第10話価値と恨みと温もり

「おぬしは悪くない。ただ――運が悪かったのだ」


 戦の後、藤吉郎が心配して、長屋まで来てくれた。そして食えと言って粥を食べさせた。匙で少しずつ掬う。味は薄いけどほとんど何も食べていなかったので、美味しかった。


「戦で必ず死ぬということはないが、必ず生き残るという保障もない。弥助という者は運が悪かったのだ」

「でも、僕を庇わなければ――」

「かもしれんな。しかしおぬしは生きねばならぬ。自身が分かっているようにな」


 そうだ。僕は生きている。弥助さんは死んでいるのに、僕は生きていた。


「誰かに命がけで救われた者は、その者に報いるために生きねばならぬ」


 厳しい顔で言う藤吉郎に僕は「いつまで生きないといけないかな」と訊ねた。


「天寿を全うするまでよ。決まっておろうが」


 優しく微笑んで答える藤吉郎。よく見ると頭に布を巻いていた。


「藤吉郎。頭、怪我したのか……」

「うん? ああ、まあな。今気づいたのか。なに、たいしたことはない」


 藤吉郎は僕の肩に手を置いた。


「おぬしが生きていて、良かった」

「……藤吉郎」

「生きよ。それが弥助に対する恩返しぞ」


 僕はなんだか泣きたくて、それを誤魔化すように、粥をかき込んだ。

 少し、塩味がついた気がした。


「まあ結局、わしも手柄を立てられんかった。しばらくは足軽組頭だな」

「そうなんだ。残念だな」

「出世の道が途絶えたわけではない。励めばいいことよ」


 僕は気になっていたことを訊ねた。


「藤吉郎は、どうして出世したいんだ?」


 藤吉郎は「出世が全てではないがな」と断った上で話し始める。


「出世して人の世を楽しむのが目的よ」

「人の世を、楽しむ……」

「別に偉くなって誰も彼も見返してやるだとか、そのようなことは考えてない。それよりも楽しんだほうが楽しいものよ。せっかく人に生まれたのだからな」

「よく、分からないよ」


 藤吉郎は懐から財布を取り出した。そして銭を出した。


「いいか雲之介。これは銭だ」

「うん。それで?」

「これは飯を買えるが、銭自体は食えぬ」

「うん。それも分かる」

「ならば銭自体はそれほど価値のあるものではない。腹が減っても銭は食えぬからな」

「……うん」

「しかし、価値のない銭が価値を持っていることがこの世の面白さよ。多寡によっては尊敬もされる。軽視もされる。何より銭自体に価値を見出す者もいる」

「それは、どうしてなんだ?」


 難しい問いだったけど藤吉郎は簡単に答えてくれた。


「銭には信用があるからだ。長い年月をかけて培った信用で売買が成立する。つまり信じる者は儲かるわけだな」


 最後は茶化すように言った藤吉郎だったけど、僕にはなんとなく意味が分かった。

 つまり――


「藤吉郎は出世することは手段であって目的ではないんだね。この世を楽しむことが目的なんだ」

「そうだ。わしの言わんとすることを理解したようだな」


 無価値よりも価値あるほうが世の中を楽しめる。

 それが藤吉郎の考えなんだ。


「さて。粥を食い終わったことだし、わしはそろそろ自分の部屋に戻る」


 そう言って立ち上がる藤吉郎。


「ありがとう、藤吉郎」

「礼など言わんでいい。家来の面倒を見るのも主君の役目だからな」

「それでも、ありがとう」


 出て行くときに、藤吉郎はこう言った。


「もしも、あのことを伝えに行くときは――恨まれてこい」

「…………」

「怒りは風化するが、恨みというのは、意外と残るものだ」


 やっぱり藤吉郎には敵わないな。

 僕はあのことを言わなかったのに。


「分かってる。分かっているよ、藤吉郎」

「……そうか」


 藤吉郎は扉を閉めた。

 僕は布団の上に寝っころがる。

 右腕の傷が、少し疼いた。




 僕はとある村に来ていた。

 近くの百姓に名主の家を訊いて、迷うことなく、真っ直ぐ向かった。

 名主なだけあって、他の家よりも大きかった。


「御免。志乃さんは居ますか?」


 そう言って家人を呼び出す僕。すると入り口の引き戸ががらりと開いた。


「弥助! 戻って――」


 出てきたのは僕より少し年上の綺麗な女の人だった。勝気そうな目をしている。

 最初は笑顔だったけど、僕を見て驚いていた。


「あれ? 弥助は?」

「志乃さん、ですね?」


 志乃さんの顔が少しずつ変わっていく。

 戸惑っている。


「そうだけど、あなたは?」

「雲之介です。あなたに渡したいものがあります」


 僕は懐から取り出した。

 志乃さんの顔が困惑から悲痛になっていく。


「嘘でしょ……? ねえ、そんな――」

「弥助さんは、最期まで立派でした」


 取り出したのは血で汚れた、お守り。

 志乃さんが作った、弥助さんのお守りだ。


「……嘘よね? なんで、どうして」

「偽りではありません。弥助さんは――」

「いや! 言わないで!」


 志乃さんの目から大量の涙が溢れ出す。

 僕はグッと堪えて言う。


「弥助さんは、死にました」

「いやあああああああああああああああ!」


 まるで魂が抜け出てしまうかと思うくらいの悲鳴。顔を抑えて、どうしようもないくらい、悲しみに支配された――


「なんで、死んだの……祝言挙げようって言ってくれたのに、どうして――」


 しばらくして、それだけを呟いた。


「どうした! 志乃!」


 家から中年の男性が出てきた。多分、志乃さんの父親だろう。


「何があった?」

「弥助さんが死にました」


 僕が伝えると志乃さんの父親は「な、なんだと!?」と驚愕した。


「どうして死んだ? 先の戦で?」

「そうです。最期まで立派でした」


 僕は悲嘆にくれる志乃さんを見てられなくて、その場を去りたかった。

 でも言わないといけない。

 そうでないと、志乃さんが後を追いそうだったから――


「弥助さんは僕を庇って死にました」


 志乃さんがその言葉に反応した。


「矢が降り注いで、僕の身代わりになって死にました」

「き、君、それは――」

「それ、本当なの?」


 ゆらりと立ち上がる志乃さん。

 その顔は――怒りに歪んでいた。

 僕は既に覚悟していた。


「はい、本当――」


 言い終わる前に、志乃さんが僕を押し倒した。


「志乃!」

「あんたが! あんたなんかを庇って! 弥助は死んだの!?」


 僕は「そうです」と答えた――頬を叩かれた。


「ふざけないで! 返してよ! 弥助を返して!」

「…………」

「私が大好きだった、弥助を返してよ!」


 何度も叩かれた。馬乗りだったからどうしようもない――いや、そうでなくても抵抗しなかっただろう。


「志乃、やめなさい!」


 父親が志乃さんを引き離した。


「父さん、放して!」

「……君もさっさとどこかに行きなさい!」


 父親も僕に怒りを感じているようだ。

 最後に一礼して、僕はその場を去った。


「待ちなさいよ! この、人殺し!」


 志乃さんの声が、いつまでも心に残った。




 清洲城に戻った。すっかり夕暮れだった。

 そういえば、信行さまはどうなるんだろう?

 大殿はどうするんだろうか?

 今更だけどそんな考えがよぎった。

 気になったので、城の近くまで歩く。


「あら。雲之介さん。その顔、どうしたんですか?」


 城の近くでお市さまが護衛の者や侍女たちと一緒に居た。


「お市さま、どうしてここに?」

「お兄さま方がお話しているそうなのです。そのせいで追い出されてしまいました」

「…………」

「でもご安心ください。信行お兄さまは許されるそうです」

「それは良かったです……」


 素直に喜べなかった。弥助さんの死んだ原因を作ったのは信行さまだから。

 それでも、怒りとか恨みが湧くことはなかった。

 だって、信行さまは、尾張のために――


「……雲之介さん、泣いているのですか?」


 僕は頬を伝う涙の理由が分からなかった。

 いろんなことがありすぎて、分からない。


「ごめんなさい、お市さま。見苦しい――」


 そう言ってその場を去ろうとしたとき。


「……よしよし」


 お市さまが、優しく抱きしめてくれた。


 護衛の者や侍女たちは「おやめください!」と騒いでいる。でも無理矢理引き離すことはしないようだった。


「お、お市さま……?」

「何があったのか、分かりませんけどね」

「…………」

「大丈夫。泣いていいのですよ」


 お市さまは知らない。

僕が弥助さんに助けられたことや志乃さんに恨まれたことを。

 それでも優しくしてくださる。


「う、うう、うううう……」

「よしよし」


 僕はお市さまに縋りついて、泣いた。

 優しさが、温もりが、嬉しかった。

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