第7話高嶺の花

 斎藤道三――元油売りが美濃の国主に成り上がった過程には裏切りと陰謀が満ちていた。名門の土岐氏が治めていた美濃だったけど、上役に取り入り、敵対者を排除し、そして最後に主君である土岐頼芸を追い出して国盗りを完遂させた。

 だからこそ美濃のマムシと評されるほど恐れられていた。同時に蛇蝎のごとく嫌われていた。

 でもまさか、実の親子が争うなんて――


「噂によると義龍は道三の息子ではないらしいぞ」

「どういうことなんだ?」


 城内の仕事が終わった、夕暮れ。

 この頃、藤吉郎は小者頭から足軽組頭に出世していたけど、長良川の戦いには参戦していなかった。清洲城で後詰をしていたのだ。まあ、平たく言えば城の守備をしていた。僕も同じく足軽として藤吉郎の配下に加わっていた。

 城の守備と言っても種まきの季節だから攻めてくる軍勢などいない。だから長屋で藤吉郎の話を聞いていた。


「義龍は道三の側室の深芳野(みよしの)が産んだのだが、その深芳野は先ほど言った土岐頼芸の愛妾だったのだ。それが道三に下賜されたのだが、そのとき既に身ごもっていたらしい」

「えっ? それじゃ――」

「あくまでも噂だがな。しかし事実なら道三は義龍にとって実の父を追いやった張本人となる。加えて道三は義龍よりも孫四郎という実子を寵愛していたのだ」


 疑惑と嫉妬。それが謀反の理由。

 だとしたら、そんな悲しいことはなかった。


「なあ藤吉郎。この戦、どうなるんだ?」

「どうなるもなにも、道三の負けだ。大殿の援軍が間に合っても勝てんだろう。既に美濃の国人衆は義龍の味方になっているしな」


 あっさりと答えた藤吉郎。それを聞いた僕の顔は多分曇っていただろう。

 美濃が義龍のものになったら、道三と大殿の間で結ばれた同盟が破棄されてしまう。つまり大殿は後ろ盾となる人物を失ってしまう。それが意味するのは、道三の死は信行さまが叛くきっかけになるということ――


「大丈夫か? 顔が真っ青になっているが」


 藤吉郎が心配そうに僕の顔を覗き込む。なんとか平気だと伝える。


「……前々から思っていたが、おぬしは人に肩入れしすぎだな」


 藤吉郎は軽く笑った。別段、責められている風ではなく、かといって褒めてもいない、呆れたような笑みだった。


 藤吉郎と別れて僕は自分の長屋の部屋に戻る。すると長槍を持って訓練場に向かっていた弥助さんと出会った。


「弥助さん。こんな時間に鍛錬するんですか?」

「うん? ああ、雲之介か。いやな、戦が近いと俺なりに思ってな。美濃かずいぶん前に話した信行さまか分からんが。少しでも鍛えて強くなりたいんだ」


 真面目な顔をして言う弥助さんに「何かあったんですか?」と訊ねた。誰だって強くなりたいと思うのは当然だけど、以前は生き残りたいだけで、ここまでするような人じゃなかった。

 すると弥助さんは照れながら「幼馴染が居るんだ」と打ち明けた。


「幼馴染? それって女ですか?」

「まあな。そいつは名主の娘で俺には高嶺の花だったが、もし武士になれたら婚姻しても良いと許可をもらったんだ」

「へえ。それはおめでとうございます」


 僕の言葉に「ありがとう」と応じる弥助さん。そういえば最近は熱心に前田さまの訓練を受けていて色黒になってたな。


「だからまずは強くなる。そして首級を挙げて武士となる。そのために鍛えるんだ」


 なんだか格好いいと思ってしまった。自分にない強さがあったから。

 僕はこの頃、武の才がないことを自覚していた。だから別の何かで藤吉郎の役に立ちたいと願うようになった。

 だけどそれは逃避かもしれない。


「僕も一緒に鍛えていいですか?」

「ああ。いいだろう――」


 弥助さんが了承してくれたときだった。


「おお。こんなところに居たのか」


 声をかけられた。振り向くとそこには見覚えのある武士が居た。

 全体的に幼く、それでいて勝気そうな顔つき。でもどこか大殿に近しい者を感じる。

 確か、名前は――


「えっと……勝三郎さま?」

「うん? 何故わしの名を知っている?」


 初めて大殿に出会ったときにそう呼ばれていたし、それに城内でも何度か見かけていたからそれで覚えていたのだ。

 そのことを言うと勝三郎さまは「なるほどな」と納得した。


「では改めて名乗ろう。わしは池田恒興(いけだつねおき)。部将だ」


 部将とは地位の一つでかなり偉い。


「失礼しました。そのような方を幼名で呼ぶなど……」

「良い。むしろだいぶ昔に一度だけ呼ばれた幼名を覚えていたほうが凄いわ」


 弥助さんを見ると片膝をついている。慌てて同じようにしようとすると「そのほう、着いて参れ」と池田さまに言われた。


「おぬしに会いたいとおっしゃる方が居るのでな」

「はあ。足軽の僕にですか?」

「そうだ。さあ参ろうぞ」


 僕は弥助さんと別れて――その際弥助さんは同情する目をした――池田さまの後をついて行った。


「大殿のご親戚の方ですか? 池田さまは」


 会話しないと緊張で一杯一杯になりそうだった。部将の方と二人きりなんて初めてだったから。


「いや。しかし乳兄弟よ。わしの母が大殿の乳母だったからな」

「じゃあ幼馴染なんですね」

「そう言えば分かりやすいが、恐れ多いわ」


 確かにそうだった。

 その後は会話もなく、清洲城の中を進む。こんな内部まで入ったことはなかった。

 やがて一室の前で池田さまは止まった。そして片膝をつく。僕も慌てて倣った。

 そこでようやく気づいた。先ほど池田さまは『会いたいとおっしゃる』と言われた。

 つまり、池田さまが敬語を使われるほど偉いお方が僕に会いたいと言っていた――


「お市さま。雲之介を連れて参りました」


 池田さまの声に部屋の中から「入りなさい」と声がした。女の子の声だ。

 池田さまは失礼しますと断って、障子を開けた。


「あなたが雲之介さんですね」


 中に居たのは綺麗な女の子だった。

 織田家の家紋が入った煌びやかな衣装。歳は僕より下。八才か九才。十才ということはないだろう。髪は真っ直ぐ伸びていて美しい。目鼻もはっきりしていて整っている。真っ赤な唇。白い肌。どんな美辞麗句を並べても霞んでしまうような、美の極致とも言える女の子だった。

 女の子は首を傾げた。


「あなたは――雲之介さんではないのですか?」


 そういえば問われていたことに気づく。さらに女の子の近くには侍女が三人居ることにも気づいた。


「は、はい。雲之介です」

「そうですか。意外とお若いのですね」


 にっこりと微笑む女の子に僕は心を奪われてしまった。

 この子を守るためなら死んでもいいと思った。


「わたくしはお市。よろしくお願いします」

「こ、こちらこそ、よろしくお願いいたします!」


 平伏して応じた僕。お市さまはくすくす笑いながら「そんなに緊張なさらないでください」と言う。


「とりあえず部屋に入ってください。恒興、あなたも中に」


 促されて中に入るのだけど、いろんな意味で緊張してしまった。


「実はあなたのことはお兄さまから聞いているのです」

「お兄さま?」

「ええ。信長お兄さまにね。それと信行お兄さま」


 そうだ。よく見ると大殿と信行さまに似ている。


「猿に付き従う金斗雲みたいな少年。信長お兄さまがあなたを評した言葉です」

「金斗雲? なんですかそれは?」

「まあ。西遊記をご存じないのですか? 今度教えてあげますわ」


 西遊記ってなんだろうか? 古事記や日本書紀みたいなものだろうか? 政秀寺にはなかったな。


「信行お兄さまはあなたを可哀想なくらい優しい子だと言っておりました」

「それは、どういう意味ですか?」

「わたくしには分かりかねます。しかしほんの少しだけ分かるような気もします」


 そしてお市さまは僕の目を見て言った。


「その優しさを以って、あなたにしてほしいことがあります」

「なんでしょうか?」


 お市さまはそこで悲しそうな顔をした。なんだか心が締め付けられる表情だった。


「あなたにやってほしいこと。それは――」


 お市さまは僕に言った。


「信長お兄さまと信行お兄さま。どちらかが負けてしまったら、その方の助命を勝者に懇願して欲しいのです」


 幼き姫の願い。

 それは誰しも普通に思うこと。

 家族の命を救って欲しいってことだった。

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