第30話墨俣攻略案
昨日の評定の話だ。末席で参加していた藤吉郎。林さまや佐々さまの冷たい視線を受け流しながら、大殿の話を聞いていた。
『前々から打診していた松平家との同盟だが、ようやく色よい返事がもらえた』
『おお! ということは!』
柴田さまの言葉に『うむ。明後日に松平元康自ら来るそうだ』とにやりと笑う大殿。
『しかし同盟が結べるとは思いませんでしたぞ。父祖以来、織田と松平は争っていましたから』
『長秀、そのとおりだ。しかし竹千代――元康は強かな男よ。氏真と俺を秤にかけて、こちらのほうが得だと思ったのだろう』
それだけじゃない。多分、武田とつながっている織田家と結んだほうが得だとも思ったんだと僕は考える。
『同盟の条件は?』
『元康とおいおい話すことになるが、我が娘、おごとくを元康の嫡男に嫁がせることになる』
佐久間さまの言葉に応じて大殿は言う。家臣一同、反対の声が上がらなかった。
ここで僕は身勝手だけど、お市さまが輿入れしなくて良かったと思ってしまった。
『それでだ。差出と検地も済み、宿敵義龍が病死したことから、これより本格的に美濃攻略を開始する』
大殿の言葉に一同は身を引き締めさせた。
『しかし向こうは山地、対してこちらは平地。攻められるのは不利だ。だからこそ、守りに入らずに攻め続ける』
『しかし大殿。山地は守るのに適した土地にございます』
『勝家。それを承知でやらねばならぬことがある』
大殿は小姓に地図を持ってこさせた。そして評定の間の床に広げたらしい。
『長良川の西岸、墨俣に城を築く』
大殿の言葉に全員がざわついた。
『大殿! それは無謀にございます!』
林さまがすかさず異を唱えた。まあ保守的な人だから革新的な考えは否定したいのだろう。
『墨俣は斎藤家の領地。すなわちいついかなるときも見張りがついております。それに暗愚であっても、龍興は重要地である墨俣築城を見過ごさないでしょう』
『秀貞、分かっておる。しかし築かねばならぬ。城を築かねば織田家に勝利はない』
大殿は地図を扇子で示しながら家臣に説く。
『前線に城、もしくは砦を築かなければ、先ほども言ったとおり、攻められやすい尾張はおしまいだ。そうなる前に築城は必須。最重要課題である』
そして一同を見据えながら言う。
『しかしながら兵は多く割けぬ。精々二千の兵が限度だ。多くの兵を失えば挽回するのに時間がかかり、斎藤に攻められてしまう。誰か墨俣築城をするものはおるか!』
誰も――手を挙げなかったらしい。藤吉郎ですらやろうとは言わなかった。それほど難しいのだ。
けれど誰かやらないといけない。そこで筆頭家老である佐久間さまが墨俣築城を引き受けることになったのだ――
「というわけだ。そこで墨俣築城の案を考えようと思う」
ねね殿のご飯を食べながら、話を聞いていたけど、その話の終わりに藤吉郎がそんなことを言い出した。
「佐久間さまがやるんだろう?」
「いや、佐久間さまは失敗するだろう。あの方は言われたことを言われたままでしかできぬお方だ」
「というと? まさか真っ向から築城するって意味かな?」
「そうだろうな。というより普通の武将ならそれが関の山だ」
まあ確かにそうだろうな。前に一度きり会ったけど、平凡そうな顔をしていたし。
「それで、兄者はどう考える?」
「小一郎、お前も思うだろう。策が無ければ築城など夢のまた夢よ」
藤吉郎の言葉に小一郎さんは頷いた。
「なあ雲之介。おぬしはどう考える?」
「どうって……物凄い勢いと数多くの人足で建てるしかないんじゃないか?」
「まあな。それはそうだろうな。普通、そう考える」
藤吉郎は顎に手を置いた。
「なんでもいい。どんな突飛な意見でもいいから、言ってくれ」
僕と小一郎さんは顔を見合わせた。
「まず、城もしくは砦を築くというけど、できるのは砦だね」
「そうですね。城なんてとてもじゃないけどできやしない。だから柵を囲んで壁を作ってやるしかないですね」
「だとするなら、材料は木材だけでいいわけだ。石垣は不要で最低限の体裁ができればいい」
「木材を加工する時間をどう短縮するかですね。それに木材を尾張から運ぶ時間も考えないと」
「うーん。二千の兵でそれができるとは思えないな。夕方に出発しても着くのは夜更け。それから朝までに建てるのは難しい」
「どうして朝までなんですか?」
「斎藤方に発見されるからさ」
「ああ、そうか……」
僕はここで発想を変えることにした。
「砦を築きながら戦うのはどうですか? 半分に兵を分けて――」
「斎藤方は五千ぐらいの兵で攻めてくるよ。二千の半分じゃどうしても防げない」
「じゃあまず戦ってから築くことも難しいですね」
「ああ。それにいつ攻めてくるかも分からないのに、安心して築くなんてできない」
「うーん。それなら動く砦を作るしかないですね」
「あはは。そんなの無理に決まっているよ――」
そこで藤吉郎が「動く砦?」と素早く反応した。
「ああ、ごめん。冗談で言っただけ――」
「いや。雲之介……小一郎も待ってくれ」
顎に手を置いたまま、藤吉郎は立ち上がり、奥の部屋から紙と筆を持ってきた。
「先ほどの問答から良い案と問題点を書いてみるぞ」
汚い字で書き始める藤吉郎。
良い案、城ではなく、砦で良いこと。砦の材料は木材で良いこと。
問題点、木材の確保、運搬方法。斎藤方との攻防。
「つまり、確保と運搬と攻防をなんとかすれば良いわけだな」
「それを解決するのが、雲之介くんが言った動く砦か?」
「現実、そのようなことはできん。しかし何か閃きそうなんだ……」
藤吉郎はぶつぶつ呟きながらうろうろし始めた。
僕と小一郎さんは藤吉郎の頭がおかしくなったんじゃないかと心配した。
「小一郎、雲之介。今日はもう休め。そして明日もう一度集まってくれ」
僕と小一郎さんは何がなんだか分からないまま、その日は藤吉郎の家を後にした。
長屋に帰ると志乃は正座をして、僕を待っていた。
「お帰りなさい。ご飯は食べた?」
「うん。こんな遅くになるまで起きてたんだ」
すっかり日が暮れて、夜更けになっている。
「ええ。これから寝ようと思って。ねえ、藤吉郎さまと何の話してたの?」
「ああ。実は――」
僕は志乃に墨俣築城の話をした。
興味深そうに聞く志乃。
「ねえ。木材は美濃で確保できないの?」
「うーん、どうだろう。協力者が居れば話は違うけど、基本的に敵方だからさ」
「難しいわね……」
布団の中で僕は考える。
墨俣のこと。長益さまのこと。お市さまのこと。仕事のこと。
そして隣に寝ている志乃のこと。
「行雲さまはどう考えるだろうな」
明日、会いに行こうと思ったけど、朝早くに大殿の使いが来て、訪れることができなかった。
松平元康さまを茶でもてなすようにと命じられたのだ。
これから二十年続く同盟の会見でのことだった。
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