己が責務を果たす者③『天才の名に懸けて』

 翌日、エヴァは夜明けと共に目を覚ました。


「まさかとは思ったけど、本当に一晩中起きてたのね」


「……当然だ」


 伸びをしながらそう言うと、ケネスは周囲に目を配りながら答える。表情をあまり変えないので分かりづらいが、そこに徹夜の疲れは特に見られない。

 「三日程度であれば睡眠なしでも作戦行動を行える」とは彼の言だが、どうやらハッタリではなかったらしい。


 すると、ケネスはわずかに視線をエヴァへと向ける。


「……無事には、なったか?」


 言葉は短いが、その中にはあらゆる意味が込められていた。

 エヴァはひとつ息を呑み、


「……そうね。無事かどうかは分からないけれど、昨日までの弱気はなくなったわ。

 私も生きて、医者の責務を果たさないとね」


 一晩かけて出した結論を言った。


 確かに自分はあらゆるものを失った。

 だが、まだ技術と知識は体に残っている。

 それを自分の勝手でみすみす捨てるわけにはいかない。まだまだ患者は沢山いるのだ。

 だから彼等の為にも、全身全霊で生きる――これが、今のエヴァ=オルドリッジの答え。 


「……いいだろう。

 これより全速でサバンナを突っ切る」


 ケネスの横顔は、ほんの僅かに笑っているような気がした。




 ◇




「……このペースで平気か?」


「ええ、大丈夫」


 快晴の空の下、一組の男女がサバンナの大地を黙々と行進していた。


 辺りには草の茂みと、バオバブの木が点在するだけ。

 基本は平地なので歩きやすくはあるが、こうも野ざらしであるとまるで自然そのものに監視されているような錯覚を覚える。


「……二時方向、800メートル先にハイエナの群れ。

 狩りを終えた直後か、このまま進むぞ」


「……ええ」


 サバンナを歩く上で最も気をつけなければならないもの、それは動物の存在だ。

 ライオンやハイエナといった肉食獣はもちろんそうだが、ゾウやキリンなどの草食獣はなおのこと危険だ。基本的に肉食獣以上の体格を持つ彼等は、いったん狂暴化すれば人間の手に負える相手ではない。

 しかし、今の所はそのような動物には鉢合わせせずに済んでいる。それもひとえにケネスの驚異的な五感のお陰だ。


「アジトの時もそうだったけど、すごい視力と聴力、それに嗅覚ね……。

 生まれつき?」


「……概ねそんなところだ。

 後天的に伸びた部分もあるが」


 背中越しに答えながら、ケネスは絶えず周囲に感覚を張り巡らす。

 一晩つきっきりで警戒していた後にこれなのだから、その精神のタフさには驚くしかない。


(……あまり、邪魔をしないでおきましょう)


 エヴァは無言で、その後ろに付いて行くのだった。



 ――――――


 ――――


 ――



「……どれくらい歩いたかしら?」


「……太陽の位置からかんがみて、およそ四時間。

 歩数は20,543歩……距離にしておよそ16キロか」


 エヴァの問いに、ケネスは淡々と答えた。

 万を超える歩数を正確に覚えているというのは、さすがと言うべきか。しかし、まだまだ道のりは長い。


「ということは、ナハブまでざっと35キロってとこかしら?」


「ああ。野営の準備を鑑みても、今日の内にあと10キロは進んでおきたい」


「了解」


 返事をしつつ木陰から空を見上げると、日が高い。

 おそらく時刻としては正午前あたりだろう。そろそろ暑さも気になってくる所である。

 エヴァがそう考えていた時、ケネスがふと顔を上げた。


「どうしたの?」


「……車が十台以上、こちらに近づいて来ている」


「! それって……!」


「……十中八九、『正統スマリ』の追手だ」


 その言葉と共にケネスは立ち上がり、目を見開いて周囲を凝視し始めた。

 しかしエヴァには車の姿どころか、巻きあがる土煙すら見えない。とはいえ彼の言う事である以上、本当なのだろう。


「ど、どうする……!?

 とりあえず出発すべき?」


「……残り数キロ程度ならそうしたが、現状だと無理だ。逃げ切れない」


「じゃ、じゃあアジトの時みたいに戦うの?」


 エヴァは提案するが、ケネスはゆっくりと首を振った。


「……不可能ではないが、得策ではない。

 居場所が割れればすぐに増援を回してくるだろう。そうなれば君の安全を保証できない」

 

「じゃ、じゃあどうすれば……」


「……身を隠してやり過ごすしかない」


 そう言い、ケネスはさらに周囲に目を凝らし、耳を澄まして五感の範囲を広げた。

 おそらく、彼は今その隠れ場所を必死に探しているのだろう。それを察知し、エヴァは余計な口を覆って静かに立ち尽くす。


 数秒後。


「――行くぞ」


「きゃ……っ!?」


 ケネスはエヴァを抱え、走りだした。



 ◇



 しばらくして、辺りには自動車の駆動音が響き渡った。

 サバンナの大地を蹂躙する、数十台の機械の群れ。

 自動車自体は別に珍しい光景でもないのだが、この大自然の中ではまるで巨大な怪物のように感じられる。


「……それにしても、ここでいいの?」


「……現状においてはここしかない」


 その様子を見ながら、ケネスは小さく呟いた。

 今二人が身を隠しているのは、鬱蒼うっそうと繁る長草の茂みの中である。

 ケネス曰く、視界の範囲内ではここが一番面積が広いのだそうだ。


「……サバンナには、此処のような茂みが点在している。

 敵もおそらく捜索してくるだろうが、人員の関係上一つ一つを入念に調べるとは考えづらい。

 こちらに来た時上手く誤魔化せれば、何とかなる」


「そう……」


 強張った表情で、エヴァは頷いた。

 ここがサバンナである以上、そもそもの隠れ場所が少ないのだ。ある程度のリスクは織り込むしかない。

 腹を括る様に、必死に息をひそめた。


 周囲を威嚇するような駆動音が、耳をつんざく。


 もしかして、もう見切りをつけて行ったのか。

 それとも、見つかってしまったのか。


 口から飛び出るかと錯覚するほどに、エヴァの心臓がドクドクと鼓動を激しく打つ。

 どうか、早く過ぎ去ってくれ――そう心から願った時。



「――『この指、とまれ』」



 そんな子供の呟きが、聞こえた気がした。


「……え?」


 あまりに突拍子のない言葉に、エヴァは思わず声を零す。

 だが次の瞬間、


――ゴオオオオオオオオッ!


 周囲の草がまるで何かに吸い取られるように、地面を飛び出して空を舞った。


「――ッ!」


 一体何が、と思う間もなくエヴァはケネスに抱えられて茂みを飛び出す。


「ちょ……っ!」


 突然の行為に抗議の声を上げるエヴァ。


 しかし肩に担がれた状態で、彼女は確かに見た。

 先程の茂みが一瞬にして禿げ上がり、抜かれた草が一本の人差し指――トラックの荷台に立っていた、肌の白い少年の指先へと吸い寄せられていく様子を。


「いたぞ! 囲め!」

「逃がすな!」


 一方で他のトラックでは、『正統スマリ』の兵隊たちが現地語で一斉に声を上げる。

 だが彼等がトラックを発進させるより先に、


「……少し、跳ねるぞ」


「きゃあああああっ!」


 ケネスはジャンプし、その荷台へと飛び乗った。

 さらに着地と同時に蹴りを放ち、少年兵二人を一気に気絶させる。


「い、いったい何が……」


「また飛ぶぞ」


 ケネスは少年兵から手早くAKを奪取、荷台を降りて再び駆けだす。

 しかし今度はトラックに飛び乗ることはせず、射撃でタイヤを次々とパンクさせ始めた。


「くそ、やられた!」

「片手で……なんて奴!」


 全速力で走りながら、ケネスは一台二台と車を無力化させていく。

 だがその時、


「――――『バン』」


 その呟きと共に、少年の指から何かが放たれた。


「な、なに……あれ……!?」


 それはおそらく、吸い寄せた大量の草を押し固めた球体だった。

 元は柔い草でも圧縮すれば凄まじい凶器になる――そう言わんばかりに、草の砲弾は地面を抉りながら二人に迫る。


「……っ!」


 ケネスは、寸前の所で横に跳んでそれを避けた。


「キャアアアアアアアアッ!?」


 広がるエヴァの悲鳴。

 辺りには盛大に土煙が舞った。


「……避けられた。

 すごいんだね、おじさん」


 しばらく経って煙が晴れると、アルビノの少年が感心したように目を見開く。


「……やはり、『異能者』か」


 その先では、ケネスがなおもエヴァを肩に抱えて立っていた。


「うん、そう。

 おじさんってもしかして、『国家最高戦力エージェント・ワン』って奴?」


「……答える責務はない」


(い、『異能』って何……?)


 草の砲弾に、『異能』という言葉。

 次々に起こる想像を超えた出来事に、エヴァの脳は疑問と驚愕でパンク寸前になる。

 とはいえ、この状況で騒ぐ訳にもいかない。そう思って口を真一文字に結んでいると、


「ザータ村」


「……!」


 少年の口から出てきた名に、エヴァは思わず眉を吊り上げた。


「……知っているのか?」


「少し前まで、拠点にしてた村の名前よ。

 村総出で協力してもらってたわ」


 ケネスの肩から降りながら、エヴァは少年の姿を見つめた。


 西洋系の目鼻立ちに、アルビノと思しき純白の肌と髪。

 美少年、といい容姿なのだろう。だがそこに貼りついている笑顔は、まるで顔の筋が弛緩したかのような、薄気味の悪いものだった。


「そうそう。

 で、その人の件で大佐から二人に話があるらしいから、聞いてみてよ」


 少年がそう言って何やら合図を送る。

 するとトラックのスピーカーから、無線の音声が響いてきた。


『……聞こえているかな?

 まずは挨拶をしておこう。私は「正統スマリ」代表のムガヒ大佐だ』


「……その声色と抑揚、本人か」


 ケネスは目を細め、小声で言った。

 確かにエヴァもテロの声明等を通してムガヒの声を聞いたことはあるが、それとほぼ同じ。

 重病故に影武者説も出た時もあったが、そのようなことはなかったのだろう。


『如何にも。

 早速だが、本題に入らせてもらおう……我々は四日前、頑なに援助を拒むザータ村を祖国再生を阻む「反国家分子」と認定し、武力制裁を加えた』


「え……!?」


 だが続いて発せられたその言葉に、エヴァは耳を疑った。


 あの村の人達とは、彼女がこの国に入った直後からの付き合いだ。

 食料の援助に、雑務の手伝い。さらには同じ家に住まわせてもらったりと家族同然の付き合いをしてきた。

 いや、もはや第二の家族、第二の故郷と言っていい。

 それがただの一言、しかも無線を通した言葉で、一気に切り捨てられたのである。青天の霹靂以外の何者でもなかった。


『だが安心してほしい。

 法に基づき半数はやむなく処刑したが、もう半数はまだ生きている』


「は、はぁ……っ!?」


 淡々と述べるムガヒに、エヴァは感情の整理が追いつかない。


『これでこちらの言いたいことは概ね理解しただろう。

 彼等の命が惜しくば、速やかに降伏し給え。

 なに、手荒いマネはしない。オルドリッジ先生には私の手術をしてもらう予定があるからな』


「ふ、ふざけないで! 村の人達を、半分も殺しておいて!」


『そのことについては、我々も心を痛めている。仮にも元は同胞であったのだからな。

 だがこの逼迫した情勢下、祖国再生の為に時には非常な判断を下さねばならぬこともある』


「……! こ、の……っ!」


 そのあまりにも人命を軽んじた返答に、エヴァの中で何かが切れた。

 爆発する激情に身を任せ、トラックまで向かっていこうとする。


「……よせ」


 しかしその肩を、ケネスが掴んだ。


「離してよ……! こいつだけは……!」


『……ああ、そういえば』


 エヴァがその手を振りほどこうとすると、ムガヒは思い出したように言葉を紡いだ。


『村人の中にも重病者が何人か出てしまってな、我々だけでは治療できず困っている。

 私の手術の後、という条件付きになるがぜひ彼等も治してほしい……どうかね?』


「な……っ!」


 エヴァはハッとした。

 確かに、村民の中には持病持ちが幾人かいた。拘束によって悪化したとしても不思議ではない。


『……立場の違いこそあれ、長らくこのスマリの医療支援に携わってきた貴方のことを我々は高く評価しているつもりだ。

 まさかそんな貴方に限って、これまで世話になった村民たちを見捨てることはあるまい?』


「何を、言って……!」


 ムガヒの言っていることは明らかな詭弁だ。聞き入れるに値しない。

 しかし、それでもエヴァの脳裏には村民たちの顔が次々と浮かび上がってきた。


 一緒に暮らした。一緒に遊んだ。一緒に食べた。一緒に助け合った。

 そんな人たちは既に半分が死に、半分だけが生きているという。

 そして彼等を助けるためには、テロリストの首領を全力で治さなければならないという。


 罪か、命か。


 突きつけられたあまりにも重すぎる二択に、エヴァは思わず眩暈めまいがした。


『とにかく、こちらの条件はだした。出来れば今すぐ返答を。

 祖国再生の悲願の為、エヴァ=オルドリッジ先生については是非ともご協力いただきたい。

 さぁ!』


 スピーカーから響く音声が、まるで脅迫するように圧を強めていく。


(……どう、すれば……!)


 村民の命か、それ以外のより多くの命か。

 究極の判断を下すため、エヴァの脳内は逡巡しゅんじゅんを繰り返す。


「……分かった、投降しよう」


 だが答えを返したのは、隣に立っていた男だった。


『……貴様には聞いていないぞ、帝国主義の犬めが』


「……そうか。ならば全力で抵抗するしかない。

 私自身の責務を果たす為に」


 そう言い、ケネスは静かにAKを構えた。

 サバンナの大地に、緊迫した静寂が流れる。


 するとスピーカーから溜息が一つ響き、


『……分かった。どちらにせよ投降ならば異存はない、受け入れよう。

 彼等を拘束しろ』


 ようやく戦闘状態は終わりを告げた。




「あーあ、残念だなぁ。

 もう少しやり合っていたかったんだけど」


「……そうか」


 淡々と答えながら、拘束されたケネスは輸送車へと連れられる。

 投降から数分が経ち、周囲は『正統スマリ』の増援で埋め尽くされていた。


「ちょっと、何でこんな選択を……!

 私のために、貴方まで捕まるなんて……」


 ケネスの後ろで、同じく拘束されたエヴァが詰め寄る様に迫った。


 任務の達成だけを目的とするなら、ここでの投降なぞ悪手も良い所だ。

 だというのに何故、彼はこうも平然とその決断を下したのか。


(それに手術がある以上、私の方はそれなりに安全だろうけど、でも彼の方は……!)


 『国家最高戦力エージェント・ワン』とやらの職務や立ち位置は不明だが、工作員である以上命の保証はない。おそらくは情報を聞き出すために、厳しい拷問が加えられるだろう。

 事実、『正統スマリ』ではそれ関係の悪い噂もよく耳にする。


「……問題ない」


 だがそれでも、『国家最高戦力エージェント・ワン』と名乗る男は、平然としていた。


「いや、でも……」


 何故そこまで言い切れるのか。

 戸惑うエヴァに、ケネスはさらに続ける。


「……私の責務は、君を無事に帰すことだ」


「……!」


 その言葉に、エヴァははっとした。


 この不愛想な男は、誰よりも考えていたのだ。

 エヴァ=オルドリッジという人間を。医者と言う職務の尊厳を。

 だからこそ彼は、その心と尊厳を守る為――つまりは無事に帰す為にあえて自分から投降を申し出たのだ。


(……恐れ、いったわね。

 これじゃあどっちが医者か分からないわ)


 自嘲の笑みを浮かべながら、エヴァは顔を落とした。

 

 同時に折れかけていた医者のプライドが、心の中でじんわりと熱を持ち始める。

 そう医者の責務とは、苦しむ人の為に全力を尽くすこと。


「……治す相手が誰だろうと、関係ない。

 そこから先は私の責務だ」


 そんなエヴァのの心中を察したかのように、ケネスは言葉を続ける。


「……君が医者としての責務を果たすことを、期待する」


 そして最後にそれだけ残して車へと乗った。


「……ええ、」


 責務――この短時間で幾度も繰り返されてきた言葉が、心に重く深く響く。


「天才の名に懸けて、全うしてみせるわ」


 エヴァは静かに、視線を上げた。

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