いちばん美しいのは、誰③『やり手の交渉術』

 翌日、月曜日。

 本来なら講義のある日だが、田町祭を控えるこの週は準備期間として特別に休講となっている。

 田町キャンパスはもちろんのこと、英人の通う港北キャンパスでもだ。


 英人はいつもより人通りの少ない並木道を歩く。

 十一月も中旬を超えて下旬ともなれば、涼しさよりも寒さがまさった。


 結局、あの後は残りの片づけ急いで済ませ、それからは小田原おだわら友利ゆりとのやりとりに終始していた。

 メッセージアプリを通して会話だったが、どうやら彼女は数日前より殺害予告を受けているらしい。

 手段はSNS上のDMで、送り主に見覚えはなし。もっとも、十中八九それだけのために作ったアカウントであろうが。


 内容は「死ね、ブス」だの「お前はミス早応にふさわしくない」だの「滅茶苦茶にしてやる」だのとお決まりのような罵詈雑言が並ぶ。

 人によってはイタズラ程度にしか思えないような稚拙さだが、真澄自身は彼女と仲が良いということもあって助ける気満々。

 とはいえもう少し詳しく状況を聞かなければどうしようもないので、今日の午後に改めて会うこととなったのだ。


 歩きながら、英人はスマホの画面を見る。


(10時20分か……待ち合わせが田町に14時だから、遅くとも13時過ぎには出ないと)


 小田原友利の件も気になるが、今は目の前のことを済ませてしまおう。

 そう思いながら英人はファン研の部室がある学生会館へと足を踏み入れた。


 学生会館の中は、並木道と打って変わり学生たちでごった返していた。

 田町祭への準備が佳境へと差し掛かっているからだろう、どこのサークルも部員総出で作業を行っている。

 看板の作成、資料の準備、リハーサル。まさに祭りの前といった雰囲気だ。


 英人は階段を上がり、二階へ。

 そのまま一番奥へ行くと、そんな周囲の盛り上がりなどなど露知らずといった静けさの扉が鎮座している。

 ファンタジー研究会こと、ファン研の部室だ。


 英人はいつも通りノックをし、ドアを開けた。


「……どうも」


 入るときはいつも、わざとテンションを下げている。

 下手に盛り上げてあのキテレツ代表がノリノリになるといろいろ面倒なことになる気がするからだ。


 視線を上げると、部室の奥にある豪華な椅子がきぃぃ、と音を立てて回転した。


「……遅いじゃないか、八坂君。

 今日が休みだからといって少々たるんでるんじゃないかい?」


 銀髪のショートに、王子様という表現がふさわしい中性的な美貌。

 ファンタジー研究会代表、いずみかおるだ。

 彼女は「部長席」に深々と座りながら、不敵な笑顔で英人を見つめた。


「いや集合は10時半の予定でしたし、別に問題ないでしょ。

 そもそも午前中の約束に間に合う大学生がどれだけいると思っているんですか」


 そう言って荷物を降ろしながら席に座ると薫はちっちっちっ、と首を振り、


「あー駄目駄目駄目。意識が低すぎるね。

 我らがファン研はそんな時間も守れないような連中が集うサークルとは一線を画しているのさ。

 ほら見たまえ、美鈴君とカトリーヌ君を。彼女らは常に十五分前行動だ」


 薫は視線を促すように手を差し出す。

 その先、英人から見て机を挟んだ向かい側には、二人の少女がいた。


「……おはようございます、英人さん」


 しっとりと艶のある黒髪で円らな目を隠すオカルト好き少女、秦野はだの美鈴みすず


「オハヨウございます!」


 絹のような白い髪に金色の瞳を持った特撮好きラトビア人、カトリーヌ=フレイベルガ。

 二人はそれぞれのテンションで英人に対して小さく、そして大きく手を振った。


「ああ、おはよう」


「……むむ、何を和気あいあいとじゃれ合っているんだい。

 そもそもカトリーヌ君。君は八坂君と同じマンションに住んでいるというとても面白、じゃなくて目の届きやすいポジションなんだ。

 叩き起こすなりなんなりして連れてきたまえ」


「イヤさすがにそれは迷惑では……」


 カトリーヌが苦笑いしながら答えると、薫は機嫌悪そうに目を細める。


「別に八坂君なんだしいいだろう」


「ええ……」


 英人は思わずドン引きする。カトリーヌと美鈴も若干引いた表情だ。

 何だか今日の薫は異様に英人に対する当たりが強い。


「何だその目は。

 いいかい、彼はサシ飲みをすっぽかし、さらには一人だけ京都に残る恥知らずだぞ。当然の扱いだろう。

 むしろ部室に入れてやっただけ温情だと思うがね」

 

「ああ……」


 その言い様に英人は妙に得心してしまった。

 いろいろと立て込んでいたせいで仕方ない部分はあったが、確かに彼女から見れば英人は約束ばかり破る生意気な部員だろう。


「ま、まあ……英人さんにも事情があったわけですから」


「ソ、ソウですよ……」


「むぅ……帰りの時といい、二人は妙に彼の肩を持つな。怪しい。

 三人で何か私の知らない秘密を共有しているんじゃないかい?」


 じろり、と薫は腕を組んで部員たちをジト目で見つめる。

 カトリーヌと美鈴の二人は思わずたじろいだ。


「ソンナことはないですよ。

 ネ、美鈴さん!」


「……ええ、全く」


「じぃーーー…………」


 二人は取り繕うが、なおも視線による追及は続く。


(……ま、これも身から出た錆か)


 まさか本気で怒っているわけでもないだろうが、ちょっとおかしくなり始めた部室の空気に英人は小さく息を吐いた。


「泉代表」


「……何だい」


 薫は目線だけを動かして英人を睨む。


「……付き合いますよ、サシ飲み。

 よければ今夜にでも」


 瞬間、薫の全身がビクりと跳ねた。


「……それは本当かい?」


「ええ、本当です」


「――!?  オールナイトでかい!?」


「学生らしく、羽目を外し過ぎない程度には」


 言葉を交わすたびに、王子様の表情はどんどん緩んでいく。

 もし彼女が犬だったらすさまじい速さで尻尾を振っていることだろう。


「ふふふふ……そうかそうか。ついに……!

 いやあ君はやってくれる男だと信じていたよ、八坂君!」


「ははは……どうも」


「いやぁ今夜が楽しみだ……おっと」


 ゴキゲンに部長席へと背を預けた直後、薫は何かを思い出したように身を起こす。


「そう言えば今日集まったのは、田町祭りでの予定を決めるためだったね。

 私としたことがつい忘れてしまったよ、はははは!

 さて早速本題に入ろうか、諸君!」


「あ、そのことについてですけど代表」


「んー何だい?」


 薫は上機嫌な笑顔で振り向く。


「一日だけ知り合いと回るんで、そこだけ抜けます。

 すみません」


 その言葉に彼女は一瞬目を見開いたが、


「ああそんなことか。まあ仕方ないだろう。

 で、四日間のスケジュールについてだけど――」


 すぐに表情を戻して話を再開した。


(先に機嫌をよくしてから要望をねじ込む……計算通り、だな)

 

 英人は気づかれない程度に胸をなでおろす。

 いい話は声高に、悪い話はさりげなく――それは交渉ごとの基本であり極意。


「……上手い。

 私も見習わなきゃ」


 部室では現役ホステスである美鈴だけが、彼の手腕に感心していた。




 ………………


 …………


 ……




 会議、という名の雑談兼スケジュール決めを終えたファン研一行が学生会館を出ると、外はもう昼となっていた。

 時刻を見れば、既に12時を回ってる。


「いやあ、やはり田町祭りとくればやはり最後のミス早王のグランプリ発表は外せない。 

 そうは思わないかい八坂君?」


「まあ目玉ではありますからね。

 未来の女子アナや芸能人が生まれるわけですし」


「ああ。だから見てるだけで得した気分になる。

 しかし……」


 薫は振り返り、美鈴とカトリーヌの顔を見る。


「?」


「ナンでしょうか?」


「ふたりも出場すればよかったのに。

 その器量なら確実にファイナリストになれただろうし、グランプリだって夢じゃない」


 薫がそう言うと、二人は謙遜するように両手を小さく振った。


「私は、別にそういうのは……目立つのも嫌ですし。

 ね、カトリーヌさん?」


「ハイ。私もあまり興味は……。

 それにファイナリストの皆さん、とてもキレイですから勝てないですよ」


「そんなことはないと思うのだがなぁ……」


「器量のことを言うなら、代表だってグランプリ狙えるでしょ。

 これまで出ようとか思わなかったんですか?」


 英人の問いに薫はんー、と唇に指を当て、


「私は出る方よりも見る方が好きだからなぁ。

 それに私のような中性的なタイプは人気も出づらいだろう。

 今回は友人も出るし、そっちの応援に回るよ」


「友人?」


「ほら四年が一人いたろう?」


 その言葉に英人はああ、と納得する。


「あの高島のご令嬢の」


「そう。高島玲奈さ」


 高島たかしま玲奈れな

 英人と同じ経済学部に所属する四年生で、名門高島家の一人娘。

 その家は華族の血を引く家系であり、代々政治家や官僚といったエリートを数多く輩出してきた。

 美智子みちこ都築つづき家を富豪とすれば、高島家はさしずめ由緒正しい名家といった所だろう。


 玲奈自身もまた早応幼稚舎より中学、高校と学年トップを独走し続け、大学においても主席卒業が確実視されているという秀才だ。

 さらにはミス早応のファイナリストだというのだから、才色兼備とはまさにこのこと。


「へぇ知り合いだったんですね、代表」


「まあね。

 それよりも今夜、ちゃんと来てくれるのだろうね?」


 薫はずいっと英人の顔を覗き込む。


「もちろんですよ。

 夜の7時にいつものバー、ですよね?」


「そうだ。

 た・の・し・み・に、待ってるからね?」


 銀色の髪をさらりと揺らしながら、薫は不敵に笑う。


「はは……じゃ、それでは」


「ああ」


 このあと彼女らは三人でお昼を食べるという。

 英人は手を振り、薫たちと別れたのだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 港北キャンパスより電車でおよそ三十分。

 英人は田町の街を歩いていた。


 その名の通りここは田町キャンパスの最寄だが、学生街らしさはない。

 どちらかと言えばビジネス街といった趣である。

 街としてはまだ港北の方が学生にとっては面白みがある方で、上級生の中では港北での生活を懐かしむ声も多いとか。


「……ここだな」


 英人は目当てのカフェを見つけ、中に入る。

 今日の待ち合わせ場所はここだ。

 本来なら学食や空き教室あたりで集合できれば手っ取り早いのだが、準備期間中のためそれもできない。

 それに件の人物はこの近辺に一人暮らししているらしく、妥協案としてここになったわけだが……。


「あ、英人さーん!

 こっちこっち!」


 英人が店内を見回そうとすると、透き通るような元気な声が聞こえてきた。

 顔を向けると、奥のテーブル席には大きく手を振っている真澄ますみの姿が見える。


 さらにその向かいの席には、


「あ、どうも~」


 なんともガーリーでゆるふわ系な美少女――小田原おだわら友利ゆりが、ひらひらと手を振っていた。

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