第41話半兵衛との会話

 稲葉山城を占拠したはずの竹中半兵衛が北近江との国境に居る。しかも女装して逃亡をしている。

 この事実を知った僕はどうするべきか。悩むところだった。

 しかしとりあえずちささんの状態が心配なので、三人で協力して近くの宿で休むことにした。

 ちささんが眠りにつくと、半兵衛さんと久作さんは頭を下げた。


「ありがとうね。妻を助けてくれて」

「……久作さんの奥方じゃなかったのか?」

「誰もそんなこと言ってないじゃない。あたしの奥さんよ」


 宿で四人だけになっても女言葉を直そうとはしない半兵衛さん。警戒しているんだろう。


「いえ、姉上――兄上は元々こういう癖があるお人なのです」


 久作さんが耳打ちする。この人も小一郎さんと同じ苦労人だなと思った。


「えっと。女装癖があるってわけか?」

「女装癖って言い方は嫌いだわ! やめてちょうだい!」

「……頼むから男らしい格好をしてくれ兄上」


 まあ世の中いろんな人が居るから……

 それにしても男に見えないな。本当に女に見える。顔色が悪いのは疲れからか? それとも持病があるんだろうか?


「……何じろじろ見てるのよ。ひょっとしてあたしに惚れた?」

「違う。僕には妻が居るし、衆道には興味がない」

「あら残念。あたしはあなたみたいに可愛い男の子が好きよ」


 本気なのか冗談なのか分からないことを言う稀代の軍師、竹中半兵衛。


「それで、事情を聞こうか」

「事情? ちさが疲労で動けなくなっちゃったのよ」

「違うよ。あなたがここに居る理由だ」

「そんなの生きてるからに決まってるでしょ」

「……どうして稲葉山城に居るはずのあなたがここに居ると聞いているんだ」


 回りくどい言い方をやめて率直に訊ねると、半兵衛さんは「話したくないけど話すわ」と前置きしてから言う。


「龍興に城を返したの。そしたらあの馬鹿、あたしに追っ手を差し向けたのよ」

「なんで獲った城を返したんだ?」

「はあ? そんなの決まっているでしょ。あの馬鹿の目を覚まさせてやるためよ」


 半兵衛さんは説明が面倒だと言わんばかりの態度だった。

 僕は久作さんを見た。久作さんは「兄上、ここからは俺が話す」と言ってくれた。


「元主君、斎藤龍興は暗君でな。連日酒を呑んでばかりで信長との戦を厭っていた。美濃三人衆や兄上が何を言っても聞かん。それを正すために兄上は城を攻めて、考えを改めていただこうとしたのだ」

「なるほど……しかし十数人でどうやって稲葉山城を?」


 僕の問いに「十数人じゃないわ。十六人よ」とそっぽを向いてそれだけ答えた。


「ああ。俺が仮病を使って、兄上が『良い薬を持ってきた』と嘘を吐き、十六人を潜入させて、城内を混乱させたのだ」


 ああ、力攻めではなく搦め手を使ったのか。


「奸臣の斎藤飛騨守らを討ち取って、龍興を諌めるために追放して、それからしばらくして城を返還して、今に至るのだ」

「……話を聞いているとやり方は荒っぽいけど、ちゃんと城も返しているんだから、追っ手を差し向けられる筋合いはないと思う」


 そう言うと半兵衛さんは「そうでしょう!」と身を乗り出して言う。


「あたし、何も悪くないわよね!」

「いやまったく悪くないわけじゃないけど……」

「あの馬鹿、あたしを女みたいな奴だって軽んじたのよ!」

「そんな格好してたら誰だってそう思うよ」

「それに斎藤飛騨守って最低なのよ! このあたしに小便かけたの! 酷いと思わない!?」

「えっ? もしかしてそれが乗っ取りの理由なのか?」


 思わず訊ねると半兵衛さんはハッとした顔になって、それから焦ったように取り繕った。


「そ、そんなわけないじゃない! 小便かけられたからって、怒って乗っ取ったりしないわよ!」

「……兄上、それは本当か?」


 久作さんがじと目で半兵衛さんを見る。半兵衛さんは目を逸らした。


「あ、当たり前よ! 馬鹿なこと言わないでちょうだい!」

「……兄上は嘘を吐くと目を逸らす」


 久作さんはわなわなと身体を震わす。


「ふざけるなよ兄上! もしそうだったら怒るぞ!」

「もう怒ってるじゃない! それに違うって言ったじゃない!」


 僕は二人のやりとりを見て気になっていたことを言う。


「稲葉山城を乗っ取るほど、半兵衛さんは賢いんだよな」

「うん? ああ、そうよ。あたし賢いのよ」

「じゃあ乗っ取っても龍興が考えを改めないとか追っ手を差し向けることぐらい予測できてもおかしくない……」


 僕の言葉に半兵衛さんはしまったって顔をした。

 久作さんはますます顔を赤くした。


「兄上! それ本当なのか!」

「ち、違うわよ!」

「でもしまったって顔しただろう!」


 まさか大殿が落とせなかった稲葉山城が、そんな阿呆な理由で落城したなんて……織田家家中の者が聞いたらどう思うんだろうか。

 なんか情けなくなった。


「こんな馬鹿について行ったのが間違いだった!」

「はあ!? 馬鹿って誰のこと言っているのよ!」

「てめえだよ、馬鹿兄上!」


 兄弟喧嘩が始まりそうだったので、止めるために話題を変える。


「それで、どうして北近江へ?」


 僕の問いに二人は言い争いをやめて、顔を見合わせた。


「……とりあえず浅井家で仕官しようと思ったのよ。織田家と同盟を結んでいるから、あの馬鹿も攻めづらいと思ってね」


 婚姻を結んだのはつい最近なのに、情報が早いな……


「でも真剣に仕える気はないわ」

「それはどうして? 浅井長政は器量人だと言われているけど」

「長政さまはいい男だけど、先代がねえ……ま、織田家に逆らわない限り、家は存続するでしょう」

「織田家に逆らわない限り?」


 僕の問いに半兵衛さんはあっさりと言う。


「だって、美濃は織田家のものになるんだもの。そしたら上洛して大大名になるわよ織田家は」


 織田家に居る僕ですら分からないのに、この人はどこまで先が見えているんだろう?


「……今孔明は伊達じゃないなあ」

「はあ? 今孔明? やめてよね。あいつ最後まで魏に勝てなかったじゃない」


 そう言って、咳払いする半兵衛さん。


「どうせならもっと可愛くて可憐な人にたとえてほしいわね」

「半兵衛さんは軍師じゃないのか?」


 なんとなく訊ねると半兵衛さんは迷い無く答えた。


「軍師よ。混じりっけなしのね」

「…………」

「そうねえ。じゃああなたに問うわ」


 半兵衛さんは僕に質問をした。


「あなたの主君と妻、どっちかしか助けられなかったら、どちらを救う? どちらを切り捨てる?」


 それは――あまりに重い問いだった。

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