第11話病と流血
末森城の城下町――かつてはあんなに活気のあった町だったけど、今はもう見る影さえない。
大殿が焼き払ったからだ。
稲生の戦いで末森城に篭城した信行さまを誘き出すために、大殿は町に火をつけた。
たくさんの人が家を無くした。
たくさんの人が命を亡くした。
戦国の習いとはいえ、あまりにも凄惨な行ないだった。
「こら。何をぼうっとしとるか。早く仕事しなさい」
つらつら考えていて、手が止まっていたようだった。僕は「すみません」と注意した面長な武将――丹羽長秀さまに頭を下げて、焼けて使えなくなった廃材を町の外に運ぶ。
大殿は末森城の城下町を再建するつもりはないらしい。かといって無惨な状態のままは忍びないと考えたようで、足軽を駆り出して後片付けをさせている。
指揮をしているのは丹羽さまで戦も内政もできるお人らしい。それを表すように米五郎左と呼ばれている。由来は米のように無くてはならない存在だという。
「それから流民は女子供と男に分けよ。女子供は清洲に、男は兵として雇い入れる」
丹羽さまの言葉に従って近習の者たちは流民を指示通りに分ける。自分の家々を焼かれて恨み骨髄だと思われたけど、大殿が代わりの家を清洲に用意してくださるということで、あまり反感はないらしい。
これもまた、戦国の習いなんだろうな。
藤吉郎の話だと、信行さまや柴田さまが許されたのは、大殿の母君がとりなしたからだという。つまり信行さまやお市さまの母親でもあるらしい。流石の大殿も母の哀願には勝てなかったのだろう。やはり大殿は優しいお方だ。
以来、信行さまは謹慎している。政務に携わっておらず、鷹狩りばかりしているようだ。
このまま、何事もなければいいのだけど。
今回、末森城の城下町の後片付けに志願したのは、もしかしたら信行さまに会えるのではないかと思ったからだ。謹慎しているからといっても、自身が築き上げた町の様子を見ないはずがないと思ったけど、その目論見は外れてしまったようだ。
もう一度、信行さまと話したかった。
話してなんとかなるわけじゃないけど、話したかった。
僕を優しいと評した信行さま。
だけど戦を起こしてしまった信行さま。
どう僕は思えばいいのか、分からなかったから。
「雲之介さん。ご相談があります」
お市さまに呼ばれて、僕は清洲城内の一室に来ていた。
慰めてもらってから、お市さまと顔を合わせるのは、なんだか気恥ずかしかった。
「はい。なんでございましょう?」
平常を保ちながら僕はお市さまに頭を下げる。
お市さまは沈んだ声で言う。
「信長お兄さまが病になってしまわれたのです」
「えっ? それはまことですか?」
思わず問い返して、顔も上げてしまった僕。
お市さまの表情は暗かった。
「移るといけないと言われまして、会わせてくれないのですが、何か見舞いになるものを渡したいと思いまして。それで雲之介さんに相談しようと」
「分かりました。考えましょう」
僕は「大殿の好きなものはなんですか?」と訊ねた。
「そうですね……最近は鉄砲とか火縄銃などという玩具が好きらしいですけど」
「鉄砲? 火縄銃? 聞いたことないですね……」
「後は甘味のあるものや塩辛いものが好きですね」
それを聞いて僕は提案をしてみる。
「病ですから、塩辛いものよりも甘いもののほうがいいですね。藤吉郎――知り合いに甘いものを教えてもらいます」
「まあ! ありがとうございます!」
嬉しそうに笑うお市さまの笑顔は本当に素敵だった。それを見て思わず笑ってしまった。
「あら。雲之介さん。あなた――」
「はい? なんですか?」
「初めて笑いましたね」
お市さまに指摘されて、ハッとして表情を引き締める。
「し、失礼を――」
「いいえ。雲之介さんって、笑顔が可愛いんですね」
か、可愛い!?
「とても素敵です」
「ご、ご冗談を……」
その後は赤面してしまって、何がなんだか分からなくなった。
城を出た後、僕は藤吉郎の元へ行こうとした。
だけど――
「うん? おぬし、確か雲之介だったな」
城門前で、再会した。
「の、信行さま――」
会いたかった、信行さまに。
信行さまは折り目正しく正装をしていて、傍に柴田さまを従えている。これから城門に入るみたいだった。
「城から出てきたということは、既に小者ではないようだな」
「は、はい。足軽に……」
「足軽? 何故足軽が城に入れる?」
僕はお市さまの話し相手になっていることを言う。
「そうか。兄としてよろしく頼む」
「もったいなき御言葉……」
そして信行さまは急いだ様子で清洲城の中に入っていった。
一体、何の用だろう?
そして柴田さまはどうして一層恐い顔をしていたんだろう?
不思議だった。
「藤吉郎。甘いものを知らないか?」
「いきなりどうした?」
藤吉郎の長屋に入って、開口一番に言うと藤吉郎は「まず経緯を話せ」と訊いてきた。
「実は大殿が病になって――」
「何? 大殿が?」
怪訝な顔をする藤吉郎。そしてお市さまにお見舞いの品を持ってくるように頼まれたことを話した。
「ふうん。おぬし、お市さまに惚れておるな」
「ち、違う! どうしてそんな話になるんだ!」
「かっかっか。照れるな。確かに美少女だからなあ。お市さまは」
そう言った後、藤吉郎は真面目な顔になった。
「何か城内で変わったことはないか?」
「変わったこと?」
「そうだな。たとえば普段と違った様子とか人とか居なかったか?」
僕は信行さまと柴田さまに会った話をした。
すると藤吉郎は難しい顔になった。
「病。身内には伝えているが家臣には知らされていない。そして信行さま……」
ぶつぶつと呟く藤吉郎。
僕は次第に不安が心の中に渦巻いていくのを感じた。
「雲之介。お前は信行さまをどう思う?」
「どうって。いい人だと思うけど」
「もしも死の淵に立たされている信行さまが居たら、助けたいと思うか?」
茶化した様子はない。真剣な表情だった。
だから僕も真面目に答えた。
「もちろん助けたいよ。お話したいこともあるし、何より死にそうな人を見るのはもう嫌だ」
「そうか……」
藤吉郎は立ち上がった。そして「ついて来い」と僕に言った。
「大殿のところに参るぞ」
「えっ? 今から?」
「今からでないと間に合わん」
そして風呂敷を抱えて、長屋から出る。
「いいか。大殿のところに行くまで、一切何も喋るな」
「う、うん。分かった……」
「大殿と会ったら、好きなだけ話せ」
よく分からなかったけど、従うことにした。
藤吉郎は清洲城にどうやって入るのだろうかと思っていたけど、門番に「雲之介がお市さまから頼まれた品を持ってきた」と風呂敷を見せた。
「そうか。雲之介も一緒ならいいだろう」
すっかり僕はお市さまのお気に入りとして門番にも認知されているらしい。
城内に入ると真っ先に藤吉郎は大殿のところに向かった。そういえば草履を温めていたらしいから、大殿が居るところぐらい分かっているようだ。
そうして進んでいって、大殿の部屋の前に来て――
「藤吉郎、どうしてお前が?」
「雲之介、やはり来たか……」
前田さまと池田さまが、部屋の前に居た。
まるで誰かを通さないように。
柴田さまと同じくらい、恐い顔で――居た。
「池田さま、前田さま。どうかお通しくだされ」
藤吉郎が片膝をついた。僕も同じようにした。
「ならぬ。もうそうしなければいけないことになっている」
池田さまの声音は固かった。
「分かっております。わしもこれまでと思っています」
藤吉郎は僕を指差した。
「しかしこの雲之介に賭けてみるのはいかがですか?」
「賭ける? 何をだ? もはや――」
「ご兄弟が共に、歩んでいく未来が実現するかもしれません」
そして池田さまに藤吉郎は言う。
「乳兄弟として、辛い思いをさせてよろしいのですか?」
池田さまは天を仰ぎ、しばし悩んで――
「分かった。通れ」
道を――あけてくれた。
「良いのですか? 池田さま」
「利家、責任はわしが持つ。お前は関わっていない」
前田さまはそれを聞いて、少し悩んでから同じように道をあけた。
「さあ行け。雲之介、お前に救えるかどうか。見定めてもらう」
よく分からない。藤吉郎が言っていることも。池田さまが今言ったことも。
分からないけど――期待されていることは分かった。
だから黙って頷いて、ふすまを開けた。
そこに、居たのは。
「く、雲之介……」
右肩から血を流している、信行さまと。
「何故、お前がここに……」
血で染まった刀を持っている――大殿。
「ど、どういうことですか……」
僕は信じられない思いで二人を見る。
「どうして――殺すんですか!?」
そう、叫ばずには、いられなかった。
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