新宿異能大戦78『ただ独り、そこに立つ』

 初めて見る景色。

 初めて聞く音。

 初めて嗅ぐ匂い。


「──────」


 その全てに茫然としながら、男は一人立ち尽くしていた。


 燃えるような金髪。

 白く端正な顔立ち。

 傷だらけの体。

 そして、ナイフのように横に伸びた長い耳。


 まるで絵本から飛び出てきたような容姿の男は、訳も分からず周囲を見回し、息を粗く吸う。


「…………」


 口に広がる、見知らぬ味。

 喉を通り肺を満たす、初めての感触。


 全てがありふれたものの筈なのに、全てが異物のように五感を逆撫でていく。


「…………世界の、味……」


 1774年、ヴァージニア。

 それはまだこの大陸に合衆国という国が存在しなかった時代。

 その時奇しくも世界を渡ることになったエルフの騎士がひとり。


「私は――」


 名は、リチャード=ウェリントンと言った。




    新宿異能大戦第78話 『ただ独り、そこに立つ』




――――始まりは、全てを失った所からだった。



 生まれは森の奥に居を構えるただの狩人。

 貧しくはなかったが、幼き頃の思い出は木と草と獣しかなかった。


 かつての王国が五つに分裂してから五十年、大乱も一定の小康を保っていた時代。

 既に戦争は生活の一部となり、栄達に欠かせぬ手段となっていた時期である。

 とはいえ森の狩人にはそんな情勢など関係なく、ただ獣の足跡を追い続ける日々。


 だがそんな折だった。

 彼女と出会ったのは。


 季節は秋、場所はよく目印にしていた大樹の根本。

 魔獣に護衛を蹴散らされ、自身も負傷して動けなくなっていた所を私は偶然介抱した。


 まるで木漏れ日のような少女だった。

 誰に対しても柔和に微笑み、木々や小鳥と語り合い、どんなものにも興味を示す。

 目を冷ましてからの数週間、私は彼女に引っ張られて毎日森を探検した。いつもの森がその時だけは新鮮に思えた。


 しかしいつしか彼女にも迎えが来る。

 仰々しいまでの騎兵の行列――彼女は王族の娘だった。


 涙を浮かべながら馬車に乗せられていく彼女。当然私はそれを泣きながら見ていることしか出来ない。

 手には多いのか少ないのかも分からぬ謝礼金。しかしそんなものは何の慰めにもならなかった。


 冬。

 私は彼女を忘れようとしていっそう狩りに励んだ。

 しかし忘れられることなど出来るはずもない。

 弓を引くたびに想いは募り、矢を放つたびに心が締め付けられる。


――会いたい、もう一度


 次の春、私は街に出て兵士なった。


 そこから先はおおよそ想像つくだろう。

 どれだけ武功を上げ出世したところで所詮は身分違いの恋。

 全てを捨てての駆け落ち以外に道はなく、最後は彼女が私を追手から庇って死んだ。胸が張り裂けそうになるくらい穏やかな笑みを此方に向けて。


 私は泣きながら追手と斬り合った。

 そしていつの間には、私はヴァージニアの地を踏んでいたのだ。


 最初は廃人のように――いやまさしく廃人として、当てもなく草原を歩いていた。

 ちらほらと農場らしきものも見えたが盗む気も起きず、最後に辿り着いたのは森の奥深く。森で生まれたものは、森で死にたがるものなのだろうか。

 しかしそのまま意識を失おうとした時、私は現地の人間に助けられた。


 彼等と暮らしながら、私は色んな話を聞いた。


 ここは遠く離れた王国の植民地であること。

 独立の機運が高まっていること。

 さらには自由、平等、市民――いずれも、私の常識では考えられないことだった。


 ただの民でしかない者たち、それも植民地の民たちが国相手に戦う?

 あちらの世界では笑い話にもならなかっただろう。

 しかしここの人間たちは本気でそれを目指し、日々を戦いながら生きている。自身の尊厳と利益と家族を守るため。そこに王族や貴族という壁はない。


 異なる世界で出会った、自由と独立を求める人々たち――彼等の姿に感銘を受け始めたその時、私はあの男と出会ったのだ。

 後に、私の名前となる男に。


 そして来たる1776年7月4日。

 私は両耳を削いで合衆国民となり、その身を国家に捧げたのだ。


 私は影となって暗殺や対『異能者』等の裏の分野で戦い続けた。

 これは私からあの男に提案したこと。彼は渋い顔をしていたが……『魔法』なぞ表で使える訳がなかろう。そもそもこの世界に『魔法』は不要なのだ。

 ただ人々が独立し、自由を謳歌し、愛と友情を育む――これ以上の魔法はない。


 ……とは言ってみたものの、まぁ、おそらくは異邦人故にまだまだ引け目があったのだろう。

 だから表だって戦うことは避けたのだ。


 しかし、その代わり私は全身全霊を以て国を愛した。


 内戦で。

 大戦で。

 冷戦で。


 もう誰かが自由と平等と愛を諦めたりすることのないように。

 一人の独立した人間として、明日を自分の脚で歩けるように。


『すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている』――ああ、なんと素晴らしいことか!


 もちろん、この国も完全に平等というわけではない。

 黒人、インディアン、アジア人――美しい建前の下には未だ様々な不自由と不平等が横たわっている。

 でも私は守りたかったのだ。あの世界には存在すら許されることのなかった、この輝かしいまでの建前を。



「――――私は自由と、平等と、合衆国を心から愛している。

 たとえ国から捨てられることになろうと私は愛することを止めはしない、決して。

 愛とはそういうものだ」


 銃口から放たれる、自身の全身全霊。

 それは星のような瞬きながら一直線に光の筋を描く。


「────────────」


 黒白の騎士は即座に反応し迎撃に出たが、その勢いは収まることはない。

 何故なら愛の為に生きた男が愛の為に放つ一撃である。感情のこもらぬ攻撃に止められる道理などなく、光は彼女の胸に直撃した。


「────────────────────────」


「悪いが、今日の所は出直してくれ。

 愛を伝えるのには準備というものが要るんでな」


――ゴオオオオオオオオオッ!


 轟音を立てながら鎧姿の騎士は後方へと吹き飛んでいく。

 ダメージこそ殆どないが、圧倒的な衝撃にはさしもの『黙示禄の騎士』も抗えない。そして吹き飛ばされた先にあるのは、『異世界』と『現実世界』の狭間。


「────────────」


 騎士は何かを求めるように手を伸ばすが、時すでに遅し。

 彼女を閉じ込めるようにして、『異世界』への『道』は閉じた。



「……まぁ、こんなものか」

 

 静寂を取り戻した新宿の街で、溜息をつくようにリチャードは呟いた。

 すぐにでも消え入りそうなその背中に義堂は思わず声を上げる。


「り、リチャード」


「そら」


 言葉を続ける間もなく、義堂に向かって物を投げる。


「これは……」


「餞別だ。

 上手く使えよ?」


 キャッチすると、それはリチャードが長年使っていた二丁銃の片割れであった。

 そのまま彼は英人の方へと振り返る。


「……元『英雄』、いや八坂やさか英人ひでと


 その体は既に霞み始め、光と共に消え去ろうとしている。


「君はまだ間に合う。

 次はしっかりと掴めよ」


 しかし全てを受け入れたようなリチャードの表情に、英人は何も言えなかった。

 代わりにゆっくりと頷く。

 まだ戸惑いが多く、覚悟も定まってはいない。けれど何が何でも頷きたかった。


 よろしい、とリチャードは虚空を見上げて微笑む。


「これまで見送ってばかりだったが……ようやく私もそちらに行けるのか」


 自由、愛、平等。

 それはあらゆる時代、あらゆる人間が求めてきたもの。


「もう小言はなしだぞ、ジョージ」


 全てを捧げ戦い続けた男の最後は、満ち足りたように穏やかだった。

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