京都英雄百鬼夜行㉖『戦う警察官』

 京都の街に、三人の美女が集う。

 しかもその全員が英人と縁がある人物であり、そして互いに一度は面識のある間柄。

 なんとも言えない空気が周囲を包む。


「えーと……とりあえず、まずは避難を優先ね。

 とにかく西へ行きましょ……じゃなくてゴホン! 行きなさい」


 やや複雑な状況に戸惑いつつも楓乃かえのは演技を再開し、再び『ダイアモンド・ダスト』の役へとなりきる。

 そしてサディスティックに湿った瞳で瑛里華えりか美智子みちこの姿を睨んだ。


《うわ、目つき怖っ》


「……は?」


「ちょっ、アンタ!」


 瑛里華は急いで鞄の口を閉め、後ろ手に隠す。


「何? 私に何か文句があるのかしら?」


「い、いえそんなことはないです! 

 全く!」


 そして楓乃からの追及に作り笑いで答えると、急いで振り向き鞄に向かって小声で呟いた。


「……ちょっとアンタ、いきなり何てこと言うのよ!」


《いやだって確かにファンだけどさ……ぶっちゃけどう考えても恋敵じゃん?

 今後の為にもここは初手でマウント取っといた方がいいかなって》


「何が恋敵じゃ! 余計なことすんな!」


 瑛里華は思わず鞄ごとぶん投げそうになったが、グッとこらえてその両端を握りしめる。

 いくらムカついても、この非常事態に自分の荷物を放り投げるような馬鹿をするわけにはいかない。


「……」


「……それで、さっきからこっちをじっと見てる貴方は何か用? 

 まあ美しいという自覚はあるけど、もしかしてソッチの気があるの?」


 楓乃の言葉に美智子は首をブンブンと振って否定する。


「いやいや違う違う! ただなんというか……すごい力だなって思って。

 私、そういう力ないから」


「別にすごくはないわよ。

 この力だってつい先月に覚醒したばかりだもの」


「……それでも、羨ましいよ」


 そう言って力なく俯く美智子の姿を、楓乃は黙って見つめる。


 こんな時でもお構いなく相手に冷たい言葉を突き刺すのが『ダイアモンド・ダスト』本来のキャラクター。

 しかし今の楓乃にはとてもそういう気は起きなかった。


「……そうだ、先生のことなんだけどさ」


「先生……? 

 ああ、あの女たらしのことね」


「す、すごい呼び方……まあいいか、事実だし。

 とにかく先生も今、この化け物たちと戦ってるはずだと思うんだ。それも一番危険な最前線に一人で。

 ほら先生って、色々一人で頑張りすぎるとこあるじゃん?」


「そうね。

 まあ確かに、あの男はそういう傍迷惑なとこあるわ」


「うん。だからね、その力でどうか先生を助けてほしい。

 悔しいけど、私にはあなたのような力はないから」


 美智子は頭を下げ、懇願するような瞳で楓乃の顔を覗き込んだ。


(別に言われるまでもなく、助けるつもりだったけど……。

 でも、)


 楓乃は改めて美智子の顔をまじまじと見る。


 おそらく、彼女にとって今の自分はあまり好ましい存在ではないのだろう。

『力』を持っているという意味では、彼女よりも彼に近しい立場であるのだから。恋敵としてこれほど疎ましい存在もあるまい。

 しかしこの少女はそれを押し殺し、頭を下げてまで想い人を助けて欲しいと頼み込んでいる。


(……これも想いのなせる技、か)


 そんなことを思いながら楓乃はフッと小さく笑い、


「分かったわ。

 私の力がどれほど役立つか分からないけど、出来るだけのことはやってみる」


「っ、ありがとう!」


「……なんだか、貴方とは気が合いそうね」


「え?」


 楓乃の小さな呟きに、美智子はきょとんとした表情を見せる。


「ただの独り言よ。それよりそろそろ移動するわよ。

 ここに留まってたらいつ野垂れ死にするか分かったものじゃないわ」


「は、はい!」


 美智子が大きく頷くと楓乃は今度は瑛里華の方を見、


「ほら、貴方も」


「え、私!? あ……は、はい!」


《おいおい『私』よ、なにをビビっとる》


「仕方ないでしょ状況が状況なんだから!

 というか勝手にしゃべるな!」


 瑛里華は楓乃を尻目に「そいつ」と喚きあう。


「面白いわね。

 それ、貴方の『異能』?」


「え!? 瑛里華さんもそうなの!?」


「まあ……はい。

 どうやらそうみたい……」


 楓乃に尋ねられ、瑛里華は観念したように鞄から手鏡を取り出す。

 するとそこでは瑛里華と全く同じ姿をした少女が、鏡面の中でニッコリと笑っていた。


『どもどもお二方。

 私は東城瑛里華の異能、通称「わたし」ちゃんだよ。よろしく。

 詳しい説明は省くけど、まあ東城瑛里華本人の人格をベースにした高性能アバターだとでも思ってくれ。

 あ、因みに戦闘力は皆無だからドンパチは無理ね』


「ふぅん、随分と愉快な人格ね」


「……うう、出来れば楓乃さんには見せたくなかった」


「うわすごーい、まるでAIみたい」


 美智子は興味津々に人差し指で鏡面をつつく。


《こらこら、指紋がつくからやめなさい。

 私に手垢つけていいのは英人さんだけだぞ?》


「……えいえい」


《だから指紋をつけるな!?》


 仏頂面になりながら鏡面をつつきまくる美智子。

 それを見ながら、楓乃は小さくため息をついた。


「全く、変な状況になってしまったわね。

 緊急時だというのに」


「――三人いれば姦しい、ってことだろ。

 なあ桜木?」


「そうね……って、え?」


 突然後ろから響いた聞き覚えのある声に、楓乃は慌てて振り向く。


「……あ」


「あ、アンタ!」


「……よう。

 なかなか珍しい組み合わせだな?」


 そこには二人の人間を抱えて降り立つ、八坂英人の姿があった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 京都市、祇園周辺。

 市内有数の観光地であるここもにも『怪異』が突入してくるのは時間の問題となっていた。


「皆さん整列して、速やかに避難してください!

 まだ時間の余裕はあります! どうかパニックにならないでください!」


 しかしそんな危険と混乱の最前線にあってもなお、市民と観光客の安全の為に奮闘する男が一人。

 その男とは警察庁異能課に所属する警視、義堂ぎどう誠一せいいちであった。


 彼は持ち前の判断力と指揮能力で適切に人々の流れを捌いていく。

 おかげで目立ったパニックは起こらず、かつ京都府警の協力もあって避難は順調に進んでいた。


(しかし、思ったより避難民が少なくて助かった。

 それに京都府警の動きもこちらの想像以上に素早い。

 おそらく上から既に何らかの情報が入っていたと見るべきだな。これなら……)


 なんとかなる、と義堂は自身の心に小さく活を入れる。


『大封印』が解放されてから既に数十分近くが経過。

『怪異』迎撃のため白秋が前線へと向かって以来義堂とは別れたままだが、連絡の類は今だ来ていない。


 おそらくは鹿屋野かやの家あたりの術であろうあの城壁が壊れたところを見るに、何らかの戦況の変化があったはずだが……。

 まさか、彼の身になにかあったのだろうか。


 そんな不安が脳裏に絶えず沸き立つが、それを振り払うように義堂は避難誘導に没頭する。


 たとえ白秋の身に何かあったとて、今の自分にはどうすることも出来ない。

 この精神を守るだけの『異能』では、どうやったって化け物には太刀打ちのしようもないのだ。

 だから今は自分に出来ることをひたすらこなす以外にない。


 そんな雑念を、義堂が心の奥底に押し込めようとしたその時。


「――グオオオオオッ!」


 街のすぐ近くから、化け物たちの咆哮が鳴り響いた。


「きゃあああっ!」


「こ、殺される……っ!」


「おい! 早く先に行けよっ!」


 それは獣とはまったく異質の、明らかに人間そのものに対する殺意を含んだ声だった。

 その本能に直接訴えるような恐ろしさに整然と非難していた筈の一般人たちは取り乱し、周囲は一気にパニックへと陥る。


「くっ、もう来たのか!

 皆さん落ち着いてください! ここは我々が食い止めます!」


 義堂は混乱する人の波をかき分け、咆哮の元へと進んでいく。

 そして人込みを抜けると、そこでは大量の『怪異』たちが京の街を跋扈する景色が広がっていた。


「な……」


 義堂は、思わず絶句する。

 それは避難誘導に当たっていた京都府警の警察官も同じだった。


 鬼、河童、塗壁ぬりかべ山姥やまんば――なんらかの創作物で一度は見たことがある妖怪たちが、目の前で人を襲っている。

 そこに何の躊躇もなく、あるのはただただ人に対する食欲と殺意のみ。

 妖怪と言うのはとかく漫画や絵本においては多少はコミカルな部分も描かれたりするが、今の彼らにそう言った微塵もない。

 皆等しく、人類と敵対する化け物以外の何者でもなかった。


「う、狼狽えるな!」


 動揺する警官たちを叱咤しつつ、義堂は拳銃を『怪異』の群れに向かって構える。

 しかし人にとっては有効な銃も、『怪異』たちにとってはただの豆鉄砲に過ぎない。

 それを知ってか知らずか、『怪異』たちは拳銃の存在になんら臆することなく前進をしてきた。


「くっ……!」


 義堂は思わず、背広の内ポケットに手をかける。

 中に入っているのは、親友である英人より預かった『物理強化薬アタックポーション』。それもクロキア事件の経験を踏まえ効果を増強してある代物だ。

 しかしその分肉体にかかる負荷はさらに大きく、そもそもこれだけで事態を一気に覆せるとも思えない。


(どうする……!)


 義堂の頬に一筋の汗が流れた時。


「――ちょっと失礼するよ」


 その声と共に、無数の光弾が『怪異』の群れに向かって降り注いだ。


「なっ……!」


 義堂が驚いて上空を見上げると、今度は大小二つの影がアスファルトへと落下する。


 その一つはあらゆる部分に風穴が開いて原型を留めぬ肉塊。

 そしてもう一つは、


「お、誰かと思ったら『異能課』の男か。

 偶然だな」


「リチャード・L・ワシントン……!」


 グレーのチェック柄のスーツに身を包んだ、燃えるような金髪の男。

 合衆国が誇る『国家最高戦力エージェント・ワン』、リチャード・L・ワシントンその人であった。


「グ、グ……!

 ああ痛い、熱い、忌々しい!

 貴様はどこまで私を困らせるのか!」


「それは死ぬまでに決まっているだろう?」


 そしてリチャードは引き金ひとつ。

 すると拳銃とは思えない轟音が銃口から響き、肉塊に新たな風穴を開けた。


「こ、これは……?」


「『ぬえ』さ。『四厄』の一つの」


「なっ……」


 義堂は驚愕のあまり声を詰まらせた。


 鹿屋野家からの説明を聞く限り、『四厄』とは千年以上前にこの京都を恐怖のどん底に陥れた『怪異』たち。

 しかも対『怪異』のエキスパートである『護国四姓』ですら恐れるほどの存在だ。

 だが目の前のこの男は、飄々とした表情でその一角を手玉に取っている。


 義堂は思わずつばきを飲み込んだ。


(これが、世界最強の『国家最高戦力エージェント・ワン』……!)


「して、『異能課』の確か名前は義堂誠一だったかな?

 正面の化け物どもは私が屠るから、君には引き続き市民の避難を頼みたい」


「了解です……しかし、この数をあなた一人で?」


「まあ少々面倒ではあるが、致し方ないさ」


「――なら、私が混ざっても問題ないかい? 

 リチャード・L・ワシントン」


 突如後方から響いた声に、義堂とリチャードは一斉に振り向く。

 その姿を見たリチャードはニヤリと笑い、


「おお、誰かと思ったら純子か。

 いやはや懐かしい」


「……長津さん」


「悪いな義堂、上がゴタついたせいで遅れちまった。 

 でもまあ修羅場には間に合ったんだから許しておくれ」


 二人の視線の先に立っていたのは、後ろに束ねた紫髪に鼻を横切る一文字の傷持った美女。

 警察庁直轄、『異能課』の課長こと長津ながつ純子じゅんこだった。


「……さて、現場に着いた所でぼちぼち仕事をおっぱじめるかねぇ。

 警察らしく、国民の生命と財産を守るために」


「ほう、殊勝だな。

 ならば合衆国民である私はさしずめ自由と平等の為、と言ったところか」


 そしてハハハ、と笑いながらリチャードはゆっくりと『怪異』たちに向かって歩き出す。

 その後ろ姿に、恐れや怯みといった感情は微塵もない。ただ成功と勝利のみを信じている。


「ハ、何すまし顔で言ってんだい。

 アンタはいつもそうだろうが」


「確かにそうだったな。いや失敬。

 なにせ久々の日米共同戦線だ、心も踊るというもの。

 さあ行けるか純子。白秋はくしゅう金秋かねあきのように、この私に付いてこれるか?」


「フン、舐めんじゃないよ。

 おい義堂」


 純子は懐からライターを取り出しつつ、義堂の肩を叩いた。


「ここが踏ん張りどころだよ。気張んな」


 ばんばん、という軽い音が義堂の身体を通して全身に響く。

 たったそれだけ。

 だがたったそれだけのことで、義堂は自身の奥底から力が湧いてくるような気がした。


「……はい!」


「いい顔だ。

 そうだ私たちは――」


 そう言って純子はライターを開き、煙草に火を点ける。

 立ち上る煙の様はまるで、


「警察庁『異能課』だ」


 この国を荒らす悪に対する、反撃の狼煙であった。

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