いちばん美しいのは、誰②『まずは深呼吸から』
「――すうううぅううううぅぅ…………。
……はああああぁぁぁぁ……っ」
「……何やってんの、
「いえ、掃除の前にまずは深呼吸をと」
「お、おう」
普通逆じゃないか?、と思いつつも英人は真澄に続いて居間に入った。
おかしいと言えばおかしいが、一々指摘していても仕方がない。
部屋の中身は、一人暮らしの男子大学生としてはかなりマシな方だ。
最低でも週に一度は掃除機をかけているし、ゴミもちゃんと出しているので散らかってもいない。
とはいえ整理整頓がいきわたっているというわけでもないので、綺麗ともいえなかったが。
「ふむふむ……成程。
最低限はやっていますけど、細かい所の詰めは甘い、といった感じですか。
ちなみに毎日のご飯は?」
「外で食うのと自炊とで半々だな」
「もしかして……またラーメンばかり食べてませんよね?」
真澄はジト目で英人を見上げる。
なまじ付き合いが長いせいか、こういう小姑じみた追及もよくあったりする。
「週に二、三回。それに醤油ラーメンだし大丈夫だろ」
「そういう問題じゃありません!
だからおなかにお肉が……」
真澄は頬を膨らませながら英人の腹をシャツの上からつまもうとする。
しかしその細長い指を以てしても、まったく脂肪が引っ掛からなかった。
「あれ……?」
まるで石の壁に張り付いたゴムのような質感。
シャツをめくると、
「――っ!
むうううぅっ……!」
ギリシャの彫刻のごとく綺麗に分かれた腹筋が、その存在を大きく主張していた。
アスリートでもなかなかお目に掛かれない見事なシックスパックである。
「前見たときから変化なしだよ。満足したか?」
「むむむむ……!」
「いやだから直につまむのはやめてね?」
その質感を確かめるように伸びる手を優しく振り払い、英人はシャツをおろした。
彼女は基本的にはしっかりした子であることに違いないのだが、時々意味不明な行動をとるのが玉にキズだ。
「……分かりました。
しかし定期的にチェックは行いますので、そのつもりで」
「はぁ」
「さて、とりあえずはお昼まで軽く片付けをしますか!
頑張りましょう、英人さん!」
そう言い、真澄は腕まくりをして準備を始める。
かくして英人の自宅の掃除が始まったのであった。
――――
「しかし、本が多いですねぇ……。
図書館で借りてるんですか?」
雑多に置かれた書籍を本棚へと並べ直しながら、愚痴るように真澄は言う。
英人の部屋がやや雑然として見える原因のほとんどはこの大量の本のせいなのだ。当然だろう。
「借りてるのもあるな。十冊くらい。
あとは買ってる」
「新しい本棚くらい買ったらどうですか、もう」
「考えてはいるが、買ったら買ったで本の量がより増えていきそうでな……」
パラパラとページをめくりながら英人は呟く。
『完全記憶能力』を持つ性質上、一度読めばもう十分ではあるのだが、ついつい買ってしまう。
元々が本好きであったし、それに本棚に並ぶ背表紙を見ていると、詰め込まれた記憶が整理されていくような気がするのだ。
さすがに生活スペースまで圧迫しようとまでは思わないが。
「まぁいざとなったらご実家に移せばいいですし、今日はこれでよしとしましょう。
あ、と、は……」
真澄はばっと床に伏せ、ベッドの下を覗き見る。
その鋭すぎる瞳はもはや猛禽の類だ。
「……なにも、ないようですね」
「そもそもベッドの下に物をしまう奴なんていないだろう。
ホコリまみれになるだけだし」
「むむむ……お約束は外してきますか。
さすがは英人さん」
何がさすがなのかは分からないが、時計を見れば時刻はもう12時。
掃除も一区切りがつき、昼食を取るにはちょうどいいタイミングだ。
「そろそろ昼飯にするか。
近く店に食いに行こう」
英人が外出の準備に立ち上がると、真澄が左手でそれを制した。
「……いえ英人さん。
せっかくですし、ここは私がごちそうします」
「え、作ってくれんの?」
英人の返答に、真澄は待ってましたとばかりにゆっくりと立ち上がる。
「はい。
今日の昼食は、この白河真澄にお任せを!」
その表情は、とてつもなく自信ありげなものだった。
「~♪」
真澄の宣言から数分。
居間のすぐ隣にあるキッチンからは、軽快な包丁の音と鼻歌が聞こえてくる。
おそらくは最初から作る気だったのだろう。材料を買い込んできていたし、自前のエプロンまで持ってくる有様だ。
さらにはこのゴキゲン具合。
かれこれ彼女とは十年以上もの長い付き合いだが、英人とてここまでのは見たことがない。
(まさか昼飯まで厄介になるとは……)
英人は横目でその様子を見る。
これまでも、実家に戻った時とかは彼女に料理を振る舞われる機会はあった。だが直接自分の家で、というのはなかったはずだ。
どことなく新鮮な気分が湧き上がる。
しかしふと視線を感じて押入れの方を見ると、
「じーーーーーーーー…………」
「…………」
わずかに開いた隙間から、ミヅハがこちらを睨んでいた。
おおかた「いつまでこんな狭い所に閉じ込めてやがるんだ、早く出せ」といったところだろう。
とはいえまさか出すわけにもいかない。
英人は無視し、お昼の旅番組をぼーっと見続けていた。
『…………
『念話を使ってまで言うのがそれかよ』
◇
さらに十分。
「できました~!」の声とともに二人分のチャーハンがテーブルに置かれた。
豚バラ、さらにはレタス多めの肉レタス炒飯だ。
ごま油と醤油の香ばしい香りが食欲をそそる。
「おーうまそう」
「ふふっ、この日のために研究したオリジナルメニューです!」
得意げにほほ笑む真澄。
「へぇー……」
「じゃ、早速食べましょうか!」
「ああ」
二人は同時に手を合わせ、食事を始めた。
「ふふ。どうですか、英人さん?」
テレビでは旅番組が終わり、昼の情報番組が始まっていた。
しかし真澄はそんなものには目もくれず、英人の食べる様子をニコニコと見守る。
「ん……いつもながら、うまいよ。
やっぱ手馴れてるよなぁ」
「良かったぁ……!」
英人の素直な感想に、真澄は表情をぱぁっと明るくさせた。
英人が食べ、彼女がニコニコとそれを見る。彼女の料理を食べる時はいつもこんな感じだ。
なんだか食べている英人の方も嬉しくなってくる。
「豚バラの適度な歯ごたえがいいよな。
レタスもあるからくどくならないし、炒飯自体もすげーパラパラ」
「練習した甲斐があります。
こういうシンプルな料理こそ、意外と奥が深いものですから」
満足気に笑いながら真澄は自身の炒飯をパクパクと食べていく。
狭い部屋に気ごころ知れた男女二人が向かい合う――どことなく、心がゆったりする光景だ。
『――それでは、続いてのニュースです。
今年も早応大学にて大規模な学祭、通称「
「田町祭」は日本でも有数の規模を誇る学祭として知られてますが、その目玉は何といっても大学一の美女を決める「ミス早応コンテスト」。
今年も美女たちによる熱い戦いが期待されます』
ふとニュースでは、英人たちにも関わりのある話題が取り上げられた。
ミス早応コンテスト――画面に映るアナウンサーも言うように、「田町祭」の中でもとびきりの影響力と知名度を誇るイベント。
毎年選りすぐられたファイナリストたちが半年近くものあいだ鎬を削り、最終日を以てグランプリが決定される。
グランプリとはつまり、大学一の美女に贈られる称号。
その影響力は学内はもちろん芸能界、テレビ業界においてもすさまじく、歴代の受賞者たちの多くは女子アナやタレントとして今も活躍している。
そのグランプリ→女子アナの既定路線ぶりは時折「女子アナの登竜門」とあだ名されるほどだ。
「そういや、もうこの季節か。
……おととしのグランプリから見て、今年のファイナリストはどう思う?」
少し話題を振ってみると、真澄はポカンとした表情を見せた。
「グランプリ………………あ、私のことですか。
うーん、正直よく分かりませんね。二年も前の事なんで」
「その言葉、歴代の参加者が聞いたら卒倒しそうだな……」
その発言に少々引きながら、英人は炒飯を食べ進める。
どうやらこの少女の興味や関心は、世の女性とは違ったベクトルを向いているらしい。
「とにかく、田町キャンパスの方はもう完全にお祭りムードって感じですね。
港北キャンパスの方はどうですか?」
「んー……まあ演劇部とかダンスサークルの連中が練習してるのは結構見かけるな」
早応大学には、横浜にある
両キャンパスは学年で区分けされており、英人のような文系学生は基本的に一二年を港北キャンパス、三四年を田町キャンパスで過ごすのがスタンダードだ。
しかし真澄の所属する文学部だけは例外で、二年生から田町キャンパスに移る決まりとなっている。
なので三年生の彼女にとってはもはや田町がホームと言ってもいいだろう。
「あー確かにそんな光景もありましたね。何だか懐かしいです」
「別にそんな昔の話でもないだろう」
「いやいや英人さん。
二十歳そこそこの人間にとって二年というのはひじょーに長い時間なんです。
……あ、これは別に英人さんが老けてるとかそういうのじゃないですよ!
ほら、最近は歳の差婚とかはやってますし、私のストライクゾーンにもちゃんと入ってますから!
むしろド真ん中、絶好球!」
真澄はスプーンをバットに見立て、ブンブンと振り回す。
「……よく分からんが、あまり行儀が悪いとおばさんに叱られるぞ?」
彼女の暴走癖はいつものことなので、英人は優しくたしなめる。
真澄はハッとした表情の後にしょんぼりと肩を落とし、
「あああ、お見苦しい所を……これではお嫁に行くしかありません」
「行くのか……」
英人は思わずツッコむ。
これが幼馴染とも兄妹ともいえる二人の、いつものやり取りであった。
「……そう言えば、英人さんは田町祭に参加するんですか?
サークルの出し物とかで」
昼食を終えてまったりしていると、ふと真澄が口を開いた。
「いや、出し物はしない。
部員連れて遊びに行くくらいだな」
「そうですかぁ……」
やや残念そうに、真澄はテレビ画面を横目で見る。
だがすぐに意を決したように振り向き、
「でも全部ってわけじゃないですよね?
せっかくですし、どこかで一緒に回りませんか!?」
期待と不安の入り混じった上目遣いで英人の顔を覗き見た。
「一緒に、か……」
「はい」
うーん、と唸りながら英人は田町祭期間のことを考えた。
田町祭自体は四日間あるわけだが、ファン研代表の薫は全日程に出ようと躍起になっている。
宣言したのは九月の下旬のことなので今はどうなっているかは分からないが、英人としても真澄からの願いを無下にする気もない。
英人は覚悟を決めたように頷く。
「明日サークルあるし、そこでちょっと予定聞いてみるわ。
まあ多分、一日くらいは何とかなるだろ」
「英人さん……!」
真澄はキラキラと目を輝かせる。
あの薫が要求をのんでくれるかは未知数だが、いざとなればサシ飲みの回数を増やせば済むだろう。
「よし話はまとまったし、食器片付けるか。
洗いもんくらいは俺がやるよ」
穏やかに笑いながら英人が立ち上がった時、ヒュポッという空気の抜けるような音が部屋の中に流れた。
メッセージアプリの通知音だ。
「あ、ごめんなさい。
私のです」
真澄はいそいそとバッグからスマホを取り出し、その中身を確認する。
しかし画面を見た瞬間、先程までとは打って変わって怪訝な表情を浮かべた。
「ん、どうかしたか?」
「いえ……ちょっと友達から、気になるメッセージが来まして……」
「気になる?」
「これです」
そう言って真澄が見せたのは、メッセージアプリのトーク画面。
どうやら真澄とその友人だけの部屋のようであり、相手方のアイコンにはペットと思われる猫の画像が登録されている。
そして一番下にある吹き出しには――――
「『真澄ちゃん助けて!
わたし殺されるかも!』……か」
「英人さん……」
真澄は不安そうに英人の顔を見上げる。
アイコンに表示されている名前は今どき珍しく本名だった。
その名には、英人も見覚えがある。
「
それは今年のミス早応ファイナリストのひとりだった。
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