京都英雄百鬼夜行㉚『何だと思う?これね、優曇華の種』

 変わり果てたかつての呪術師の姿を、杜与とよは苦虫を噛み潰したような表情で眺める。


「なんという、お姿……。

 仮にも『青衣あおえ』を纏っていた筈のお方が、斯様にまで落ちるとは」


 それは直立しているという点以外、おおよそ人とは共通点のない姿。

 もはやそこに永木ながき陽明ようめいなどという「人間」はいなかった。


「落ちる? いや落とされたのです、貴方がたにね。

 そもそも鹿屋野かやの家が不義を働かねば、私が魔道に入ることもなかったのですから。

 全ては貴方がたが蒔いた種、ここで大人しく報いを受けるがいい!」


 陽明はそう叫ぶと、木と肉で出来た腕を伸ばして杜与の身体を狙う。


「杜与」


「ご安心を。

 ――『華呪防式かじゅぼうしき十条棘壁じゅうじょうきょくへき』!」


 すると廊下の壁と床から突き出た薔薇の茎が網目を形成してその攻撃を防ぐ。

 さらに杜与は間髪を入れず次の呪文を唱え、


「『華呪攻式かじゅこうしき唐菖蒲槍とうしょうぶそう


 網目の中から、葉を束ねた槍を射出した。


「鹿屋野当主にのみ伝わる華の呪術、ですか……さすがに美しい。

 しかし今の私に、そんなものは通用しない!」


 陽明はググ、と身をよじって腕を高速で振り回し、葉槍を叩き落とす。


 そして今度は廊下に根を突き差し、その穂先を剣山の如く地中から出現させた。

 根は廊下を破壊しながら二人へと迫る。


「させるかっ!」


 しかし到達する直前、英人が絶剣でその全てを斬り伏せた。


「ありがとうございます、八坂様」


「何、どうってことはない。

 だがあまり時間をかけてもいられないな……杜与、一気に行くぞ」


「それでしたらここはわらわが受け持ちます。

 八坂様は力を温存し、どうかお先に」


「……いいのか?」


 英人の言葉に杜与は無言で小さく頷く。


「……分かった、任せる」


 英人は『脚力強化』の魔法で一気に踏みこみ、最奥の部屋へと向かって突っ込んだ。


「っ! 行かせませんよ!

 『木呪防式もくじゅぼうしき槍衾やりぶすま』!」


 そうはさせじと陽明の身体からは夥しい量の木槍が放たれるが、突如として出現した桜吹雪がそれを遮る。


「なっ……!」


「『華呪奥義かじゅおうぎ桜花繚乱おうかりょうらん』――そなたの相手はこの私です、永木陽明」


 そして杜与が陽明を指さすと、桜の花びらの群れはその肉体を木槍ごと覆いつくした。


「ぐ、ガ……っ!

 な……木槍が、削れて……!」


「鹿屋野の桜は特別製、その一つ一つが刃です。

 ここでそなたの肉体が滅びきるまで、このまま斬り続けます」


「オオオオオッ!」


「さぁ英人さん、早く!」


「ああ!」


 杜与の声を背に受け、英人はさらに速度を上げる。

 そして最奥の扉を蹴破ろうとしたその瞬間、


「行かせぬ、と言ったでしょう!」


 急速に成長した陽明の肉体が、扉ごと廊下を覆った。

 英人は絶剣で切り裂くが、瞬時に再生し、さらに肥大化する。


「今の私の身体は、樹木の性質を持っています!

 だからいくら斬られようと何度でも再生する! 貴方たちの攻撃を糧にしてね!」


 陽明は高らかに笑うと、その肉体の各所から大量の花が咲き誇る。

 それは、暗闇に妖しく光る桜の花。


「『華呪奥義かじゅおうぎ桜花繚乱おうかりょうらん』!」


 そして今度は陽明が鹿屋野の奥義を放った。


「なっ……何故その術をそなたが!」


「言ったでしょう、私は『逆恨ぎゃっこん』の使徒であると。

 すなわち受けた攻撃に私の力を上乗せして返す。それが『憑魔来臨デモニック・ポゼッション』によって得た力です!」


 杜与の放ったそれよりも、さらに規模を大きくした桜吹雪が廊下中を埋め尽くす。

 まるでシロアリのように周囲の壁や床を食い尽くすその様子は、それ自体が一種の化け物ようだった。


 杜与は咄嗟に防御の術を展開しようとするが、とても間に合わない。


「くっ……!」


 その様子を見た英人は瞬時にきびすを返し、


「『絶剣リヴァイアス四川流壁ステュクシア』!」


 四本の大河を逆巻かせて桜吹雪を洗い流した。


「すみません、八坂様。

 わらわの力不足故に……」


「気にすんな。

 奴の性質上、どのみちここで倒さなきゃならんようだ」


 軽く息を吐きながら英人が絶剣を構えると、陽明は独りでに笑い声を上げ始める。


「ハハハハ……素晴らしい! 鹿屋野の奥義が何の問題にもならないとは!

 さあご両人、もっと技を撃て!

 恨みとは、返すためにある!」


「……今の攻防で、相当調子づいちまったようだな。

 杜与、まだいけるか?」


「ええ。

 受けた攻撃に力を上乗せして返す……確かに強力な能力ですが、問題ありません。

 引き続きわらわがこの男を受け持ちます。そなたは援護を」


「いけるのか?」


 英人が杜与の表情を覗くように視線をおろすと、杜与は汗ばむ顔でコクリと頷いた。


「お任せを。

 それに、さほど時間はお掛けしません」


 こちらの技が返される以上、下手な手出しはかえって不利となる状況。

 しかしそれでも、彼女は任せろと言った。


「……分かった、行くぞ!」


「はい!」


 ならば共に戦う者として、全力でそれを信じるのみ。

 その決意を示すかのように英人は杜与の傍らに立ち、援護の体勢を取る。


「……問題ない、ですか。

 随分と大きく出ましたね、杜与様。

 つい先刻の光景をもうお忘れですか?」


「そう言うそなたこそ、より大事なことを忘れてしまっている」


「……何?」


 陽明は朱い瞳をぐにゃりとひしゃげさせ、杜与を睨む。


「我が鹿屋野家の始まりは、確かに虚飾に塗れていました。それは純然たる事実でしょう。

 しかし千年もの間『護国四姓ごこくしせい』として京都を護り続けてきたこともまた事実。

 そう、この千年という年月は決して軽くはない。

 今から身を以て受けて頂きます」


「詭弁を! 虚飾から始まる歴史に重みなどあるものか!

 死ね、鹿屋野家!」


 陽明は木の幹のように胴体を伸ばし、杜与に向かって突進する。

 両側には、鋭い剣と化した枝の数々。おそらくは廊下ごと二人を削り取ろうという算段だろう。


 杜与の頬に、緊張の汗が伝った。


「『華呪防式かじゅぼうしき薔薇棘楼ばらきょうろう』!」


 詠唱と共に目の前に発生したのは呪術によって急成長を遂げた薔薇の塊。

 万を超える棘が包み込むように陽明の肉体に食い込み、鮮血が噴き上がった。


「この恨み、返す!

 『華呪防式かじゅぼうしき薔薇棘楼ばらきょうろう』!」


 しかし、陽明の能力の前にはいかなる攻撃も無意味。

 瞬時に肉体を再生し、今度は陽明自身がより強靭な棘を纏って突進する。


「鹿屋野杜与、覚悟!」


 眼前に迫る樹木の怪物。

 英人は迎撃するために絶剣を振り上げるが、


「……いえ。もう、終わりました」


 杜与がそっとその小さな手で制した。


「何を……?」


 対する陽明は自身の胸部に微かな違和感を覚え、動きを止めて自身の胸部を見る。

 そこには、小さな一輪の花が儚げに咲いていた。


「……何ですか、この花は?」


 思わずその口からは、疑問の言葉が漏れる。

 だが次の瞬間、陽明は自身の肉体の異変に気付いた。


「力が、吸われ……ッ!?」


 陽明は咄嗟に腕を伸ばしてその花をむしり取ろうとするが、腕が動かない。

 視線を移すと、消し炭のように枯れ果てていた。


「な、何ですって……!」


 陽明はすぐに再生を試みる、がまた瞬時に枯れ落ちてしまう。

 再生のスピードが、枯れるスピードに全く追い付いていない。

 永木は、急速にしぼんでいく体を何とか持ち上げ、杜与を睨みつけた。


「一体、何を……っ!?」


「特別なことは何も。

 ただ種を一つ、そなたの身体に植えました」


「種……?」


 杜与は和服の袖から小さな巾着袋を取り出す。

 中には、植物の種が数粒ほど入っていた。


「鹿屋野家は元々、朝廷より草木の管理・研究を任じられていた一族でした。

 新たな品種の開発もその一環であり、現在の樹や花を使った呪術もそこから派生したもの。

 そしてこれは、千年の歴史の中で生まれた数多の失敗作の内の一つです」


 杜与は種の内の一つを摘み取り、眼前に掲げる。


「その名も、優曇花うどんばな

 三千年に一度だけ咲くとされる伝説の花、優曇華うどんげを模して作られた花です」


「う、優曇花……」


「しかし模倣は模倣、これ自体は何の力もご利益もないただの花。

 ですがその性質は花とは思えぬほど貪欲で、三千年分の栄養を一気に周囲から吸い取ってしまうのです。

 その小さな花を咲かす為、場所や相手すらも選ばず全力で」


 杜与は静かに陽明へと歩みより、その花びらへと手を触れる。

 それは紫陽花あじさいのような紫色をした、何の変哲もない普通の花だった。


 陽明の肉体が、ボロボロと枯れ落ちていく。


「あ、あ……う、恨みを……返す……」


「残念ですが、これは攻撃ではありません。

 一粒の種が、必死にその花を咲かそうとしているだけ。

 花に恨みなど、返しようがありませんから」


「ぐ、ア……」


「そなたが言うように、我が一族は虚飾と失敗に塗れた歴史を歩んできました。

 ですがわらわはもう逃げません。七十代目当主としてその責務を全うします。

 この優曇花という失敗は、その決意の証です」


 杜与は小さく息を整え、優曇花を優しく引き抜く。

 すると陽明の身体は支えを失ったようにグシャリと崩れ落ちた。


「わらわは一族の虚飾と失敗を背負い、生きて行きます」


「……な、ならば見ていますよ……鹿屋野、杜与……。 

 初代様との決着を……地獄の底で恨みの業火を燃やしながら……!」


「ええどうか、見ていてください。

 そむいたとは言え、そなたもまた鹿屋野の一員なのですから」


「ふ……」


 その笑い声を最後に、陽明の身体は完全に朽ち果てた。


「……終わったか」


「はい。

 ですが、申し訳ありません。

 ご助力いただいているというのに、わらわの都合で戦う形となってしまって」


「別に構わないさ。

 そっちにとっちゃ家の存続に関わる問題だろうしな。当主自らケジメつけなきゃ始まらんだろ。それより……」


 行くぞ、と言おうとした瞬間、例えようもない悪寒が突如として二人の背筋を貫いた。


「八坂様、今のは……!」


「分からん。だが……」


 英人は廊下を駆け、最奥の間の前へと立つ。

 悪寒の根源は間違いなくこの中からであり、そこでは永木ながき木蓮もくれんが待ち構えている筈だ。


「……行くぞ」


 静かに呟き、英人は扉を蹴破って中へと押し入る。

 すると、そこには。


「――少し、遅かったな。

 輪廻はもう始まった」


『怪異』を超え、さらなる怪物へと進化を遂げようとする木蓮の姿があった。

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