己が責務を果たす者②『ヘリは墜ちるもの』

「え、『国家最高戦力エージェント・ワン』……?

 何よそれ……SASとかじゃないの?」


 ケネス=シャーウッドなる男の答えに、エリザベスは思わず声を震わせた。


 生まれてこの方、『国家最高戦力エージェント・ワン』などという単語は聞いたことがない。

 組織の名前か、それとも何らかの称号か。しかしそれにしたって安直過ぎるネーミングではなかろうか? まるでB級ドラマや映画の如しだ。


「……在籍していた時期もある。

 それより、行くぞ」


 だがそんなエヴァの反応を気にかける素振りすら見せず、ケネスは牢から僅かに顔を出してクリアリングを始めた。

 まだ何の返答もしていないのだが、彼の中では既に脱出することが既定路線であるらしい。


「ちょ、ちょっと……」


 エヴァは戸惑いの声を上げるが、こうなってしまった以上もう流れに身を任せるしかない。半信半疑ながらも仕方なく付いて行くことにした。


(大丈夫かしら……)


 2メートル近くはあろうかと言う背の後ろで、エヴァは眉をひそめる。

 

 だが数分後、その疑念は跡形もなく吹き飛んだ。




「………………嘘」


 それはまるで、アクション映画のワンシーンのような光景だった。


 たった一人の男が、銃を持った何十人もの兵士を手玉に取っているのである。

 しかも銃撃だけでなく、近接格闘を織り交ぜながらだ。


「……左、2」


 男は小さく呟き、廊下の左に向かって敵より奪った拳銃を二発撃った。

 すると、


「ぐっ!」

「ガっ!?」


 突き当りの角からはまるで示し合わせたかのように兵士が飛び出、命中。

 兵士はその場に倒れた。


「……次は、右3」


 今度は右方向に撃ち、同じく命中。

 するとケネスは弾の切れた拳銃を捨て、真顔のまま歩き始めた。


「……何をしている、急ぐぞ」


「え、ええ」


 その非現実的な景色に茫然としながらも、エヴァは頷いた。


「本当に強いのね、貴方。

 正直驚いたわ」


「……別に強くはない」


 ケネスは足元の兵士を避けながら歩き、エヴァもそれに続く。

 視線を落とすと、そこには身長140cm程の小柄な、というより子供が銃を持ったまま倒れていた。


「……少年兵だ。

 彼等は銃の打ち方以外、まともな訓練を受けていない」


「……!」


 ケネスの言葉に、エヴァは思わず唾を飲んだ。


 ここに滞在している以上、彼等のような存在がいることは知っていた。

 何せ『正統スマリ』が反政府活動を開始してから既に十年超。日に日に減少していく兵士を補う為に、彼等は近隣の村落から少年を誘拐しているのだ。

 おそらく、この兵士もその一人。


 エヴァはただ静かに、十字を切ることしか出来なかった。


「……何をしている?」


「…………はぁ?」


 しかしあまりにも情緒のない発言をするケネスに、エヴァは眉を顰めた。


 この男、まさか自分が今言ったことを覚えていないのか。『国家最高戦力エージェント・ワン』だか何だか知らないが、あまりにも冷酷すぎる。

 そう軽蔑の眼差しを向けていると、ケネスは「ああ」と納得したような声を出し、


「……少年兵に関しては、素手で気絶させたものだ。

 死んではいない」


 そのまま歩き始めた。


「……え?」


 エヴァはポカンとしながら、よくよく少年兵の肉体を眺めてみる。すると、確かに息はあった。というより、彼が撃った数と倒れている肉体の数が合っていない。

 おそらく気絶しているのが少年兵で、撃ったのは全部『正統スマリ』の軍人なのだろう。


「……ああもう、よく分からない男ね!」


 冷徹なのか、はたまたそうでないのか。

 もどかしいような苛立ちに頭を抱えながら、エヴァは思わず毒づいた。




 ◇




「くそ! 牢番どもは何をしていた!」

「アジトの出入口を塞げ! 絶対に逃がすな!」


 牢を抜けてからしばらくが経過し、アジトの中はにわかに騒々しくなり始めた。

 彼等にとっては貴重な人質を失い、さらには兵士も多数倒されているのだ。当然ともいえる反応だろう。

 その中で、


「あのね、彼等を殺してないなら殺してないって最初に言ってよ」


「……医者なら、見れば分かると思ってな」 


 兵士たちが忙しなく行き交う様子を、エヴァとケネスは廊下の隅に隠れながら見ていた。


「嫌味ね……それより、大丈夫なの?」


 小声でエヴァは尋ねる。


 彼に先導されながら、出口まで後もう少しの所までは来れた。

 ここまでは順調だったが、兵士の口調から察するに出入口は特に固められているだろう。この状況で、寡黙な男は一体どうするのか。


「…………予断を許さない状況ではある。

 が、責務である以上脱出はする。絶対にな」


 するとケネスはえらく間を空けて答えた。


(そこは嘘でも大丈夫だと断言して欲しいけれどね……)


 エヴァは呆れたように溜息をつくと、


「……何をしているの?」


 視線の先で、ケネスがコンクリの壁にそっと耳を当てた。

 意味の分からない行為であるが、彼は問いには答えず代わりに人差し指を一本立てている。

 静かにしろ、ということか。


「…………前、8人。左3人。

 いずれも定位置で待機中、か……」


 うわごとのように呟くと、ケネスはすっと立ち上がって出口へと真っすぐ進み始めた。


「……すぐに済ませる。

 身をかがめて待っていろ」


「いや、危ない……」


 エヴァは止めようとするが、ケネスは歩みを止めない。

 次の瞬間、


「――ガッ!?」


「ぐぅっ!?」


 ケネスが銃を持った十二人の兵士を、瞬く間に徒手空拳で気絶させてしまった。

 そのあまりの速さと静かさは、兵士たちは引き金を引く暇すら与えない程。まさに、一瞬の絶技だった。


「……急ぐぞ。

 すぐに増援が来る」


 エヴァは無言でコクコクと頷き、駆け足でケネスを追う。

 ここまで来たのだからそれなりにやるのだとは思っていたが、まさかここまでとは。


「それで、この後どうするの!?」


 出口を潜りながら、エヴァは尋ねた。

 アジト脱出は叶ったが、ここは開けたサバンナのど真ん中で、しかも夜。徒歩で移動するのは暴挙に等しい。


「……問題ない。

 調達は既に済ませてある」


 するとケネスは胸ポケットから薄っすらと錆着いた鍵を取り出し、とある方向を指さす。

 その先には銃弾で所々穴の開いた、型落ちの日本車があった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 日本車で夜のサバンナを突っ切ること、およそ数十分。


「――作戦開始からきっちり三時間。

 お見事です、シャーウッド卿」


「……責務だからな」


 そう短く答え、ケネスは車を降りて淡々と輸送ヘリに乗り込んだ。

 どうやらこのヘリは、彼がエヴァを救出するタイミングを見計らって派遣されてきたものらしい。場所もサバンナの中心にポツンとあった岩山の裏とおあつらえ向きだ。


「エヴァ=オルドリッジ女史ですね?

 我々は、貴方の救出作戦の発動に伴い派遣されたSASです。どこかお怪我は?」


「え、ええ……大丈夫よ」


 隊長と思しき人間に手を引かれながら、エヴァもヘリに乗り込む。

 中では特殊部隊、おそらくはSASの隊員と思われる兵士たちが控えていた。


「それは何より。

 では本機はこれより直近の都市、ナハブまで飛行します!

 先生、貴方はそこで別の輸送ヘリに乗り換えて首都スマリシティまで移動して頂きます。その後はスマリ国際空港から専用の輸送機に搭乗して本国へとご帰還下さい! いいですね!?」

 

「りょ、了解したわ!」


 ヘリ特有の騒音と風圧に片耳を塞ぎながら、エヴァは大きく頷いた。




 ヘリが高度を上げ、巡行に入る。

 駆動音がけたたましく響くが機内では会話はなく、それにおそらく傍受を恐れて無線の類は切っているのだろう、外部とやり取りしている様子もない。

 ただサバンナの自然が右から左に流れていく風景だけが、暗闇の中に薄っすらと映っていた。


「……あの。

 本国では今、私のことってどんな感じで報道されているんですか?」


 そのなんとも言えぬ緊張感に耐え切れず、エヴァは神妙な表情で兵士に尋ねる。

 脱出する前から気になっていたことではあったが、今はただ聞きたいというよりも単に何か話をしたかった。


「申し訳ありません、現時点ではお答え出来かねます」


「そう……」


 しかし当然のように答えはなく、機内は再び沈黙に包まれる。


 世論は紛糾しているか、はたまた報道すらされていないか。

 どちらにせよ、ここで動揺されても困るということなのだろう。


(……ま、こうして救出されただけ奇跡と言うべきね。

 後の風評は、私自身がどうにかするしかないか)


 背を持たれながら、エヴァは大きな溜息をついた。

 そのままふと、自身をアジトから救出した『国家最高戦力エージェント・ワン』なる男の姿を横目で見る。


「……」


 乗り込む際にSASと数言交わして以降、彼は一言も口を開いていない。

 視線すら動かすことなく、まるでスリープモードに入った電子機器のように機内の隅に座っていた。


(SASが認めているってことは、少なくともそれなりの人間なんだろうけど……)


 そう考えるエヴァであるが、それでも脳裏にこびりつくような異物感は残る。


 彼は、いわゆる「普通」ではない。

 何か自分の知らないことわりの世界で生きる者――言うなれば、そんな存在。真っ当に生きてさえいれば、まみえることすらないだろう。


(世の中、知らないことは沢山あるものね……)


 しみじみとエヴァは目を細めた時。


「――何かが、来る」


 ケネスが不意に、目を見開いた。

 いったい何事、とエヴァが思うと同時に彼はコックピットへと顔を上げる。


「三時時方向だ、回避しろ」


「え、しかしレーダーには何も……?」


「急げ!」


 だがパイロットが操縦桿を切る間もなく、


――ブヴンッ!


 何か、閃光のようなものが機体を貫いた。


「きゃ――!」


 突然の出来事に、エヴァの体は悲鳴すら満足に出せずに大きく揺れる。


 漏れた油の匂いに、炎と煙。

 ヘリはそのままサバンナの真っただ中と墜ちていった。



 ――――――



 ――――



 ――




「――う、ううん……」


 意識が覚醒し、エヴァはゆっくりと瞼を開く。


「起きたか」


 視線を上げると、そこにはトレンチコートに身を包んだケネスが片膝を立てて座っていた。

 どうやら、この男にここまで運ばれて来たらしい。


「……ここは?」


「……墜落地点より、北北東に四キロ。

 朽ちたバオバブの空洞の中だ」


 ケネスは淡々と答えた。

 周囲を見ると、確かに枯れた木の肌がドーム状に三方を覆っている。ひとまずの拠点とするにはちょうどいい場所だろう。


「そう、やっぱり乗ってたヘリは墜落したのね。

 ……で、どんな手品を使って私は助けたの?」


「……特別なことは、何も。

 墜落の直前に私が君を抱え、クッションになりそうな木に向かって飛び降りた。それだけのことだ」


「そういうのを、普通は特別って言うんだけどね」


 エヴァは溜息をつきながら身体を起こした。

 ふと手元に目をやると、おそらくは軍の支給品と思しき毛布がある。


「他の、SAS隊員は?」


「……先程、全員の死亡を確認した」


 ケネスは静かに答えた。

 あまりにも冷徹な返答だった。しかし緊急事態の今、エヴァにとってはこれくらいの方がかえって冷静になれる。

 するとケネスは何かを差し出し、


「……今の内に、食べておけ」


「……なにこれ?

 暗くてよく分からないけど……」


「墜落したヘリから回収したレーションだ」


 言われるがままエヴァは包装を開け、そのひと欠片を口に突っ込む。

 中身は、味気ないクラッカーだった。


「……予想よりは不味くないわね」


「……そうか」


 それを最後に会話は途切れる。

 辺りにはエヴァの咀嚼そしゃく音だけが虚しく響いた。


「……っ、ぐ……」


 だが徐々に、その中には嗚咽が混じるようになり、


「……ごめん、なさい……!」


 エヴァの瞳からは大粒の涙が溢れだした。


「…………何故泣く」


「ひぐっ……だって、私が捕まったせいで、SASの人達が……みんな……!」


 やや湿った地面に、ぽたぽたと雫が流れ落ちる。


 既にさんざん罪を重ねてきたのに、さらに自分を助けに来た人達まで死なせてしまった。その事実を前に、エヴァの心は罪悪感で押しつぶされそうになる。


「……泣く必要も、謝る必要もない」


 しかし、ケネスは静かにそれを否定した。


「でも私が捕まってなければ、」


「……彼等は、君を生かすために最後まで奮闘していた」


「――え」


 放心するエヴァに、ケネスは淡々と言葉を続けた。


「……急降下する中、彼等は最後まで諦めずに行動していた。どうすれば生き残れるのか、何をすれば任務を全うできるのかと。

 結果、彼らが導き出した答えは自身の命を顧みず、私たちの為に必死に墜落地点を調整することだった。どちらも大きな怪我なくいられるのは、他でもない彼等のお陰だ」


「…………そんな」


「……彼等は、己が責務を果たしたのだ」


 ケネスはゆっくりと、エヴァの方に視線を向けた。


 その瞳には非難や抗議といった感情は、微塵もなかった。

 だが何かを問いかけてきている、そんな色をしていた。


「……責務に報いることが出来るのは、責務しかない。

 だから私は君を、必ず無事に帰す」


「……そう」


「……明日は夜明けとともにサバンナを横切り、直接ナハブへと向かう。いいな?」


「分かったわ」


 ケネスの言葉に、エヴァは視線を落とした。


 彼の言う責務という言葉が、重く双肩に圧し掛かる。

 彼も、そしてSASの隊員たちも、命を賭して行動してくれている。

 なのに、自分はどうだ。


「やっぱり貴方って、強いのね」


 エヴァは自嘲するように笑い、顔を上げた。


「……強くはない。故にこの状況を招いている」


「いえ、強いわよ」


 エヴァはふるふると首を振った。


「だって、普通の人はそこまで貫き通せないもの。

 私がいい例ね」


 そう言い、エヴァは幹の空洞から星を見上げた。

 やはり都会の空とは違い、満点の星空が輝いている。

 こんなにも綺麗だというのに、この国はこんなにも血と絶望に塗れているのは、神の与えた皮肉だろうか。


「……私のこと、多少は調べてあるのよね?」


「……エヴァ=オルドリッジ。我が国きっての天才医師だ。

 救急医療についてはもちろん、臨床研究においても超一流。将来はノーベル医学生理学賞も期待されている人材。

 ここに来る前に論文を拝見させてもらったが……門外漢である私から見ても、興味深いものだった」


「そう、ありがと」


「……そしてこのスマリの地でも、NGOの一員として驚異的な成果を上げていると聞く」


「でも、結局はこの体たらくよ」


 エヴァは体育座りで毛布にくるみながら、小さく息を吐いた。


「そうじゃないって必死に言い聞かせていたけど、やっぱり思い上がってたみたい。

 それなりの成績と実績作って、周りからは天才だとおだてられて……そんな私なら、この貧困と暴力に塗れた国も救えると思ってた。

 でもやっぱりそれは、たかがいち医者の青い理想に過ぎなかったわけで……現実の凄まじさをこれでもかって突きつけられたわ」


「……そうか」


「ねぇ」


 エヴァは振り返り、ケネスの方を見る。

 夜目が利いてきたのか、その姿はぼんやりと夜闇に浮かんでいた。


「……なんだ」


「どうして貴方は責務に対して、そこまでぶれないでいられるの?」


 それはエヴァの、心からの問いであった。


 何故、聞きたいと思ったのか。

 己のやっていたことに迷いを覚えたというのもある。だがそれ以上に、ケネスの揺ぎ無さを羨ましいと思ったからだ。


「……揺らがないが故の、責務だからだ。

 私やSASであれば、任務を全力で全うすること。

 そして医者であれば、患者の為に持てる技術と知識を駆使することだろう」


 そう答えるケネスの声は、良く響いた。


「持てる技術と知識を、ね……」


「……責務とは、能力や環境如何で変わるものではない。

 たとえどのような状況であろうと、己が身命を賭して全力を尽くす……つまり、初めから揺らぐ余地などない」


「そう、ね……」


「……満足のいく、回答だったか?」


「ええ、ありがとう」


 エヴァは小さく笑い、仰向けに寝転がる。


(責務、か……)


 結果としての救う救えないではなく、ただ全力を尽くすこと。

 彼は医者の責務を、そう言った。


「……出来るのかしら、私にも」


 視線の先では、満天の星が誰に求められるでもなく瞬いていた。

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