京都英雄百鬼夜行⑱『籠の中の鳥』

 同刻、鹿屋野大社の一角。

 英人はその屋敷の縁側でひとり、胡坐をかいていた。


「……月を、見ておいでですか?」


 すると背後から、透き通った少女の声が聞こえてきた。

 鹿屋野家の七十代目当主、鹿屋野かやの 杜与とよだ。


「……いえ。

 見てると言うより、ただボーっとしてただけです」


「そうですか。

 今宵は満月でこそありませぬが、月も星も美しゅうございますね」


 そう言って杜与はパタパタと縁側を歩き、英人の傍らに立つ。

 服装は先程の十二単のような衣装とは打って変わり、今は軽装の和服だ。


「それで用とは?

 三間という人からは二人きりで話したいのでここで待っていろ、とだけ言われましたが」


「用というほどのものは、ございませぬ。

 ただ貴方のような方と、こうして肩の力を抜いて正面から語りあってみたかったのです。

 先程の四姓会議ではそうはいきませんでしたから……すみません、これしきのことでお時間を取らせてしまって」


 杜与はぺこりと頭を下げる。

 英人はそれに微笑みつつ小さく手を挙げ、


「別に構いませんよ。

 ただまあ時間が時間なんで、あまり長居は出来ませんが」


「ありがとうございます……あと、敬語はもうよして下さいな。

 そなたの方がずっと年上でございますし、そもそも此処には私たちだけしかおりませぬから」


「ですが……」


「さ、どうか」


 戸惑う英人に、杜与はニコリと笑い返す。

 当主の威厳だろうか、どことなく圧を感じるその表情に英人は後ろ頭を掻く。

 そして観念したように頷いた。


「……分かった。

 それで、何について話す?」


 英人が口調を変えて尋ねると、杜与はぱぁっと表情を明るくさせた後、人差し指を口の下に当ててうーんと考え込み始めた。

 いかな鹿屋野家の当主と言えど、このあたりの振る舞いはさすがに年相応と言える。


「そうですね……では、まずは一つ。

 先程の会議でのことですが、何故ああもあっさりとこちらの条件を飲んだのですか?

 『大封印』への接近禁止というのは、そなたにとってはいたく不利な条件のはず」


「ああ、そのことか……」


 英人は苦笑しつつ、再び月夜を見上げる。


「まあ単純に、あまり強引にこちらの主張を通してもしょうがないと思っただけだ。

 しきたり云々のしがらみがあるとは言え、地の利に関してはそちら方の方が聡いのは間違いない訳だし、余所者である俺がでしゃばるのも違うかな、と。

 まあ多少ゴネたお陰で結果的に警備は増強されたようだから、それで良しという感じだな」


 これは英人の紛れもない本音だ。しかし全てではない。

 というのも『千里の魔眼』がある以上、『大封印』に近づけなくとも英人にとっては別段大きな不都合はないのだ。

 ならば最初からその選択肢を放棄し、その分地元の人間のやりやすいようにしてもらった方がずっといい。


(それに、いざという時はアレと使えばいいしな……)


「成程……そのようなお考えがあってのことだったのですね。

 勉強になります」


「勉強って。

 いや別に大したことでもないさ。正直ただ黙ってただけだしな。

 それに歴史ある家の当主なら、ああいう駆け引きの場に全く不慣れというわけでもないだろう?」


「……確かにそなたのおっしゃる通り、わらわは幼少の頃から斯様な場に出てきた経験はそれなりにあります。

 『護国四姓』の一角たる棟梁として、一応は」


「一応?」


 英人が振り向くと、杜与は英人と同じく見上げていた。


「会議の様子を見て、そなたも薄々は勘づいていたでしょう?

 いくら当主という肩書こそあっても、所詮わらわは齢十に過ぎない子供。

 実権などあってないようなものです。年齢故、致し方ないことではありますが」


 その物憂げな横顔を、英人は黙って見つめる。

 確かに組織のトップが未成年となってしまった場合、長老格がその後見を務めることはままある。

 だが金麗や銀麗の言動は明らかに現当主である杜与の意向を蔑ろにしており、その意思が前面に出過ぎであるのも事実。

 今後杜与が成人を迎えたとしても、何かにつけて介入してくるだろう。


「……金麗さまも銀麗さまも、どちらも宗家の人間として長くこの鹿屋野家を支えて下さった方々。

 そのことは、重々承知しているつもりなのですが……」


「同時に窮屈さも感じてもいる、と?」

 

 英人の言葉に、杜与は頷くでもなくただ黙って俯いた。

 さすがにはっきりと肯定してしまうのは、彼女の性格上憚られたのだろう。


「……わらわは、そなたのようなお方が羨ましい。

 わらわもそなたのように、家のしがらみなど抜きにして世の為人の為にこの力を自由に振るってみたい。

 この力は、本来はその為の力であった筈なのです。しかしこれではまるで……」


「籠の中の鳥?」


 その言葉に、杜与はハッとしたように顔を上げ、英人の方を見る。


「す、すみません。

 つい妙なことを言ってしまいまして」


「別に、そんなことはない。

 しかし籠の中の鳥、か……」


 英人は振り返り、屋敷を中を見渡す。

 英人自身あまり建築関係について詳しいわけではないが、この屋敷自体が歴史のある格調高い代物であることくらいは分かる。

 そしてそれが、そのまま籠としての頑丈さにも繋がっているであろうことも。


「……そなたは、わらわをそう思いますか?」


 伏し目がちにそう尋ねてくる杜与に英人は再び目を合わせ、


「……いや。

 俺は、少し違うかな」


「え?」


 意外な返答に、杜与はきょとんと眼を丸くした。


「確かに、この環境は人によってはまさしく籠だ。下手すりゃ牢獄にだって見える。

 だが俺が言いたいのはその中身、つまりは君自身だ。

 君が鳥かどうかなんて、俺には分からない」


「つまり……わらわはまだ飛び立つ力のない雛であると?」


「そういう意味じゃない。

 これは君はまだ、何者でもないということだ。

 つまりこれから鳥になるかも、はたまた犬猫になるかも分からない。

 しかしそれは同時に、何者にでもなれるということも意味している」


 そう言って英人はよっと足を立て、しゃがむ態勢で杜与と視線の高さを合わせる。


「だから小さい内から、自分を籠の中の鳥だなんて決めつけないでくれ。

 もしかしたら君は、鳥なんかよりももっとすごい存在になれるのかもしれないのだから」


「鳥よりも、すごく……」


「今の君の置かれている立場、確かに苦しいとは思う。

 当主としての立場なり責任なりはしっかりあるのに、自分の裁量で出来ることが何一つないわけだしな。

 でも、」


 英人は右手で、杜与の肩を軽く叩く。


「もし腐らずにその苦しい時期を全う出来たなら、君はきっといい当主になれると思う。

 少なくとも俺が鹿屋野家の人間だったら、そういう人の下でこそ働きたい」


「八坂、様……」


「だから頑張れ、挫けるな。

 そしてどうしても辛いことだあったら、迷わずに周囲の大人を頼るんだ。それこそ三間さんとかな」


 そして英人は立ち上がり、小さく伸びをした。


「……さて、ぼちぼちいい時間だな。

 俺はもう帰るとするよ」


「勿論英人様にも、頼って宜しいのですよね?」


 杜与は小さく微笑み、悪戯っぽく首を傾げる。

 すると英人もニヤリと笑い、


「それは時と場合と、報酬による。

 何せ俺はフリーの『異能者』だからな」


「そういうことでしたら、ご心配に及びません。

 何せわらわは鹿屋野家の当主でございますから」


「……ふっ」


「ふふっ」


 二人は顔を見合わせ同時に噴き出す。


「ありがとうございます、英人様。

 今のでわらわもようやく覚悟が定まりました。

 この苦難、共に乗り越えましょう」


「ああ」


「どうか、御武運を」


「お互いに」


 そして英人は振り返り、縁側を歩いていく。



(さて、俺も覚悟を決めないとな……)


 そう思いつつふと見上げたその方角は、かおるたちの泊まるホテルのある方向だった。






 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇





 英人がホテルに戻ると、時刻は深夜の一時を回ろうとしていた。

 改めてスマホを見てみると、薫からの最後の通知は一時間前。

 恐らくはもう寝てしまったのかもしれない。


 英人はとりあえず戻った旨だけをメッセージで送って、廊下を歩く。

 そして立ち止まったのは自室の前、ではなく美鈴みすずとカトリーヌが泊まるツインルームだった。

 英人は脇にあった呼び鈴をそっと押した。


(二人が同室で助かった……。

 本当は全員別室の予定だったらしいけど、行楽シーズンの影響で俺と代表の部屋以外はツインしか取れなかったとか。

 快くシングルを譲ってくれた二人に感謝だな)


 そして待つこと数十秒、ゆっくりと扉が開く。


「ヒ、英人さん……?」


 出てきたのは、カトリーヌだった。

 恐らくは就寝中だったのだろうか、そのスラリとした肢体はローブに包まれていた。

 さらに後ろへと視線を移すと、神妙な顔でこちらを覗き込む美鈴の姿も見える。

 

「寝ている所、すまない。

 ちょっと部屋に入れてくれないか?」


「ハ、ハイ……でも何故?」


 当然の来訪に、戸惑うカトリーヌ。

 英人はその問いに小さく呼吸を整え、


「どうしても、二人に話しておきたいことがあるんだ」


 真剣な目つきで、二人の顔を見つめた。

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