第32話墨俣築城

「……墨俣に城を築く? てめえ、頭おかしいんじゃねえか? あぁん?」


 ぐるりと周りを屈強な男たちが囲む――囲まれている。

 僕は内心恐ろしく思っていた。隣に居る小一郎さんは表情を変えていないけど、僕のほうから手が震えるのが見えた。

 だけど――藤吉郎は怯えないし屈さない。


「頼む。こんなことができるのは、蜂須賀小六殿率いる一党しかおらぬ」


 目の前で恫喝している蜂須賀小六に向かって、藤吉郎は堂々と言い放った。


「おぬしならばできるであろう? わしはそう信じている」




 蜂須賀小六が根城にしている砦に向かう前――


「案の定、柴田さまは失敗した。そこでわしが名乗り出て、墨俣築城を仰せつかった」


 屋敷で藤吉郎が言うと小一郎さんは「そうか。それで兵はどのくらい借りられた?」とさっそく訊ねた。


「兵は借りていない」

「……はあ?」

「というより柴田さまが多くの兵を死なせてしまってな。大殿も一旦は墨俣築城を諦めていたのを、わしが無理矢理推し進めてしもうたんだ」

「……まさか、兵なしで築城するのか!?」

「そうなんだ。佐々成政のやつがあまり言うものだから……」


 小一郎さんは頭を抱えて「兄者は大馬鹿野郎だな!」と怒鳴った。


「兵がなければ策があっても実行できないだろう! なんだ? 俺と兄者と雲之介くんだけでやれって言うのか!?」

「ああ。そういうことになるな」

「ふざけるなよ!」

「それよりも雲之介。先ほどから黙っているが、どうかしたのか?」


 沈黙していた僕に水を向ける藤吉郎。


「……藤吉郎のことだから、何か策があるんだろう? ろくでもない策が」

「ほ、本当かい? 雲之介くん!」

「そうじゃなかったら、こんなに余裕なのはおかしいですよ」


 僕は冷やかな目を向けた。するとバツが悪くなったのか、こほんと咳払いする藤吉郎。


「まあ当てはついている。小一郎、おぬし蜂須賀小六という男を知っているか?」

「蜂須賀小六? ああ、美濃で夜盗か山賊の頭目している奴だろう? 尾張でも知っている人は知っている……ってまさか兄者!?」

「そのまさかよ。わしは蜂須賀小六を織田家に引き入れる」


 これには流石に僕も驚いた。


「藤吉郎、正気なの? いくら兵を借りられなかったからって……」

「そうだ。それに前の話し合いでは国人衆を使うと……」

「国人は無理だな。兵が借りられたらできたが、兵が無いのなら無理だ」


 少し疑問に思ったので「どうしてだ?」と訊ねてみる。


「国人衆は自分の兵と領地を持つ小さな君主だ。君主は自分の兵をやすやすと貸したりはしない。それに斎藤家に義理立てする輩もいるしな」

「なら山賊はどうして大丈夫なんだ?」

「ふふふ。山賊は利に弱いし、国人衆よりも簡単になびきやすい。何故なら地盤がないからだ。本来美濃に対して恩義がない。だから山賊なんぞやっているのだ」


 分かったような分からないような説明だった。


「でも蜂須賀小六はないだろう? もう少し考えないか?」

「小一郎、どうして渋るんだ?」

「あいつは凶暴で人の言うことを聞かない野蛮人だとめっぽう噂だぞ」


 あんまり関わりたくない輩だな。そう思った僕だけど藤吉郎は違うようだった。


「そのほうがこの命がけの仕事にうってつけだな」


 そして立ち上がって僕たちに言う。


「行くぞ、お前たち。蜂須賀小六の居る根城へ!」




 それで今、こうして蜂須賀小六の部下たちに囲まれているのだった。


「墨俣にどうやって城を築くつもりなんだ? 斎藤の連中に気づかれて終わりに決まっているだろうが」

「策はある。それに成功する条件も整っている」


 目の前の大柄で凶暴そうな男、蜂須賀小六は自信満々な藤吉郎を見て、何か感じたようだった。


「詳しい話を聞かせろよ」


 そう言って部下たちを下がらせた蜂須賀。


「簡単だ。織田家は今まで二度失敗している。この事実を斎藤方はどう思う?」

「そりゃまあ、墨俣築城は無理だと思うだろうな」

「そうだ。自信と言えば聞こえはいいが、その実は油断しているのと同じよ」

「……それで?」

「そこでだ。わしたちが墨俣築城をしていても、すぐには動かないだろう。精々半分くらい築かせておいてから潰そうと思っているだろうな」

「まあ俺が龍興でもそうするだろうな」

「そこで僅かな時間で城を築いたら、斎藤方と一戦交えずに済むというわけだ」


 蜂須賀は「はっ。それこそ不可能だ!」と下品に大笑いした。周りの部下も笑っている。


「僅かな時間でどうやって築くつもりだ? いい加減なこと言ってんじゃねえ!」


 怒鳴る蜂須賀に藤吉郎は「そのための策はある」と軽く受け流す。


「まず木曽川の上流で木材を切り、加工する」

「…………」

「それを川から流し、墨俣周辺で回収する」

「……ほう。それでどうするんだ? 組み立てるのか?」

「ご名答。まさしくそれよ」

「しかしそれだと外側しか作れねえぞ。時間的に考えて」

「それでいいのだ。内側はゆっくりと作ればいい。速度が重要なのだ」


 蜂須賀はしばらく黙り込んだ後「確かに墨俣まで下れば浅瀬だから回収は容易だな……」と呟いた。


「親分。まさか、乗る気じゃないでしょうな」

「おいおい。できっこねえよ」


 部下たちは懐疑的だった。まあ僕だって疑っている。

 でも――


「お願いします。藤吉郎に協力してあげてください」


 僕は――深く頭を下げた。

 場が静まり返る。


「藤吉郎はできないことは言わない人です。信じてあげてください」

「おい兄ちゃん。都合良すぎねえか? 初めて会った人間を信用しろ? できねえよ」

「できないから、あなたたちは山賊になったんでしょう?」


 僕の言葉に色めき立つ山賊たち。

 小一郎さんは「雲之介くん!」と小声で言った。


「あぁん? てめえに何が分かるんだ?」


 蜂須賀が立ち上がり僕の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。


「俺たちは好き好んで山賊になったわけじゃねえ。あんまり見下してんじゃねえよ」

「……見下されるのが嫌なら、ここで命張ってくださいよ」


 僕は掴まれた手を握った。


「ここで墨俣築城に貢献できたら、織田家への仕官が可能。山賊稼業からおさらばです」

「それに大殿からたんまり褒美が出るかもしれんぞ」


 藤吉郎も援護してくれる。

 ここが一番の肝だった。


「やりたくもない山賊を続けて生き恥を晒すか、死ぬかもしれない墨俣築城で名を馳せるか。ここで動かなかったら男じゃないぞ! どうするんだ、蜂須賀小六!」

「――っ! てめえ!」


 蜂須賀の力が強くなる。

 そして――


「てめえら、斧を準備しろ! 今から俺たちは織田家の味方をする!」


 続けて部下たちに向かって吼えた。


「ひょろひょろしている青白い兄ちゃんに、俺たちの力を見せつけようじゃねえか!」




 蜂須賀たちのおかげで、木曽川の上流で加工した木を接いで、流す準備は整った。

 後は向こうで組み立てるだけだった。


「おい。何しているんだ? 早く乗れよ」


 蜂須賀が僕に向かって言う。

 水に浮かんだ木――いかだの上に立っている。


「まさか、これで川を下る気なのか?」

「ああ。そっちのほうが早いし、回収も手早いだろう?」


 あんまり乗りたくないが、藤吉郎が「そうだな。そっちのほうが早いな」と乗ってしまった。

 仕方ないので僕と小一郎さんも一緒に乗る。


「……俺の親父は元々武士だった」


 川を下りながら、蜂須賀は語り出す。


「でも俺が山賊までに落ちぶれてな。多分草葉の陰で親父は悲しんでいるだろうよ」

「…………」

「なあ。あんた雨竜雲之介って言ったな。どういう親だった?」


 そう訊かれても、記憶がない僕には答えようがない。

 だから正直に答えようとして――


「危ない! 雲之介!」


 振り返ったときに足を滑らせて、川に落ちそうになる。

 藤吉郎が心配して声をかけてくれた。


「あはは、大丈夫――」


 しかしいかだが大きく跳ねてしまう。きっと岩か何かに当たったんだろう。

 足を滑らせて端にいた僕は、いかだから落ちてしまった。


 どぼんと水の中に落ちた僕は必死に水面に上がろうとして、流れている木材に頭をぶつけた。

 多分、それで気絶してしまったのだろう。

 意識を失った。




『可哀想な子。そして罪悪の子……』


 誰だ? 

 僕を哀れむのは、誰だ?

 僕を憎しむのは、誰だ?


『この子は、生まれてはいけない子』


 女の人の声……?


『せめていっそう、この手で……』


 声が恐ろしいものへと変わる。


『この手で、殺したい』


 息苦しい。水に頭を付けられている。


 誰か、助けて……


 藤吉郎……大殿……志乃……!




「お、気がついたか」


 はっと気がついた。

 顔を覗いていたのは蜂須賀と小一郎さん。


「雲之介くん、よく生きてたね。多分気絶してたから、水を飲まなかったのが幸いした」

「小一郎さん、ここは……」


 周りで山賊たちが作業している。まさか、ここは――


「墨俣だよ。兄者! 雲之介くんが目を覚ました!」


 すると藤吉郎が飛んでやってきた。


「おお! 生きていたか! 良かった、良かった!」


 嬉しそうに微笑む藤吉郎。


「さあ。おぬしも手伝え。動けるだろう?」

「うん。そうだな」


 僕は立ち上がった。

 気絶していたときのことは、気にかかるけど、今はとりあえず、墨俣築城をしなければ。

 一心不乱に働こう。

 そうすれば、悪夢も忘れるさ。

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