第6話鷹狩りでの出会い

 末森城――織田信行さまの居城は珍しく山の上には築かれていなかった。まあ尾張は平野の土地だから、小高い丘とかに建てるしかないのだけれど。

 確か先代の信秀さまの居城だったらしい。信秀さまの死後、大殿ではなく信行さまに受け継がれたようだ。


 僕は三日間ほど末森城の城下町でうろついていたけど、なかなか信行さまに会えなかった。大殿のように視察や治安維持を自ら行なう人ではないらしい。それらを行なっているのは弥助さんが話していた重臣の柴田勝家さまで、もう一人重臣、林秀貞さまは文官で外交や内政をしていると町の人たちに聞いた。

 城下町の人々は明るくて優しかった。苦労や不満がないとは言わないけど、それでも何らかの幸せを感じていた。暮らしが充実しているのは良いことだ。政秀寺で衣食足りて礼節を覚えると習った。


 そして四日後。道の端で平伏している人々が居た。話を聞くと信行さまが鷹狩りに出かけるらしい。もうすぐ来るので頭を下げていたのだ。

 機会が来たと思った。僕は平伏せずに城下町の外で信行さまを待つことにした。

 待ち続けているとようやく信行さまが外に出てきた。十数人引き連れている、中には鳥かごを持っている小姓も居た。

 一目見て、列の中心で馬に乗っているのが信行さまだと分かった。他の侍よりも着物が奢侈だった。

 それに信行さまは大殿と顔が似ていた。少しだけ若くて顔が柔和だったけど、美男子であることには変わりない。

 傍にはまるで山賊のような恐い顔をした髭面の武将が馬に乗っていた。


 さて。どうやって接触しようか。藤吉郎の言葉に従うなら見るだけじゃなくて性格や人となりを知らなければいけない。

 馬に乗っているけど早駆けはしないらしい。歩きの者もいるからだろう。後をつけるのはたやすいけど……

 とりあえず無礼にならないように話しかけてみよう。大殿の弟君だから無礼討ちはされないだろう。


 僕は走って信行さまの元へ向かった。かなり近づいたとき、護衛の者に気づかれた。


「止まれ! 貴様何者ぞ!」


 ぴたりと止まった。刀を抜かれている。僕は大声で言った。


「僕は織田信長さまの小者、雲之介です」

「何? 信長の? 貴様、何の目的だ!」


 馬上で様子を見ていた粗暴な侍がいきり立って睨みつける。正直恐かったけど、何事もないように振舞った。


「待て、勝家」


 甲高い声で勝家――粗暴な侍は柴田勝家さまだったのか――を制止した。

 信行さまだった。


「おぬしは兄上の小者か。もしや兄上からの伝言でもあるのか?」


 僕は素直に言った。


「いえ。藤吉郎の頼みで信行さまを見てくるように言われたんです」

「藤吉郎? 勝家、知っているか?」


 信行さまは柴田さまに訊ねるけど「聞いたことはございませぬ」と丁寧に答えた。


「藤吉郎とは何者ぞ?」

「小者頭で、今は普請奉行してます」

「ふうむ。その者が私を見てこいと?」


 しばし考える信行さま。そして「見てくるのなら遠目でもいいではないか」と言われた。


「いえ。人となりを知るようにと頼まれたのです」

「訳が分からぬ! 小者頭風情が、我が殿の人となりを知るだと? 貴様、まさか草の者ではあるまいな?」

「くさのもの? いえ違います」


 柴田さまが言ったくさのものがなんなのか分からなかったので正直に答えた。


「殿! こやつは怪しい! 斬って――」

「やめよ勝家。斬ることは許さぬ」


 信行さまが手を挙げて再び制止した。


「何ゆえですか?」

「小者とはいえ、兄上の家来を私が無礼討ちしたら、どう思われるか。加えてこの者は嘘を言っているように思えない。私の人となりを知るくらい構わないだろう。最後に、子供を殺すのは駄目だ。我が子が産まれたばかりだからな」


 そして信行さまは僕に微笑んだ。


「面白い子供だ。よし、一緒に鷹狩りについて来い」

「信行さま。それは無用心では――」

「よい。間者だとしてもお前が私を守ればよい」


 そう言って何事もなかったのように馬を歩かせる信行さま。他の者が不審がっている中、僕はよく分からないけど上手くいって良かったなとお気楽なことを考えていた。


 鷹狩りは鷹に小鳥を捕まえさせる遊びだ。武士のたしなみの一つと言われている。初めて見るけど信行さまは鷹を操るのが上手かった。自由自在に操って、あっと言う間に十二羽の獲物を仕留めた。


「それでおぬしは私の人となりが分かったのか?」


 鷹狩りが一段落着いて、休憩しているときに話しかけてくれた信行さま。当然、柴田さまも傍に居る。


「まだ鷹狩りが上手で賢い人という印象しかありません」

「はは。正直だな。その藤吉郎と申す者に何を探れとは言われてないのか?」


 言われてなかった。ただ人となりを見てこいとだけしか頼まれていなかった。


「いえ。何も」

「ふむ。藤吉郎という男も酔狂だが、おぬしもおかしな子供よ。斬られるかもしれぬとは思わなかったのか?」

「無礼を働かなければ斬られることがないと思っていました。それに大殿の弟君さまでもありますし」


 信行さまは目を見開いた。


「兄上を知っていて、なお私が斬らぬと申すのか?」

「大殿は優しいお方ですから」

「兄上が、優しい?」


 不思議そうな顔をする信行さま。僕は続けて言った。


「得体の知れない僕と藤吉郎を雇ってくれました。それに政秀寺で勉強させてもらいました。さらに自害なさった平手政秀さまを偲んでいます」

「平手政秀を偲んでいる……そうか政秀寺で学んでいたから、知っているのか」

「そんな大殿と血がつながっている信行さまが、優しくないわけがありません」


 そう言い切ると信行さまは複雑な顔をして言う。


「おぬしは、お人よしだな」

「は? お人よし?」

「たったそれだけで人となりも知らぬ私に近づくとは。もしも私が短気であったなら、首と胴が離れていたぞ」


 お人よし……そうなのだろうか?


「おぬしは人を信じやすいのだろう。性格ではなく性質がそうなのだ。今までどう生きてきたのか知らぬが、きっと『謝れば命だけは助けてくれるだろう』と心の内では思っているのだろう。良く言えば素直だが、悪く言えば甘いのだな」


 何も言い返せなかった。言い返す気にもならなかった。実際に山賊相手にそう振舞ったし、賢い信行さまが言っていることだからそのとおりなのだろうとしか思わなかった。

 それが素直だとか甘いだとか。そういうことなのだろう。


「おぬしには言っておかねばならぬな」

「殿。不用意なことは言ってはいけませぬぞ」

「いいのだ勝家。この子供がどう判断するのか、聞きたい」


 信行さまは僕の目を真っ直ぐ見た。僕も見つめ返す。

 こんなに真っ直ぐに目を見てきたのは藤吉郎ぐらいだった。


「私は兄上――織田信長を討とうと思っている」

「――えっ?」


 何を言っているのか、理解できなかった。

 兄を討つ? 目の前に居る、小者の僕の話を聞いてくれた優しい信行さまが、そう言ったのだろうか?


「実の兄を、討つというのですか?」


 馬鹿みたいに信行さまの言ったことを繰り返す僕。

 信行さまは空を見上げて言う。


「この国、尾張は肥沃な土地だ。それに津島を抑えていることで伊勢湾水運の莫大な収益もある。上手く他国と手を結べば、尾張は日の本一の豊かな国になる」

「そ、それが大殿を討つ理由に、なるんですか……?」

「兄上は他国に攻め入ろうとしている。しかしそんなことをしてどうする? 天下など統一できるわけがない」


 信行さまの顔が曇っている。そして僕に語りかけた。


「私は尾張の国が好きだ。この国に生きる民が愛おしい。そして何よりも嬉しいのは民が生きやすい国を作れる立場にいることだ。おぬしのような小者でも充実した暮らしができるよう努めるのが私の使命だ」


 そのとき、信行さまの目から涙が零れた。


「だからこそ、兄上を討つ。討たねばならぬ。兄上は戦乱を巻き起こす魔王だ」


 涙が袴に落ちた。


「尾張のために、私は兄上を討つのだ」


 信行さまは本当に尾張のことを思っている。でも――


「おぬし、何故泣く?」


 僕も涙が溢れていた。とても悲しかったから。


「そんなの駄目です……兄弟同士で争うなんて……駄目なんです……」


 本当に悲しかった。国を思うゆえに兄を殺そうとするなんて。しかもそれがこんなにも優しい信行さまの口から出たなんて。

 悲しすぎて、涙が出てしまう。


「……おぬしのことを素直とか甘いとか言ったが、それは誤りだった。おぬしは優しすぎる」


 信行さまは最後にこう言った。


「このことを藤吉郎、それに兄上に伝えても構わぬ。どうせ市井の噂になっているのだからな」

「信行さま……」

「さあ、行け。お前が知りたかったことは知れたはずだ」


 僕は涙を拭って、一礼してから、その場を走り去った。

 走りながらも涙が溢れてしまう。

 どうしてこんなにも悲しいのだろう。

 自分でも分からなかった。

 信行さまが言っていた、優しいからだろうか。




「おお。よう戻ったな……どうした? 目が腫れているぞ?」


 すっかり日が落ちて。

 藤吉郎の長屋の部屋に入るなり、僕は信行さまのことを話しだした。

 大殿を討とうとしていることは言うべきか悩んだけど、結局全部話してしまった。


「やはり弟君は大殿を討つ気でいるのか……」


 藤吉郎は難しい顔をして腕を組んだ。


「ご苦労だったな。おぬしには辛いことをさせてしまった」

「……いいんだ。でも、藤吉郎、信行さまは……」

「ま、討つと言ってもすぐには討たんだろうよ」


 藤吉郎は僕を安心させるようににっこりと笑った。


「それはどういうこと?」

「美濃には大殿の舅、マムシが居るわ。奴が居る限り、信行さまは攻めたりしない」

「あ、そうか。美濃も敵に回るかもしれないから」


 それを聞いて安心した。

 安心? 何に対して安心したんだろう?


「さて。今日はもう自分の部屋に戻れ。明日からまた仕事や訓練があるぞ!」


 元気付けるような声。僕は頷いて四日ぶりの自分の部屋に戻って、布団に包まって寝た。


 それからしばらく信行さまが謀反を起こす兆しはなかった。

 だけど僕にはどうしようもないことが起きてしまう。


 年が変わって、四月。

 美濃で謀反が起きた。

 斎藤道三に息子の義龍が叛いたんだ。

 それが長良川の合戦の始まりだった。

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