の勝手な考えだけど、大殿は銭の重要性を誰よりも分かっている。経済感覚に優れているといえば良いだろうか。


「分かった。許可を与えよう。与一郎、手続きしておいてくれ」

「御意」

「後は織田家を斯波家並みの待遇にしてくだされば満足ですよ」

「ふむ。元主家だったな。そのように取り計らおう」


 それから義昭さんは「厚かましいがこちらかも要求がある」と切り出した。


「なんでしょうか?」

「一つは茶器の回収だ。特に『東山御物』を幕府の手に戻したい」


 お師匠さまから聞いたことがある。三代将軍足利義満公が愛用し、八代将軍足利義政公が手放してしまった茶器を指す。幕府の運用資金に替えられたほど価値のあるものだ。


「それはどういう意図ですかな?」

「戦乱によって散逸してしまった茶器を、再び手に入れることができたら、世間の者はどう見る?」

「……なるほど。幕府の権威の再興に利用するおつもりですか。分かりました。できる限り手を尽くします」


 大殿はどうやって収集するつもりだろうか? 気になるところである。


「そしてもう一つは――家臣を何名か都合してもらいたい。流石に与一郎と武家伝奏の一覚だけでは回らん。生き残った兄上の家臣が居ればいいのだが、望みは薄い」


 大殿は「それではここに居る光秀と内政に長けた村井貞勝を貸しましょう」と即決した。


「光秀。異論はないな」

「ええ。構いませぬ」


 すると義昭さんは「できれば雲之介も欲しいのだが」ととんでもないことを言い出した。


「なんでも算術と礼法に精通しており、それに茶の湯の作法も習得している。公家の相手に向いている」

「それは俺の一存では難しいですな。何しろ陪臣なので」


 大殿は秀吉に向かって言った。


「猿。お前の許可が要る。断ってもお咎めなしだ」

「できれば雲之介には傍に居てほしいのだがな」


 大殿と義昭さんの言葉に悩む秀吉。


「うーむ。弱りましたな。雲之介はわしの大事な家臣ですから」

「何、しばらくの間だけだ。お前から取り上げようとは思っていない」


 大殿の言葉に秀吉は僕に向かって言う。


「雲之介はどう思う?」

「そうだな。志乃に子どもが産まれたから、できるだけ岐阜に居たい……」


 すると義昭さんは「なら京に呼び出せば良い」と提案してきた。


「それなら何も心配いらぬ。信長殿、よろしいか?」

「公方さまが望むのであれば。猿、雲之介。決めよ」


 僕は秀吉の顔を見た。困った顔をしている。

 でもここで断るのも失礼な話だ。

 だから――


「義昭さんの元で働かせていただきます。ただし期限は設けてください」


 深く頭を下げた。これが飲まれなかったらどうしようもない。


「なるほど。では二年ほどでよろしいか? 公方さま」

「まあそのくらいの期間があれば、家臣も集まるだろう」


 義昭さんは嬉しそうに言う。


「よろしく頼むぞ! 雲之介!」

「ははっ。雨竜雲之介秀昭、身命を賭して勤めます!」


 秀吉を見ると複雑そうな顔をしていた。仕方ないだろ?

 そのとき、鋭い目線を感じた。細川さまからだ。

 なんだろうと思って見つめ返す。

 いや、気のせいか。普通の目をしていた。


「よし。これでなんとか回るな」


 満足そうに頷く義昭さん。

 京で幕府の仕事か。大変そうだな。

 そう思っていると――


「大変です! 公方さま!」


 どたどたと走ってこちらにやってきたのは幕臣だった。


「なんだ騒々しい! 何事だ!」

「松永です! 松永久秀がやってきました!」


 松永――義輝公を弑逆した悪人じゃないか!


「なんだと!? まさか攻めてきたのか!?」

「いえ、違います!」


 幕臣は息を落ち着かせてから、早口で言う。


「松永久秀は降伏しに来たと!」


 この場に居る全員が驚いた。

 あの悪人が、降伏!?

 訳が分からなかった――

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