いちばん美しいのは、誰㊷『そんな自分に、私はなりたい』


「……」


 この絶海の監獄島に収監されてから数日。

 退屈な日々を、過ごしていた。


 正直すぐに何らかの処分が下されるものとばかり思っていたが、警察の対応を見る限り、どうやらそうでもないらしい。


 暇つぶしがてらに、独房の中を見回してみる。

 岩、鉄、そして隙間から染みだしてくる海水の混じった地下水――お世辞にも良い環境とは言えない。

 時折耳を撫でる怨嗟のうめき声が、そのいい証拠だ。


 ふと、自分の拳を眺めてみた。

 少し力を入れてみると、殴った時の痛みがじんわりと浮き出てくるような気がする。

 あの時自分は、生まれて初めて人を殴った。

 人を直接傷つけることの痛みを、肌で感じた。


「はっ……」


 ただこれしきの事を知るのに、えらく遠回りをしたなと自分でも思う。

 本当は、自分が最も欲するものであった筈なのに。


 もし、もっと早く知っていれば――と思うが、それは無意味な仮定だろう。

 何故なら、もう遅すぎた。


 ――ズズ、


 自分の影が、まるで己を地獄へと引きずり込むように、全身に絡みついてくる。


【――還ってこい、『愉悦』よ。

 有馬ありま様が貴様の頭脳を欲している】


 そうだ。こんなものだ。

 既に悪魔に魂を売った者の末路など、こんなものでしかないだろう。



「……知っていたさ、こうなることくらい」



 数秒後、鵠沼くげぬまさとるは消えた。




 ――――――



 ――――



 ――




「じゃあ二人とも、カンパーイ!」


「乾杯」


「ん」


 シックな照明の元で、三つのグラスがカチンとなった。

 ここは、都内にある会員制の高級バーである。


「私としては、横浜にあるいつものバーが良かったんだけどね。

 まぁこのご時世じゃ仕方ないか。

 せっかくだしジャンジャン飲もう、八坂やさか君」


「ほどほどでお願いしますよ……こんな格式高い所で酔いつぶれるとか、洒落になりませんからね?

 玲奈れいなの面目も潰しますし」


「はは、そんなの今更だよ八坂さん。

 マスターどころか常連だって気にはしないさ」


「既に常習犯だったのかよ……」


 やや引きながら英人はグラスを置く。

 その隣では今年度のミス早応準グランプリ、高島たかしま玲奈れいなが手の甲を口にあてて上品に笑っていた。


「別にいいじゃないかい。

 美酒がそこにあれば、すなわち人は酔う……これは自然の摂理だろう?」


「その人に自制心が全くない、と仮定すれば確かにそうでしょうね」


「……玲奈どう思う、この生意気すぎる年上の後輩」


 薫はジト目で玲奈に振り向く。


「自制心はともかく、飲み過ぎは良くないと私は思うよ?」


「至極真っ当な正論で返された……!」


「いや当たり前でしょ」


 投げやりに言いながら、英人はグラスに口をつけた。




「……これから、どうなるんだろうねぇ」


 グラスも三杯目となった頃、薫がしみじみと零した。


「あれから数日。実家の伝手から情報を集める限り、一時の混乱は収まってきているそうだ。

 元々どの国でも非公式に対処してきた訳だからね……それなりのインフラだったりノウハウだったりは整えていたらしい。

 だから各国はこぞって体制の盤石さをアピールしているよ」


「日本もその国もひとつだな……まぁ元々治安が売りの国でもあったし、事件もあったから信頼回復に躍起になっているんだろう。

 それに、『国家最高戦力エージェント・ワン』のこともある」


「『国家最高戦力エージェント・ワン』……確か、八坂君の幼馴染がそうなんだっけ?」


「ええ、先月なったばかりですが」


 英人はグラスの中の氷をカランと揺らした。


「そうかい。

 いやぁ難儀なものだねぇ……というより八坂君の周り、重要人物多すぎないかい?」


「そうですか?

 ……いや、確かにそうかも……」


 むむ、と眉間に皺を寄せながら英人はナッツをつまんだ。


「まぁ聞くところによると、八坂さんはずっとその『異能者』関連の事件に関わってきたのだろう?

 なら周囲にそういう人間が集ったり、逆に周囲の人間がそうなったりするのはごく自然なことさ。

 けど今回の件でそれが秘密ではなくなった以上、ますますその傾向は強まるだろうな」


「言う通りだな……そうだ秘密と言えば、」


 英人は何か思い出したかのように玲奈の方へと振り向いた。


「結局は登戸のぼりとひよりも鵠沼くげぬまさとるも、玲奈のスキャンダルだけは掴むことが出来なかったんだよなー……。

 さすがに政治家一家の御令嬢はそのあたりしっかりしている、ってとこか」


「む、それじゃあまるで私が何かもみ消しているみたいじゃないか。

 いくら八坂さんでもちょっと寂しいぞ」


 玲奈は僅かに頬を膨らませながら、ブランデーを口に運んだ。

 名家の令嬢で、しかもハーフといういかにもな特徴を持つ彼女だが、酔うと可愛らしい仕草を好むようになるらしい。


「いや、そう言うつもりは無かったんだが……気ぃ悪くしたなら謝る」


「我が高島家には『正々堂々が一番強い』という代々伝わる家訓があるからな。

 一人娘である私もそれに倣い、後ろ暗いことは一切しないようにしているというわけだ」


 そう言って自慢げに胸を張る玲奈。

 だけどあの時明らかに動揺していたような……と英人が思っていると、


「――ホントにそうかい、玲奈?」


 ニヤリ、と薫が口角を上げた。


「ん、なんかあるんですか代表?」


「ふっ、これを見給え」


「ちょ、薫……!」


 玲奈の静止を振り切り、薫は素早くスマートフォンを英人に手渡す。

 するとその画面には、極端に露出度の低い衣装を着た女性の画像が表示されていた。


「これって、去年の……」


 そう、これは去年やっていた『楽園の創造主』というアニメに出てくるヒロイン、ロザミアの衣装だ。

 ちなみにその作品は去年のいわゆる「覇権アニメ」で、今なおSNSを中心に二次創作やコスプレが盛り上がっている。

 さらに、よく見てみると……


「これ、玲奈か?」


「さすがは英人君、ご名答。

 なんと高島家きっての御令嬢は、毎年夏と冬に界隈を騒がせる有名コスプレイヤーだったのさ!」


 バン! という効果音が聞こえてきそうなドヤ顔をかまして薫は胸を張った。

 どうやら、写真に映っている人物はコスプレした玲奈だったようだ。


 玲奈は秘密をバラされたショックでカウンターに突っ伏す。


「そ、それは言わないって約束だったじゃないか薫ぅぅぅ……っ!」


「ふふふ……まぁ他のファイナリストは色々とバラされてしまったからね。

 玲奈だけ仲間外れにするわけにもいくまい?」


「うう、家族にも知られないように必死に隠してきたのに……」


「なるほど。

 後ろ暗いスクープを想定しすぎたせいで、奴等もこういう秘密があることに気づけなかったってことか」


「いや、多分掴んでいたんじゃないかな?」


「ん、そうなんですか?」


 英人が首を傾げると、薫はふふっと笑って玲奈の背をさすった。


「いわゆるギャップ萌えという奴さ。

 考えてもみたまえ、才色兼備でクールな印象のある御令嬢に、まさかのコスプレ趣味があるんだぞ?

 知られた日にはバッシングどころかむしろ人気が大爆発さ」


「……なるほど」


 小さく笑いながら英人はウィスキーを呷る。


「ふふっ、だから玲奈も思い切って公表して見たらどうだい?」


「……絶対に嫌だ」


 玲奈は涙目になりながら首を振る。

 それを横目に英人がふっと笑った時、スマートフォンが鳴った。


「……?」


 不思議に思いながら画面を見てみると、どうやら義堂からの着信らしい。

 英人は通話へ指をスライドし、通話を始める。


「――っ! 分かった……!」


 するとみるみる内にその表情は険しくなった。


「? どうしたんだい?」


「いや……」


 返事を誤魔化しつつ、英人は電話を切る。

 そして下を向いて、小さく呟く。


「『サン・ミラグロ』か……!」


 義堂から告げられたのは、鵠沼悟が『監獄島』から忽然と姿を消したという知らせだった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 早応大学田町祭の四日目に起きた騒動(仮称:早応大学学園祭暴動事件)について、事件の顛末及びその後の情勢を端的に説明する。


 まず事件の顛末についてだが、今回の主犯である鵠沼悟については正式に逮捕された。

 顔と本名も公開され、さらには『サン・ミラグロ』というテロ組織の幹部であるということもマスコミに公表。警察としては今回の功績を大々的にアピールしたい考えだ。


 だが同時に世間では彼に操られていた来場客たちに対する処遇についての議論が巻き起こっている。

 全員を無罪放免にするか、もしくは明確に悪辣な傷害・器物損壊を行った者に限定し罰するか、はたまた全員に等しく軽い刑罰(罰金など)を科すか……など、様々な論が紛糾している状態だ。

 現時点で警察は重大な傷害を行った来場客のみを対象とし、保護取り調べの名目で拘留している。


 そして事件から数日が経過し、『異能者』という概念は全世界を駆け巡った。

 SNSはもちろん、テレビや新聞までもが連日報道し、その熱は未だ冷める様子はない。

 さらに各国の政府においては自国民からの追及に応じるため、相次いで『異能者』の存在とその歴史を認めるに至る。中には対『異能』部隊の存在を示唆する国もあり、日本・連合王国・連邦共和国・第五共和国においては『国家最高戦力エージェント・ワン』の存在も公表した。

 その一方で全世界的に『異能』の発現やそれに伴う犯罪も増加しているという報告も多数出ており、今後はアフター早応とも言うべき『異能』社会にどう対応していくかが、国家間のパワーバランスに影響してくるだろう。


「……ふぅん。

 で、我らが元『英雄』サマは?」


「……八坂やさか英人ひでとについても、事件によってその存在が全世界に拡散されましたが、こちらは想定していたほど話題にはなっておりません。

 完全に『異能』関連に注目を持ってかれている、といった印象です。

 特に情報統制なりがされている様子はないのですが……」


「多分『世界の黙認』の介入だろうけど……どちらかと言えば第四位の所為だろうね。

 『異能』の存在を拡散させようとするあまり、こっち関連の話題に能力を使い過ぎたみたいだ。

 まったく、根が陰キャだけにこういうセンスが足りてないよねー。彼も目立った方が絶対面白いのに……あ、報告ありがとね、フランシスコ」


 そう言って『サン・ミラグロ』総裁、有馬ありまユウは資料の束をテーブルの脇に置いてグラスに手を伸ばした。

 中に入ったワインを口に運び、満足そうにふぅと息を吐く。


 ここは、東京都千代田区にあるオフィスビルの最上階。来賓やパーティー用に作られた大広間である。

 全面ガラス張りで都内の夜模様を一望できる部屋だが、この贅沢な空間を今はたった二人だけが独占していた。


「いえ……それとあともう一点だけ補足が」


 そのもう一人である、三十代半ばあたりの褐色肌をしたラテン系の男が口を開いた。

 彼の名はフランシスコ・ヴェガ。『サン・ミラグロ』の司祭であり、また使徒第二位でもある男だ。


「ん、何?」


「先日逮捕された『愉悦』についてですが……有馬様のご助力もあり、無事奪還に成功いたしました」


「あ、そうなんだ。

 まぁ元はと言えば僕が力を与えたんだし、どこに拘束されてようが引き出せて当然なんだけどね」


「既に準備も終わっているようですので、間もなく出てくるかと」


「へぇ……!」


 有馬は無邪気に表情を輝かせる。

 それを見ながらフランシスコもまた、笑った。


「して、有馬様。

 兎にも角にもこれで世界は変わりました。

 となればとうとう……?」


「うん、派手にやろうか。

 クリスマスも近いしね……っと」


 有馬が話していると、メインディッシュのプレートが目の前に置かれた。

 中々に食べ応えがありそうな、肉のソテーだった。

 有馬はうきうきとしながら、ナイフとフォークをその中心に突き刺す。


「……いやぁ、こういう時集まり悪いのはやだよねぇ。

 これだけの量を二人で処理するのは、さすがに骨が折れるよ」


「後ほど信徒たちにも振舞いますので、大丈夫でしょう。

 第一位の分も冷凍保存しております」


「あっそう? なら良かった。

 彼、口には出さないけどちょっと残念がってたし」


「そうですか……それで話は戻りますが、決行は何時に?」


「やっぱクリスマスでしょ。クリスマス。

 それまでに色々と準備しないとね――しっかしこの肉、」


 ナプキンで口を拭いながら、プレートにある肉に視線を落とす。


「マズいなぁ。餌のせいか甘ったるくて仕方ないよ。

 やっぱ偏食は良くないね」


「然り」


 フランシスコは深く頷く。

 プレートの上では、こんがりと焼けた眼球が眼窩からどろりと垂れた。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「……久しぶりだな、友利ゆり


「……ええ」


 分厚いガラスを隔て、二人の男女が向かい合って座っていた。


 ここは刑務所の面会室。

 無機質な灰色が広がる空間の中で、小田原おだわら友利ゆりはゆっくりと顔を上げた。

 その前には彼女の父であり、そして現在服役中の広域指定暴力団仁和会じんわかい直参小田原組組長、小田原おだわら拓真たくまが座っている。

 眉間から頬にかけての傷を持つ、見た通りの武闘派ヤクザだ。


「大きくなったな」


「……あれから、もう何年も経ったから」


「……そうだな」


 たどたどしく、言葉を選びながら二人は話す。

 拓真が殺人の罪で逮捕されてから、数年。

 あまりにも開きすぎた時間は、数分で埋められるものではなかった。


「ニュース、見たぞ。

 よく分からんが、大変なことになってたみたいだな。

 俺のことが公表されたり……」


「ええ」


 友利は小さく、それでもしっかりと頷く。

 それを見、拓真は意を決したように口を開いた。


「友利、もし俺が父親であることでお前に迷惑が掛かるなら、いっそ縁を『それはダメ』……友利」


「それは、しないから」


 拓真が視線を上げると、友利は睨むような表情で言葉を続けた。


「そもそも、今更そんなもので誤魔化せると思ってるの? 今のネット社会を舐め過ぎ。

 一度拡散された以上、親子の縁を切ったくらいじゃ事実は消えるわけないじゃない」


「しかし、」

 

「だから私、このまま生きるよ。

 小田原友利という『ヤクザの娘』のまま、生き抜いて見せる。

 これからどんなに差別を受けたり、後ろ指を指されようと関係ない。

 最後の最後まで、戦い続けるから……!」


 口をキュッと結びながら、友利は窓越しの拓真を見つめる。

 その瞳は父である拓真が初めて見るほどに強く、そして覚悟の定まったものだった。


「友利……」


「今日貴方に会いに来たのは、これを言いたかったから。

 だからもう行くね……多分、当分会うことはないと思う」


 友利は蹴る様に椅子を立ち、面会室を後にした。


「……」


 拓真は無言で俯き、膝の上で拳を握る。


 ヤクザとは、所詮は血生臭いだけの日陰の職業だ。

 喧嘩もすれば、殺しもする。闘争の運命からは絶対に逃れることは出来ない。


 でもだからこそ、戦い続けることの辛さと、その誇り高さを知っているのだ。


 そして娘は娘のまま、その険しい道を自らの意志で歩き始めるのだと言う。

 父として、これほど嬉しいことがあるだろうか。


「……そうか、そうか……」


 父親はただ、溢れる涙でその旅路の幸福を祈っていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「……少し、変わったな」


 普通の住宅街を、普通の少女が歩いていた。

 実家までの道なので間違えることはないが、それでも道端の風景は少し変わってしまっている。

 数年という時間は、短いようでそれなりに長いものだったらしい。


 ――事件からしばらく経ち、かつてのファイナリストたちを包む環境も少し変わった。


 辻堂つじどう響子きょうこはその毒を吐くキャラがそれなりに定着し、今ではSNSでそこそこのファンを獲得するに至っている。

 東城とうじょう瑛里華えりかとも時には仲違いをしながら、それなりに上手くやっているようだ。


 久里浜くりはま律希りつきは現在司法試験の予備試験に向け勉強中。

 またパパ活についてもあれ以降続けているらしく、今では予約待ちがすごいことになっているらしい。さらには「人を喜ばせるおもてなし術」を持つ人間として、出版関係からの執筆依頼も来ているとか。


 小田原おだわら友利ゆりは、あれ以降も大学に通い続けている。

 『ヤクザの娘』ということである種の近寄りがたい存在となっているが、それでも何食わぬ顔で白河真澄と毎日仲良く通学している。

 時々パパラッチまがいの記者が取材に押し掛けてくるが、逃げも隠れもせずに全てに応対。その真摯で清々堂々とした振る舞いは少しずつ、でも確実に世間の風向きを変えつつある。


 高島たかしま玲奈れいなついては、スキャンダルもなかったということで特に大きな変化はない。

 むしろ安定感があるということで田町祭前よりも人気が上昇したくらいだ。

 実は某コスプレイヤーと同一人物なのではないかという噂が囁かれていたりするのだが……真偽のほどは不明だ。


 そして登戸のぼりとひよりだが、彼女はあの後正式に逮捕されたらしい。

 とはいえ世間が『異能』やらYoShiKiやらのことで持ちきりになったせいか、このニュースはあまり話題にならなかった。気になって警察に詳しい処遇を聞いてみた事もあるが、どうにも要領を得た回答が返ってこない。

 どうやら現在責任能力の有無を確かめているらしいが……つまりは、そういうことなのだろう。


「……着いた」


 最後に、矢向やむかい来夢くるむ

 彼女は今、数年ぶりに実家の前に立っていた。


 結局その後、来夢は保護という名目で警察に連行されて長い取り調べを受けた。

 彼女はそこでこれまでの経歴、整形を受けた経緯、今回の計画、有馬や鵠沼のこと……知り得る限りの全てを喋った。


 本当に、一生分喋ったような気がする。

 でも下手に隠し事をしなかったのが功を奏したのか、しばらくした後に無事釈放された。あくまで主犯格である鵠沼悟に唆された、ということになったらしい。

 と言っても登戸ひよりを洗脳しての炎上工作については知っていたので、完全な無罪放免とはならなかったが……その辺りは既に社会的な制裁を受けたという点が勘案され、非公式の保護観察処分ということで片が付いた。

 ちなみにYoShiKiこと平塚ひらつか能芸よしきに関しては、余罪含め実刑はほぼ確実だという。


 ということで、矢向来夢の罪は予想より大分軽いものになってしまった訳であるが、それでも多くのものを一挙に失った。

 『Queen's Complex』のセンターという地位、偽りの美貌、果ては早応大学生という地位まで。

 そう、今の彼女には何もない。

 つまり、今日より矢向来夢はゼロからスタートするというわけである。


「……」


 左手に鍵を握りながら、右手の人差し指がインターホンの前で止まった。

 果たして、どちらで行くべきか。


 やはり最初から面と向かって話すのは厳しいし……まずはインターホン越しの会話で慣らすか?

 いやむしろ段階を踏む方が面倒だし、このまま直接入ってしまった方が……!


 これまでの人生でも最大級に重い二択に、来夢は固まったままうーんと唸る。

 だが決心をするより先に、玄関の扉が開いた。


「……もしかして、来夢……?」


「あ……」


 さすがにあちらから出て来るとは思ってもみなかったので、心の準備が出来ていなかった。

 思わず一歩後ずさる。


「来夢……!」


 しかしそれより早く、母が玄関を飛び出して来夢を抱きしめた。


「来夢、来夢……!

 よかった……っ!」


「おかあ……さん……」


「……お帰り、来夢」


「お父さん……」


 視線を玄関にずらすと、父が目尻に涙を溜めながら立っていた。


「来夢が出て行ってから、色々と事情を聞いたわ……。

 ゴメンね……私たちの何気ない言葉が、来夢のことを苦しめてた……!

 本当にゴメンね……!」


「ううん……お父さんもお母さんも、悪くない。

 悪いのは、この私。

 私が調子に乗って、色んな人に迷惑を掛けたから……!」


「来夢……!」


「ごめんなさい、ごめんさない……!」


 涙をぼろぼろと流しながら、来夢は母と強く抱きしめ合う。

 これまでのすれ違いと、空白の数年を埋めるように。


「ほら、ハグするのはいいけどここじゃ風を引いてしまう。

 一緒に家に上がろう、来夢」


 父は家に入るよう手引するが、来夢はふるふると小刻みに首を振った。


「でも、今更……。

 迷惑だって掛かるかもしれないし……」

 

「なに他人行儀なことを言っているんだ。

 たとえ何があろうと、来夢は僕たちの可愛い一人娘だ。

 帰ってくるのを拒む理由なんてあるもんか。な、母さん?」


「ええ、もちろん」


「え……でも、私……犯罪者だよ?

 これからだって、多分色々あるよ? それでもいいの……?」


 来夢の言葉に、両親は深く頷いて答える。

 それは迷いなど一切ない、穏やかな表情だった。


(ああ……そうか。

 私のことを愛してくれる人が、こんなにも近くに…!)


 来夢は静かに目を瞑り、また開く。


「ただいま……!」


 普通の少女はようやく、家族の元へと帰っていったのだった。





 ――――――



 ――――



 ――





――鏡よ鏡、この世で一番美しいのは誰?


 それは世の少女たちが、一度は鏡の前で思い浮かべたであろうおまじない。

 勿論その問いに答えてくれるような鏡など、この世にどこにも存在しない。

 そう、それは技術の進んだこの現代社会においてさえ。


――今日も溢れるほどの呟きが、画面の上を流れていく。

 綺麗、汚い、正しい、悪い。

 偏ることはあれど、それらは決して統一されることはない。


 つまるところ、何がそうであるかは自分で見分し、判断していくしかないのだ。


 自分が心から美しいと思ったものが、本当の美。

 それこそが、いつの時代においても通じる明快な方程式。

 そして私はその美しさに強烈に憧れてしまったのだ。

 だけど生憎、私の容姿は人より優れている訳ではない。


 目も、鼻も、口も、嫌いだ。

 そして何より、心がいちばん嫌いだ。

 正直、ああはなれないだろうと諦めている自分もいる。


 でも、それでも。

 私は彼女たちを追いかけていたい。

 その気持ちに、嘘なんて一つもないのだから。


 化粧をすべく、顔を上げる。


「私も、美しくなる。

 彼女たちのように」


 鏡は、少女の真実をありありと映していた。





                     ~いちばん美しいのは、誰・完~



 ――――――――――――――――――――――――――――――――

 ここまでお読みいただき、ありがとうございます。

 これにて『いちばん美しいのは、誰』編は完結です!

 気付けばシリーズ最長の物語となってしまいましたね……本当にお付き合い頂き、感謝感激です。

 もし面白いと思っていただけたら、是非とも☆やフォロー、♡をお願いします。


 さて次回は恒例の幕間ですが、その内容は今回出番のなかった美智子メインでいきます!

 

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