第36話輿入れ

「なあ兄弟。本当に良かったのか?」


 馬上で僕に囁く小六。僕は答えなかった。


「小六殿。そのようなことは言ってはいけません」

「しかし小一郎。俺は兄弟が不憫でならねえ。お市さまも可哀想だ。好きあっている者同士が結ばれないなんてよ」


 小一郎さんの言葉でも小六は止まらない。そして前方の輿を見据えながら僕に訴える。


「そりゃあ雲之介には志乃さんが居る。それは重々承知の上だ。あんな良い嫁さんはそうはいねえ。でもよ、あの涙見たら――」

「分かっているよ、小六の兄さん」


 僕も輿を見ていた。だけどそれは護衛の意味でだ。


「あんたの言葉はありがたいけど、もういいんだ」

「いいってよ……」

「それ以上言わないでくれ」


 僕は小六と小一郎さんに向かって微笑んだ。

 多分、渇いた笑みだったと思う。


「それ以上言われると、頭がおかしくなる」

「……兄弟」

「……雲之介くん」


 二人は同情するような目だった。

 僕はみんなから優しいと言われるけど、この二人もなかなか優しいなとぼんやり思った。

 空を見上げた。

 お市さまがおっしゃってたように、雲一つない空。

 なんだか、馬鹿にされているくらいに、青かった。


「小一郎さん、小六。僕は――お市さまのことが好きだ」


 輿を見ながら話す僕。二人は黙って話を聞いてくれた。


「だからお市さまには幸せになってほしいし、不幸になってほしくない」

「でもよ……」

「僕と一緒になっても幸せにはできないし、不幸になってしまうんだ」


 小六の言葉を遮って、断言した。


「だから、これで良いんだ。聞けば夫となる浅井長政は器量人だって言うじゃないか。先代から跡を譲られたときから善政を敷いているという。家柄も申し分ない。しかも大名だ。陪臣で足軽組頭の僕なんて、逆立ちしたって敵わない」


 まるで自分に言い聞かせているようだと思ってしまう。


「……分かったよ。雲之介くんの気持ちは十分伝わった」


 小一郎さんはそう言って、何かを言おうとする小六を制した。


「だから――もう泣くな」


 気がつけば、ぽたりと落ちていた。

 おかしいな。今日は晴天なのに。

 やっぱりお市さまの言うとおりだったな。


「……ごめん」


 謝ったけど、僕は誰に謝ったんだろう。

 小一郎さん? 小六?

 それとも藤吉郎? 志乃?

 いや、違う。

 謝りたかったのは――


「詮のないことだよ」


 そう呟いて、涙を拭う。

 やっぱり空は青かった。




 お市さまは北近江の浅井家に嫁ぐ。そのためには敵国である美濃を経由しなければいけなかった。そのために道中、襲われる可能性が高かった。だから浅井家も美濃との国境に出兵していた。

 清洲城を出発して数刻後、浅井家の武将と無事に合流することができた。

 やってきたのは豪胆そうな、いかにも武将だと言わんばかりの四角い顔をしている男だった。藤吉郎がその武将と相対する。僕は小一郎さんと小六と一緒に藤吉郎の傍に控えていた。


「遠藤直経だ。そなたは?」

「木下藤吉郎と申す」


 藤吉郎が名乗ると遠藤さんは「ほう。貴殿が……」と驚いた顔をした。


「あの墨俣一夜城を作ったとされる、織田家家中でも指折りの策士……」

「そのように伝わっているのか。あっはっは。わしも有名になったものよ」


 なんか、藤吉郎が遠くに感じる。

 あのときついて行って正解だったと思うけど、なんだか淋しい。

 しばらく話した後、遠藤さんは「さっそくだが、お市さまを引き渡してもらおう」と言う。


「ああ。それはやぶさかではないが、佐和山城まで同行してもよろしいか?」

「……何ゆえに?」

「わしの主命は『お市さまを佐和山城まで護衛すること』だ。いや、浅井軍の強さ、江北の兵の精強さは重々承知の上だが、主命を途中で放棄したとなると、大殿に叱られてしまう」

「それは分かるが……」


 遠藤さんが苦言を呈そうとすると、藤吉郎が頭を下げた。


「頼む。わしの顔を立てる意味で、護衛を続けさせてくれ!」

「……分かった。まあ兵は多いほうがいいだろう」


 渋々納得した遠藤さん。藤吉郎は顔を上げて「かたじけない!」と猿みたいな笑みを見せた。

 このとき、どうして藤吉郎は護衛をやめなかったのか。

 この時点では気づかなかったけど、日が暮れて陣をはる頃になって気づいた。

 いや気づいたというより、藤吉郎に言われた。


「雲之介。最後の機会だ。お市さまと話してこい」


 呼び出した僕に陣中で藤吉郎は言った。


「まさか、そのためだったのか?」

「もちろんだ。当たり前だろうが」


 陣中には小一郎さんと小六も居た。正確に言えば四人しか居なかった。


「己の想いを伝える最後のときだ。さあ、行け」

「だけど……」


 怖気づく僕に苛立ったのか、小六は立ち上がって、僕の胸ぐらを掴んだ。


「うじうじしてんじゃねえ! はっきりしろ! 男を見せろよ兄弟!」

「こ、小六……」

「お前が言った言葉だ! ここで動かなけりゃ男じゃねえだろ!」


 それでも僕は――


「このまま浅井長政に奪われていいのか!?」

「…………」

「お市さまのことを想っていないのか!?」

「…………」


 次第に心が熱くなってくる――


「なんとか言えよ! おい兄弟!」

「僕だって! なんとかしたいに決まってるだろう!」


 僕は小六を突き飛ばした。


「僕だって、どうしていいのか分からないんだよ! だって身分が違うじゃないか!」


 小六が立ち上がって真剣な表情で言う。


「だったら、身分が無ければ、想いを伝えたのかよ」

「――っ! もちろんだ!」


 今度は藤吉郎が僕に向かって言う。


「ならば今宵は身分を忘れろ」

「……何言っているんだ?」

「ただの雲之介として、お市さまを普通のおなごと思って話してみよ」


 藤吉郎も立ち上がって、僕に言う。


「嫁ぐお市さまの最後の思い出を、彩ってやるのだ」

「……藤吉郎」

「さあ行け。この陣を出て、お市さまに会いに行くのだ」


 僕は三人の顔を見た。同じように僕を応援している。


「……ここで動かなくちゃ、野暮の極みだな」


 呟いて、頭を下げて、陣を出た。


「頑張れよ! 兄弟!」


 小六の声が、激励が、後押しが、嬉しかった。


 そして――お市さまがいらっしゃる陣。


「……やはり来ましたか」


 鈴蘭さんが陣の入り口の前に居た。数名の侍女も一緒だった。


「鈴蘭さん……そこを通してくれ」

「……断ったら?」


 僕は「無理矢理でも通る」と刀に手をかけた。

 侍女たちは僕を睨む。

 だけど鈴蘭さんだけは微笑んでいた。


「ようやく、覚悟が決まったのですね」


 道を――すっと開けた。

 お市さまへの道を。


「……いいのか?」


 怪訝な表情をしていた僕に鈴蘭さんは「良いのです」ときっぱりと言った。

 いつも真面目な鈴蘭さんだけど、いつも以上に真剣な顔をしていた。


「私は今までお市さまに不自由を強いてきました。海が見たいと言われても断りました。清洲の町に行きたいと願われても断りました。そして雲之介さん。あなたに会いたいと乞われたときも断ったのです。それがお市さまにとってどれほど辛いことか……」


 鈴蘭さんは僕に向かって言う。


「あなたを――信じていいのですね?」


 僕は頷いた。


「ああ。僕を信じてくれ」


 鈴蘭さんはお辞儀をした。侍女たちも同じようにする。

 見て見ぬフリをするというわけか。


「ありがとう。鈴蘭さん」

「お礼を言われる――ほどではありませぬ」


 鈴蘭さんの隣を通って、僕は――お市さまの居る陣に入った。


「あっ。雲之介さん……」


 そこには、お市さまが居た。

 美しくて可憐で清楚で可愛らしい、お市さま。

 会いたくて、恋焦がれていた、お市さま。

 もうすぐ、輿入れしてしまう、お市さま。

 それが――目の前に居た。


 僕たちの運命はどこからすれ違ったんだろう。

 分からない。

 分からない。

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