第42話文官と軍師

「そんなこと――決められるわけがないだろう」


 志乃と藤吉郎、どちらを切り捨てるなんてできない。できるわけがない。


「ええ。これはたとえ話よ。でもね、国同士が戦い、世の中が乱れている戦国乱世において、その状況がありえないと言い切れるかしら?」


 半兵衛さんは意地悪そうににやにや笑っている。

 久作さんは「また始まったか……」と頭に手を置く。


「あなたは軍団を率いているとする。遠征中に主君の居る城と妻が居る城が同時に攻められた。どちらかしか守ることができない。あなたならどうする?」


 今度は具体的なたとえだった。

 僕は――どう答えれば正解か分からなかった。


「僕にはどちらかを切り捨てるなんてできやしない」

「……そう。あなた、武士としては文官に属するのね」


 あっさりと言い当てられた。恐ろしいほどの洞察力だった。


「どうして分かる?」

「あははは。今ので完璧にそうだと分かったわ」

「……推測の根拠を教えてもらおうか」


 半兵衛さんは「もしも武官や軍師だったらそんな答えはしないのよ」とあっさり言う。


「もしも武官だったら主君を選ぶか妻を選ぶか、はっきり答えるし、軍師ならさっきの状況を詳しく聞きだすわ。そうしなかったのは、あなたが軍の指揮官を未経験かつ集団戦闘の素人だってこと。おそらく組頭ではないか、もしくは戦で率いたことがない武士だと分かるわ」


 そこまで言い当てられてしまうとぐうの音も出ない。

 竹中半兵衛重治。

 稀代の軍師にして鬼才の策士。


「話してて分かったけど、あなたには軍略の才はないわね。織田家で出世するのは難しいわ」

「ど、どうして織田家の者だと分かるんだ!?」


 それを聞いた久作さんが「な、なんだと!?」と思わず刀を抜きかけた――


「おやめ、久作。雨竜ちゃんに敵意と殺意はないわ」

「う、雨竜ちゃん?」

「あら。雲之介ちゃんのほうが良かった?」

「……雨竜ちゃんでいい」

「そういうわけだから、刀を納めなさい」


 久作さんはしばらく僕を見て、それから刀を納めた。


「それで、どうして分かったんだ?」

「なんとなくよ。これはカマをかけただけ」


 はったりだったのか……


「先に言い当てたのが効いたわね。一つ言い当てられたのなら、次も当たるだろうと思いこむ。詐欺師の常套手段よ」

「恐ろしいな、あなたは」


 僕ははっきりと半兵衛さんに言う。


「あなたなら織田家でも重用されると思うけど」

「やだ。あたし信長恐いもん」


 大殿が恐い……? そんなことは考えたことなかった。


「元敵国の人間だから、大殿が恐いと思うのか?」

「敵国じゃなくても恐いわよ。なんて評すればいいのか……人間の許容量を超えている狂気を平気で取り込んでいるような、誰もやろうとしなかったことを誰にも構うことなくしてしまうような、あたしたちが躊躇する場面でも戸惑うことなく実行してしまうような、そんな恐ろしさがあるの」


 言葉を尽くして説明してくれたおかげでなんとなく分かった。

 行雲さまをあっさりと殺そうとしたのを思い出す。


「あたしが仕えたら難癖付けられて殺されるわよ。何故なら、あたし物凄く賢いから」

「物凄い自信だな……」


 でもそれを裏付けるように賢い人だ。

 それなら――


「だったら僕の主君の藤吉郎に仕えないか?」


 つい、誘ってしまった。


「藤吉郎? まさか墨俣一夜城の?」

「ああ。木下藤吉郎だ」


 きょとんとした半兵衛さんだったけど、すぐさま「雨竜ちゃん、あの人に仕えているの?」と訊ね返した。


「ああ。そうだ。僕は陪臣なんだ」

「ふうん。そうなんだ。墨俣一夜城以外の噂は聞いたことはないけどね」

「でも農民の子で仕えたときは小者だったけど、今じゃあ侍大将だ。凄いと思わないか?」

「まあ凄いけど、実際に会ってみないとねえ」


 僕は「大殿のことは恐いと言ってたじゃないか」と訊ねた。


「実際に会ったことないんだろう?」

「噂でなんとなく分かるのよ。でも、木下藤吉郎の名前は覚えたわ。実際に会ってみて、良い人だったら考えてもいいわよ」


 言質を取った……とは言えないな。考えるとしか明言していないのだから。

 だから、畳みかけるように言う。


「考えるだけじゃ駄目だ」

「はあ? 何言っているのよ?」

「家来が主君に危険な人を会わせようとしているんだ。確約してくれないといけない」

「危険な人じゃないわよ!」

「稲葉山城を十六人で乗っ取った人は危険人物だ」


 すると久作さんが「兄上が陪臣になる道理はないな」とばっさり言う。


「何か利益がなければ――」

「久作。欲が深いと身を滅ぼすわよ?」

「兄上。欲得の問題ではなく損得の問題だ。ちささんに苦労をかけてもいいのか?」


 ちささんのことを言われた半兵衛さんは思わず言葉に詰まった。


「稲葉山城を落としたとき、ちささんは守就の叔父貴に頼んで軍勢が囲んでいるようにかがり火を焚かせたじゃないか」

「…………」

「今だって離縁せずについてきてくれる。それを――」

「……私のことは、気にしないでください」


 横になっていたちささんが上体を起こそうとする。それを半兵衛さんが真っ先に支えた。

 それを見て、夫婦なのだなと思う。どっちも女に見えて違和感があったけど。


「ちさ。大丈夫?」

「ええ。もう平気です。重治さん」


 そして僕に向かってちささんは言った。


「もしも――夫が浪人になっていたら、その木下藤吉郎さまと引き合わせてくださりませんか?」

「ちさ……」

「きっと良いお方なのでしょうね。雨竜さまが仕えているのですから」


 何故か僕を良く見てくれるちささん。

 ひょっとして全部聞いていたのかもしれない。


「ええ。いずれ大成する人だと思っています」

「……一つ条件があるわ」


 半兵衛さんは僕にずばっと指を指した。


「織田家が稲葉山城を攻め落とせたのなら、考えてもいいわよ!」


 あくまでも『考える』か。

 まあいい。条件を出したということは達成可能ということでもある。


「ああ。いいだろう」


 とりあえず納得した僕は頷いた。これ以上言ったら逆効果になると思ったからだ。


「それじゃ僕はお暇するよ」


 立ち上がると「せっかくだから泊まりなさいよ」と言ってくれたが先を急ぐ身であるし、藤吉郎に報告しなければいけないし、何より志乃が恋しくなったからだ。

 丁重に断って別れを告げる。


「それでは、また縁が合えば」

「そうね。縁が合えば会いましょう」

「それと長政さまに僕の名前を出せば仕官がすんなりといくかもしれません」


 半兵衛さんは「それはどうして?」と首を傾げた。


「三日前に喧嘩して仲良くなったんですよ」


 そう答えると半兵衛さんは予想してなかったようで、あんぐりと驚いた。

 久作さんは半兵衛さんが驚いたことに驚いていた。


「ふふふ。今孔明をびっくりさせた」

「……不覚ね。流石にそこまでは分からないわよ」


 そうして宿を後にした僕は美濃を経由して尾張に帰った。

 そして、清洲城。

 長屋に真っ直ぐ向かうと、家の前でそわそわしている志乃が居た。


「志乃!」


 呼びかけると志乃は僕を見て安堵の表情を見せて、それから僕に向かって走った。

 勢いよく抱きつかれた。倒れそうになるのを堪える。


「馬鹿! 遅いわよ!」

「ごめん。というより心配してくれたんだ」


 頭を撫でると志乃は「当たり前じゃない!」と言う。

 そして安心したように笑顔を見せてくれた。

 僕が一番大好きな、志乃の笑顔。


「あなたが居なくなったら、淋しいじゃない」


 それを聞いて、僕はようやく家に帰れたと実感できた。

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