新宿異能大戦㉑『欲望に忠実』

「服?

 まぁ室内だし、別にいいけど」


 英人の指摘に、こう赤天せきてんなる女はこともなげに答えた。

 一人暮らしの男のワンルームに、いきなり届けられた全裸の美女――まるでエロ漫画の導入ような唐突過ぎる展開だが、問題は相手が特殊過ぎるということ。

 僅かに身構えつつ、英人は静かに口を開く


「……まぁいい。

 とりあえず一つ確認だが、人民共和国の元『国家最高戦力エージェント・ワン』というのは本当だな?」


「うん、本当」


 赤天はさも当然とばかりに頷いた。

 その様子を見る限り、嘘ついているようには見えない。とはいえあまりにも不審過ぎるし、そもそも人民共和国の『国家最高戦力エージェント・ワン』に自宅訪問される謂れなどない。

 ならばどう対処すべきか――そう考えていると彼女は大きく伸びをし、


「あ、そうだ。

 トイレとシャワー借りていい?」


「あ?」


「漏れそう」


「……」


 英人は俯きながら、静かにトイレの場所を指さした。



 ◇



「ふー気持ちよかった。

 どっちも一週間ぶりだったから助かったよ」


 三十分後。

 バスタオルを首に掛けた赤天はスッキリした顔で居間に入って来た。もちろん先程同様服など着ていない。


「とりあえずこれ着ろ」


 英人はやや視線を逸らしながら畳んだ状態のTシャツとジャージの下を投げ渡した。


「お気遣いなく」


「いいから着ろって」


「別にこのままでいいんだけど……じゃあお言葉に甘えて。

 うーん、やっぱり風呂の直後は違和感。胸とお尻もキツイし」


 不満そうな表情を浮かべながら、Tシャツとジャージに身体を通した。

 ちなみに彼女の言う通り、着る際に胸と臀部のあたりの生地がギチギチと軋むような音を上げる。


「あ、ちなみにトイレの方も快便だったよ」


「いちいち言わんでいい。

 詰まらせたりしてないだろうな?」


「大丈夫、そのあたりの代謝はある程度コントロールしてるから。

 一週間ぶりだけど、量はなんと常人の半分くらい」


 ドヤ顔を浮かべながら赤天は自身の特異な体質を説明する。

 リチャード・L・ワシントンといいミシェル=クロード=オートゥイユといい、『国家最高戦力エージェント・ワン』という人種は変人揃いのようらしい。例外は義堂くらいなものだろう。


「ブッ飛んでるな……ま、それくらいじゃなきゃ小包に入ったままの状態で大陸からここまでこれないか。

 まあいい、それより質問だ」


「なぜ元『国家最高戦力エージェント・ワン』がここに来たかって?」


「それも密入国まがいのマネをしてまでな。まさか、当局に追われでもしてるんじゃないだろうな?」


 英人は真剣な眼差しを浮かべて赤天を睨んだ。

 単純に事情を知りたいというのもあったが、今はただでさえ色々と抱えているこの状況である、この上さらに人民共和国の厄介ごとに巻き込まれるのは御免だった。

 しかし赤天は他人事のように首を傾け、


「……さぁ?」


「いやさぁ? って」


「だって今の私は当局と何の関係もない立場だし、そんなの知らないよ。

 私がはるばる日本まで来た理由はただひとつ――八坂やさか英人ひでと殿、貴方に会うためさ」


「……まぁ、そんなこったろうとは予想してたけどな」


 英人は大きく溜息をついた。

 おそらくこの女の行動原理は、純粋すぎるほどの好奇心なのだ。

 彼女は田町祭の事件で八坂英人の存在を知り、会いたいと思った。そしてただそれだけで密出国までやらかした。

 人民共和国関連のゴタゴタではなかったことにはひとまず安堵したが、それでも面倒ごとには違いないと英人は溜息をつく。


「分かってるじゃん。じゃあ話は早いね。

 まずは一度手合わせをしてみようか、八坂殿」


「嫌だよ」


「なんで」


 素っ気ない返事に赤天はジト目を浮かべる。


「時期ってもんを考えろ。

 こんな逼迫した情勢の中で無駄な戦いなんかしていられるか」


「逼迫した情勢……もしかして、私が配達されている間に何かあった?」


 きょとんとした表情に、英人は小さく息を吐く。


「……そういや、一週間段ボールの中だったか」


 ひとつ頭を掻き、英人は昨日の北京外相会談のあらましを説明することにした。



――――――

 


「へぇ、そんなことになってたとはね……『サン・ミラグロ』とやらも中々やるじゃん」


「騒ぎの中で当代の『国家最高戦力エージェント・ワン』と、それにぶら下がっていた『異能者』部隊も全滅した。

 つまり人民共和国政府は今、『異能』関連戦力の大半を一気に失ったことになる。

 ということは、だ」


「まぁ次は私にお声が掛かるだろうね」


 赤天はさも興味なさげに言った。

 ベッドに腰かけて長い脚をバタバタさせているあたり、本当に感心がないらしい。


「それが分かってるならさっさと大使館にでも駆け込んで来い。

 密出国したことも今なら帳消しにしてくれるだろ」


「やだね」


「何で」


 英人が返すと、赤天はふわりと浮き上がるようにベッドから跳ねた。

 まるで重力を感じさせないような長い滞空時間の中さらに綺麗に一回転し、テーブルを挟んだ向かい側へと正確に着地する。

 驚くことに、70キロ近い身体が宙を待ったというの着地の振動と音が殆どなかった。おそらく、相当上手く衝撃を逃がしているのだろう。


「色々と制限が多くて煩わしいんだよ、『国家最高戦力エージェント・ワン』って。

 私には合わない」


「だが当局はそんなのお構いなしだろう。状況が状況だ」


「だよねぇ。

 じゃあ猶更ここは今すぐにでも手合わせしておくべきだね。五月蠅いのが来る前にさ」


「だから断るつってんだろ」


 英人は片膝を立て、ベッドにもたれた。

 確かに人民共和国の動向も、気になりはする。しかしとにかく今はただ黙って休みたいという気持ちが勝った。

 赤天はうーんと顎を撫で、


「うーんその感じ、何か最近問題でもあった? それも立て続けに」


「……はっ、別に――」


 英人はそれを天井を見上げて笑った瞬間、長く伸びた脚が降ってきた。

 すんでの所で英人はそれを受け止める。


「く……!」


「お見事。

 さすがいい反応してる」


 赤天は笑っているが、振り下ろす脚の方はてんで笑えなかった。

 卓越した重心移動の賜物だろうか、その恵まれた体格を考慮したとてもおよそ考えられないような重量がみしみしと左腕に食い込んでいく。

 このままではいずれ、折られる。


「っ、らぁっ!」


 そう危惧した英人はベッドの反発を利用し、それを払いのけた。

 その勢いを受け、赤天の身体は再び宙を舞う。だが何も問題なしと言わんばかりに狭い室内を一回転し、今度は丸テーブルの上に軽やかに着地した。


「機転、膂力もし……いや本当にすごいわ。

 でも万全じゃなさそうなのがちょっと残念」


「徹夜明けなんだ、勘弁してくれ」


「もちろんそれも加味しての評価だよ。

 しかし心の問題か……ちょっと面倒かな」


 赤天は顎に手を当ててうーん、と唸った。


「……とにかく、これでそちらのお眼鏡に叶わないことが分かったろう? 

 だから今日の所は出直してくれ、俺は一度寝るから」


「何なら私でも抱く?」


 英人は無視してベッドに入った。


「まさかのOKか。ふふっ、齢19にして初体験の時が来た。

 楽しみ楽しみ」


「別にそういう意味じゃねえ!」


「おおっと」


 布団から飛び出した脚を赤天は華麗に避ける。


「何も足蹴にしなくても。

 ほら、男の悩みは女を抱けば解決するって言うじゃん」


「知らねぇよ、んなもん」


「これでも見た目には多少自信はあるんだけど……うーん、男心は分からん。

 せっかく悩みを解決する手段があるのだから、迷わずそれを取ってしまえばいいのに。それがたとえ女の身体でもさ」


 英人は黙って寝返りを打つ。


「ま、拒絶するのは自由だけどね。

 でも後回しに出来ない悩みがあるなら、すぐに解決してしまえば良くない?

 そもそも悩んで迷う時間なんて、一秒あれば十分だよ……特に私や貴方みたいな人間はさ」


「……勝手に同じカテゴリーに入れるな」


「だってどう見たって普通ではないじゃん私たち。少なくとも力はさ。

 まぁお互いがどれだけ似ているかは、これから抱き合って決めてみようよ、ね?」


 そう言って赤天は小さく笑うと、Tシャツとジャージを素早く脱ぐ。今日何度目かの全裸が露わになった。


「いやだから何でそうなる!

 お前の頭はそれしかねぇのか!?」


 英人がツッコむと赤天は顔を赤らめながら、


「ぶっちゃけ、抱く抱かないの話をしてたら何かムラムラしてきちゃって……。

 それにほら、そもそもの話一週間も段ボールの中にいれば色々溜まっちゃうでしょ?」


「知るか!」


 さすがにヤバいと思った英人はベッドから飛び上がり、赤天との間合いを取り始める。

 厄介は厄介でも、まさかこっち方面だとは思わなかった。最悪警察を呼ぶハメになるかもしれない。


「それによく考えたら男の一人部屋に入るのは初めてて……ああそうそう、実は貴方の顔と身体もちょっと好みだったり。

 ほら、条件はクリアしてる」


「全部そっちの都合じゃねぇか!」


「それでも!」


 赤天が叫ぶと同時に、190近くある長身がほぼノーモーションで距離を詰めてきた。

 最短距離を進む、予備動作すらない最速のタックル。おそらく人類で避けられるものはいないだろう。

 しかし、


「!?」


 抱き着いた、と赤天が思った瞬間英人の姿は霧散する。

 しまった、と赤天が後ろを振り向くと英人はすでに廊下へと駆け出していた。


(こういう時の『絶剣リヴァイアス五里霧中タルタリア』、マジで助かる!!)


 英人は全速力で玄関へと急ぐ。

 既に内鍵はもしもの時に備えて開錠済。後はドアを飛び出て廊下からジャンプするだけ――そう思って玄関を開けると、


「あ、英人さん!」


「な……」


 そこにはひらひらとこちらに手を振る白河しらかわ真澄ますみと、


「あらどうしたんですか、そんなに慌てて」


 八坂やさか日葵ひまりが一緒に玄関前の廊下に立っていた。


「あ、え……」


 自身の妹分に、血の繋がらない母。

 このタイミングにおいてはまさに最悪とも言えるコンビの登場に、思わず英人の思考はフリーズする。

 むろんその隙を逃す元『国家最高戦力エージェント・ワン』ではないわけで、


「よし捕まえた……ん?」


 ニコニコしながら英人の背に抱き着いた黄赤天と、二人の目がバッチリ合ってしまった。


「…………へ?」

「あら?」


 英人の部屋から突然現れた、全裸美女。

 真澄は表情を凍らせ、日葵は大きく首を傾げる。


「あ、あの……英人さん、この方は……?」


 真澄は震える指で赤天を指さす。

 だが当の赤天はケロリとした表情を浮かべ、


「おー八坂英人殿の知り合いか。うん、ちょうど良いトコに来た。

 悪いけど今から一発彼に抱かれてくれない? 私見てるからさ」


「ええええええええええぇぇぇぇえっっ!?」


 真澄の悲鳴がマンション中に木霊した。

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