新宿異能大戦㉛『生きる資格』

「……いきなり何だい、君は?」


 ビルの上から、明らかに怒気を含んだ声が返って来た。

 黒い霧が密集したようなヒトガタも、心なしかカタチがぶれ始めているように見える。


こう赤天せきてん

 今日付で人民共和国の『国家最高戦力エージェント・ワン』に再任されてしまった、十九歳の乙女さ」


 『覚者かくしゃ』の問いに、赤天は自身の身長以上もある如意棒を手慰みにくるくると回しながら答えた。


「……そうかい。

 でも今は私と八坂君がやりとりしているのだから、邪魔しないでくれるかな?」


「やだよ」


 キッパリとした赤天の返事に、『覚者かくしゃ』の姿はさらに乱れた。


「……何?」


「八坂殿のこと好きだから」


 空気が凍った。

 沸々と上がっていたボルテージのようなものが、一瞬にして絶対零度となった。

 その証拠に『覚者かくしゃ』の姿はすっと綺麗なヒトガタに戻り、ゆっくりとその顔を赤天へと向ける。

 無論その表面には目や口といった穴はなく、輪郭だけ。

 しかし間違いなく、極限まで冷めた目をしていであろうことは明らかだった。


「……あれ、そんなに失言だったかな今の。

 別に八坂殿と付き合っているわけじゃないんでしょ?」


「別に、失言ではないさ。

 ……ただ、非情に不愉快だ」


「ふぅん」


「どこの馬の骨だか知らないが私はね、彼を本気で愛しているんだ。

 だから生半可な気持ちで茶々を入れないで欲しい。でないと、くびり殺したくなる」


 それは背筋が凍るような声色だった。

 しかし赤天はどこ吹く風と視線を逸らし、


「まぁ確かに八坂殿とは出会ったのは二日前で、実際かなり日は浅い。

 しかしだからと言ってそれが即ち生半可な気持ちである、ということにもならないでしょ。

 私も私なりに八坂殿の言動、顔、身体、心、強さ……色々と総合的に、そして間近に見て、彼に興味を持ったのさ」


「二日、たった二日……まさか、その程度の付き合いで八坂君を語るのか?

 中々面白い冗談を言うね」


「でも誰かを好きになる時はいつだって閃きのようなものがあるでしょ?

 単純に顔が好みとか、ふとした言葉とか仕草とか。

 だから長年の友人でも、その日初めて会った人でも、おそらく始まりはほんの一瞬。そこを過ぎれば月日なんて、想っていれば勝手に積み重なっていく。

 時間にこだわり過ぎるのは無意味だよ」


「……!」


 みし、と『覚者かくしゃ』が拳を握った。


「……ま、私も経験があるわけじゃないから偉そうなことは言えないけどね。

 とりあえずただひとつ確かなのは、私はこの人と色々交わしてみたいってこと。

 少なくとも、身体は」


 赤天は余裕綽々といった表情を浮かべ、数歩。

 そのまま英人と背中をぴったり合わせて立った。


「というわけで八坂殿、ここは私が背中を守ろう」


「……背中って、一人であの暴徒の群れを防ぐってのか?

 多分まだまだ来るぞ」


「大丈夫。

 どれだけ数がいようが所詮は目的がバラバラな烏合の衆。

 ま、肩慣らしにはちょうどいいかな」


 背中越しに赤天がクスリと笑う。

 その響きに、虚勢の類は感じられない。彼女からすればこの程度は本当に造作もないことなのだろう。


「そうか。

 じゃあ背中、預けさせてもらう」


「ふふ。

 ま、そっちの色々とこじれた人は八坂殿をご所望みたいだしね。さっさとどうにかしちゃってよ」


「……そうだな」


 英人は顔を上げる。

 屋上に立つ『覚者かくしゃ』は怒りからか、冷酷さからか、冷めた瞳でこちらを見下ろしていた。


「……ねぇ八坂殿」


「なんだ」


「チューしよ」


「はっ倒すぞ」


「いや背中で英人殿の熱を感じてたら、なんかムラムラしてきちゃって。

 ダメ?」


 視線だけ振り返ると、赤天が口先を尖らせてこちらを見ている。

 おそらく顔ごと振り向いていたら強引に唇を重ねられていただろう。

 欲望に真っすぐすぎるその様子に英人が内心呆れていると、


「八坂君っ!!!!!!」


 かつて泉薫だった者の口から聞いたこともないような怒号が飛んで来た。

 同時にヒトガタはビルを飛び降り、まるで閃光のようにこちらに突っ込んでくる。


「いいから私を見ろぉっ!!!!!」


 耳をつんざくのは、悲鳴にも似た絶叫。

 それは痛々しくもあったが、それだけ本気で想っているという証でもある。

 英人は軽く息を吐き、脚に力を込める。


「ええ今行きますよ代表。

 いや――」



いずみかおる!」


 全力での跳躍は黒いヒトガタを抱き込み、そのままビルへと突っ込んだ。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



 午後11時16分。

 代々木駅付近。


「……クソ、クソ……!」


 雑居ビルに挟まれた路地裏で、十代後半と思しき少年が蹲っていた。


 その手には血のべっとりとついたナイフ。

 彼はつい先ほど、自らの身を守るために人生初の殺人を行ったばかりだった。


「なんなんだよ、なんなんだよ一体……!」


 少年の肩と脚が、尋常じゃない程震えている。

 その目からは涙がまるで蛇口がこわれたかのように溢れてくる。


「母さん……!」


 暴虐と混乱に呑まれ、自らも血で染まってしまった頭で考えられることは少ない。

 両親の姿と、生きたいという願い。

 ただそれだけを脳内でリフレインさせながら時が過ぎゆくのをひたすらに待つ。

 すると、


「……いたぞ、参加者だ……!」

「それに見ろよあのナイフ……殺しをやってる、当たりだ」


 聖職者のような白いローブを纏った男が二人、こちらを血走った目で覗いていた。


「ひ……!」


 少年はひと目で、彼等が普通ではないと理解した。

 座ったまま後ずさりして少年は距離を取る。


「待て!」

「追うぞ!」


 その様子を見、男たちも路地裏に走り入ってくる。

 少年も必死に立ち上がって走ろうとしたが、元々大量を消耗していた身、二十秒とかからずに捕まってしまった。


「お願いです助けて下さい助けで下さい!

 俺レベル1ですから、戦う気はありませんから! ここで大人しくしてますから!」


 地面に押さえつけられながら少年は駄々をこねるように喚きたてる。


「ははっ、何を言っているんだ。

 俺たちは今から君を救うんだよ、なぁ?」

「そうそう。

 君だって早く嬲られて罪を償いたいんだろう?

 だからオジサンたちが今から君の首を締めて、この鉄パイプでたくさん殴ってあげるからね?

 痛いけど、君の為でもあるから我慢してね?」


「やだ、嫌だあああああっ!」


「さぁまずは右腕から『止めろ!!』――っ!?」


 男の一人が鉄パイプを振りかぶった瞬間、叫び声と共にその身体が宙を舞って地面に叩きつけられた。


「な……!」


「おおおおおっ!」


 さらにもう一人の男は構える暇すらないままタックルで引きはがされ、背中から地面に激突する。

 一瞬にして、二人の聖職者は制圧された。


「ごほっ、ごほっ!」


 魔の手から解放され、少年はせき込みながらゆっくりと顔を上げる。

 突然のこと過ぎて状況がよく呑み込めていないが、どうやら自分が助けてもらったことであろうことは確か。

 ひと言礼だけでも、と視線を向けると、


「ぎ、義堂ぎどう誠一せいいち……?」


 そこには力と名声を失った日本の守護者がいた。



 ◇



「傷は……細かい擦り傷くらいか。

 頭にダメージがないようで安心した」


 少年を介抱しながら、義堂は呟くように言った。

 先程から三分ほどの時が経ち、僅かな喧騒を除けば辺りは鎮まり返っている。

 ちなみに気絶させた聖職者(仮)については、義堂が持参した手錠と資材として放置されていたロープを使って拘束している。


「……あ、ありがとうございます……」


「とはいえかなり心労が溜まっているようだから、もう少しだけここで安静にしておいた方がいい」

 

「は、はい……」


 俯くようにして、少年は頷いた。

 メディア露出があったこともあり、この国の『国家最高戦力エージェント・ワン』である義堂誠一の顔と名は、当然少年も知っている。

 同時に、彼が『スマリ人質事件』における学生Aだということも。


(別に俺が小学生の時の事件だし、よく分かんないんだけど)


 しかしああいうスキャンダルがあった以上、なんとなく気まずい。

 するとその空気を感じ取ってか、義堂が先に口を開いた。


「とりあえず今の所はこれでいいとして、その後はそうだな……新宿御苑の方に、水の壁で囲まれた巨大な空間がある。

 おそらく友じ、八坂やさか英人ひでとが作った安全地帯だと思うから、タイミングを見て向かうといい」


「あ、えと……義堂、さんは行かないんですか? 一緒に」


「……入る資格がない」


「え?」


「いやなんでもない。

 とりあえず体力が回復するまでは近くにいるから、しっかり休んでいてくれ」


 義堂は咄嗟に視線を逸らし、立ち上がる。

 そこから数分間、二人の間に沈黙が広がった。


「…………」


 雑居ビルの壁を背に小さく体育座りを死ながら、少年はふと自身の手を見た。


 生々しい赤色。

 血と脂がべっとりとついている。たぶん、ハンドソープで一回洗った位では落ちないほどに。

 ここで初めて、少年は己が罪に本気で震えた。


「…………あの、」


 青ざめた唇で、ポツリと零す。


「ん、どうした?」


「犯した罪って、どうやったらなくなるんですか……?」


「え」


「義堂さんにもあったんですよね、昔の罪。

 どうやったら消せますか……!」


「それは……」


 義堂は言葉に窮した。

 何故なら義堂の中にも、確たる答えがなかったから。

 そもそも答えが見つからないからこそ、いま彼はここにいるのだ。


「さっき、小さく『資格がない』って言ってましたよね……?

 でも俺、一人殺しちゃってるんです。

 じゃあ俺も、資格がないってことですか……?」


 言葉を放つ度、少年の震えが大きくなっていく。


「やりたくなかったのに、殺したくなんてなかったのにっ……!」


「……大丈夫だ、この国の司法はそういった事情もしっかりと斟酌してくれる。

 正直に話せばいい」


 対する義堂の返答には力がない。


 警察官として、これまでに似たようなことは散々言ってきた。その正しさを疑うこともなかった。

 しかし、苦しんでいる人間に対し、こんな通り一遍な答えで本当にいいのか。

 言っていて、義堂は自身の言葉に言い様もない違和感を覚えていた。


「俺、俺……!」


「とりあえず今は身体を休めるんだ。

 だから落ち着――」


 だが今は非常事態である。

 まずは目の前の生命が最優先だと言い聞かせつつ、少年を宥めようと手を伸ばした時。


「そうだ少年、君には生きる資格はない。

 あるのは無様に死ぬという使命だけだ」


 その頭を、銃弾が貫いた。


「…………え」


 呆けた顔と声で、義堂は銃声の方向へと静かに振り向く。


「――やはり銃は、綺麗すぎるな」


 その男は褐色の肌をした、ラテン系の聖職者だった。

 おそらく年齢は三十半ばで、体格は義堂と同程度。それ以上でも、それ以下でもない。

 服装以外は本当に、日常の一ページから切り取ったかのような普通の佇まい。

 しかし義堂にはそれがたまらなく狂って見えた。


「失礼、挨拶が遅れてしまいしたね、日本の『国家最高戦力エージェント・ワン』よ」


 褐色の男は無警戒にも銃をしまい、義堂に歩み寄る。


「私はフランシスコ=ヴェガ、『サン・ミラグロ』の使徒第二位です」


 浮かべる笑顔は、まるで親友に向けるそれであった。





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