輝きを求めて⑭『雨の日は十年に一度の恋人に会えるっていうけど……』

――今でも、はっきりと覚えている。

 それは六月始めの、雨の日だった。

 その日私は初めて、あの人と会ったのだ。

 傘もささずに、土砂降りの雨の中を歩くあの人と。



 私こと桜木 楓乃がこの横浜市立翠星高校へと転校したのは、二年生の四月の時。

 父親の仕事の関係で昔から転校は多かったが、今回は私自身からの要望によるもの。

 そしてその理由は、男女関係のしがらみから逃れるためだ。


 私はこの容姿のせいで、行く先々で好奇と嫉妬の的にされ続けてきた。せっかくできた友人も、そのもつれから何度も失った。

 いくら自分が恋愛に興味がないとアピールし続けてもだ。

 好む好まざると関わらず、私はそういったものに巻き込まれてしまう運命らしい。


 だから、次の学校では思い切って生まれ変わろうと思った。

 友人を作ることをやめ、遊ぶことをやめ、お洒落を止め、ただの地味な女子生徒として生きようした。


 だから気に入っていたショートボブの髪はだらしなく伸ばし、到底似合わぬような分厚い伊達眼鏡も掛けた。

 そしてクラスメートに対しても極力口など開かず、休み時間はひたすらに図書室の隅に籠もるようになったのだ。


 今にして思えば、これが私にとっての初めての演技だったのかもしれない。

 実際我ながら根暗女子として、上手く学校の片隅に溶け込めていたと思う。


 ただ、暗く。

 ただ、孤独に。


 当然、男子も女子も私をそういった対象として見ることはなくなった。


 これでいい。

 このままそっと、問題を起こさずに高校生活を終えよう。


 そう決めた矢先、私はあの人に出会ったのだ。


「……何あれ」


 帰宅途中に見かけたのは、土砂降りの雨の中、傘もささずに歩く一人の男子生徒。


 今日の予報は午後のにわか雨、道行く人々はもちろん傘をさしている。当然、私もだ。

 それに、確かあれは……図書室によく来ている上級生だ。名前こそ知らないが、顔は分かる。


 だが何故そんな人間が、ずぶ濡れのまま歩いているのか。私は少し気になったが、すぐに目を逸らす。

 おそらくあれは、天気予報も見ないし折り畳み傘も持っていない、ただのドジな人なのだろう。


 今にして思えば相合傘でもしてあげればよかったのかもしれない。

 だが当時の私はそれ以上の興味を持てずそのまま立ち去った。


 しかし次の日の朝、その偶然が私の運命を一変させる。



「あのアンタ……翠星高校の生徒さんかい?」


「え、ええそうですけど……」


 登校途中、突然一人のおばあちゃんが声を掛けてきたのだ。

 その手に、紺色をした男物の傘を持ちながら。


「ああ、よかった。制服がそうだからねぇ。

 それで一つお願いしたいのだけど、いいかい?」


「はい、何でしょう?」


「昨日ね、傘を貸してくれた子を探してるのよ。

 でも借りる時、肝心の顔がよく見えなかったから私困っちゃってね……。

 だから申し訳ないけど、代わりに学校でその人を探してくれないかしら?」


「は、はぁ……?」


 てっきり学校までの道案内か何かだと思っていたから、私は戸惑った。

 とは言えいくら私が翠星生でも、たった一人の生徒を手掛かりナシでは見つけられない。


「特徴は……そうねぇ。普通の黒髪に、やや高めの身長って所かねぇ。

 走り去ってった方向からして、多分この辺りを通ったと思うんだけど……」


「……あっ」


 だがおばあちゃんがそこまで言った時、私はハッとした。


 多分、傘を貸したのは昨日のあの人だ。

 確証はないけれど、直感がそう告げている。


「買い物に行ってたら、にわか雨に会っちゃってねぇ……。

 どうしたものかと慌ててたら、偶然近くその子がいてね。

 それで『自分は折り畳み傘あるから大丈夫だ』って言って貸してくれたのよ」


 嘘だ。

 あの人は折り畳み傘なんて持ってなかった。

 でも、何故そこまでして……。


「そうですか……分かりました。

 私、その人に心当たりがあるので代わりに返しておきます」


 でも多分それが気になったからこそ、当時の私はその役を買って出たのかもしれない。


「ああ、そりゃあ良かった。

 是非その人にお礼と……あと、これを渡しておいて」


 そう言っておばあちゃんは傘とビニール袋に入った沢山のお菓子をくれた。


「は……はい」


「申し訳ないけど、宜しくお願いね。

 いやぁでも、最近の若い人ってとても親切ねぇ。私みたいな年寄りにはありがたいわ」


 そう言ってニコニコと笑い、しきりに頭を上げながら去っていくおばあちゃん。


 本来ならそれは、あの人が受け取るべきはずだった笑顔と感謝だ。

 私はほのかな罪悪感を持ちつつ、傘をキュッと握りしめた。





「――ああ八坂なら、今日は休みだよ。

 風邪で病欠らしい」


「え……?」


 そして、3-Bの教室の前。

 図書委員経由でその人の名前を聞いたまでは良かったが、肝心の本人が休みらしい。

 思わず間抜けな声を上げてしまったが、彼が風邪をひいた理由など明らかだ。


「もし何か用があるなら、俺が代わりに伝えようか?」


「いえ、また日を改めます……」


「そうか……。

 もしまた何かあったら言ってくれ」


「ありがとうございます……」


 当てが外れた私は、5階の廊下をトボトボと歩く。

 だが同時に、何が何でも直接返しにいってやるという決意も強くなる。


 そして結局その人――八坂 英人に会えたのは、その次の日の放課後だった。



「あの……八坂、先輩ですよね?」


「ん? ああそうだけど」


 ようやく会えたその人は、図書室のテーブルに腰かけながらジロリとこちらを見上げる。

 まるで自分の読書を邪魔するのは誰だ、と言わんばかりの表情。

 少々ムッとしながらも、私は言葉を続ける。


「良かった……それで先日の雨の時、おばあちゃんにこの傘貸してましたよね!?」


「……ああ、確かに貸したな。

 というか、何でそれをお前が持ってるんだ」


「いや、偶然そのおばあちゃんとバッタリ会って……。

 それで代わりに返すように頼まれたんです。

 ですのでこれ、お返しします」


 そう言って、押し付けるようにして傘を渡す。


「ああ……」


 しかしそれでもなお、彼の反応は芳しくない。


「おばあちゃん、先輩にお礼言ってましたよ。

 それにこれもいただきました」


「これは?」


「お菓子です」


 彼はビニール袋を開き、中を確認する。

 だがすぐに興味を失ってしまったのか、お饅頭を一個だけ取って残りはそのまま返してきた。


「え、ちょ……」


「やる。

 あとは代わりに食ってくれ」


「は、はぁ!?」


 あまりの対応に、私は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


 せっかくもらったお礼の品だというのに、この扱い。

 会うまでに苦労したことも相まって、徐々に怒りが込み上げてきた。


「ちょっと先輩……!」


「俺からのお礼だ、ここまで届けてきてくれたことの」


「は、はあ?」


「それじゃ」


 そしてポカンとする私を横目に、彼は饅頭片手に図書室を後にした。

 残されたのは大量のお菓子を持った私だけ。



 ――そう。彼との最初の会話はこんな無茶苦茶なものだった。

 でもだからこそ、私の中にある「何か」に火が点いたのだ。


 そしてその日から、私の目は自然と彼の動向を追い始めるようになった。

 図書室にいる間はもちろん、通学時間にお昼休みも。

 学年が違うこともあって、その全てを見れたわけではなかったけれど、ひとつ分かったことがある。


 彼はただただ不器用すぎるのだ。


 電車で席を譲る際も、何も言わずにその席を立って次の駅で降りてしまう。

 もちろんそこは目的地ではなく、彼はわざわざ次の電車を待つのだ。


 公園で膝を擦りむいた子供を見た時なんか、ササっと応急処置だけしてそそくさと去ってしまった。


 人助けするのはいいけれど、もう少しスマートに出来ないものか。

 彼のそんな光景を目の当たりにする度、私は小さく溜息をついた。


 そんな様子を見かねた私は遂に、彼に再び声を掛けたのだ。

 因みにそれは六月中旬、先輩が泣きわめく迷子に困っている時だった。


「……お困りですか、先輩?」


「ん、お前は……」


「二年の桜木です。

 せっかくですしその子のお母さん探し、手伝いますよ」


「あ、ああ」


 結局あの時は親が見つかるまで何時間もかかってしまったが、今ではいい思い出だ。

 そしてそれがきっかけとなり、先輩と私は日常でも少しずつ会話をするようになった。


 放課後は決まって二人で図書室に繰り出し、読書と勉強三昧。

 今のように図書準備室も使うようになったのは、確か夏休み前あたりからだったと思う。


 私は本を、そして先輩は受験勉強をしながら時々他愛のない話をする。

 たったそれだけのことが、私にとっては本当に楽しかった。


 でもそんな時間は長くは続かず、別れは突然訪れた。


「先輩が、行方不明……?」


 それは先輩が卒業してから少しのこと。

 確かに卒業した時は少し寂しく感じたが、別に今生の別れというわけではない。

 先輩は浪人生だから上手くすれば同じ大学に入れるかもだし、そうでなくとも時々会える――そう信じて疑わなかった。


 だが現実は非常だった。

 先輩は完全に行方知れずとなり、家族ですら安否は定かではないという。


 私は学校を休み、ひたすら途方に暮れた。

 この高校でようやく知り合えた人と、もう二度と会えないのかもしれないなんて。

 すぐにでも会いたい気持ちはあったが、私に出来ることと言えば、精々が過去の思い出に浸るだけ。


 もう一度、あの頃に戻りたい。そんなことを考えながら先輩との会話を思い返す。

 だがふと浮かんだ言葉の一つが、私の運命をもう一度動かした。



『――お前、意外と演技とか向いてるんじゃないか?』



 それは確か、秋の夕暮れに先輩が不意に漏らした一言。

 本人にとっては他愛のない日常の言葉だったのかもしれないが、私にとっては天啓だった。


 そうだ、女優になろう。

 先輩が褒めてくれた演技を磨き、そしてドラマや映画に沢山出よう。


 そうすればいつか、この世界のどこかにいる先輩が私を見てくれる。

 これしかない、そう私は確信した。


 今思えば、無茶で向こう見ずな選択だったと思う。

 でもその勢いのまま受けた大手芸能プロダクションのオーディションにまさかの一発合格。

 どうやら、先輩の言ってた通り私には本当に演技の才能があったらしい。


 そして晴れてプロダクションに所属する新人女優となった私は、芸名を決めることになった。


「――というわけで今から芸名を決めるのだけど、何か希望はある?

 なかったらこちらからいくつか案を出して、その中から選ぶ形にもできるけど」


「そう、ですね……」


「あ、例えば『白河 真澄』なんてどう!?

 響きがすごく清らかで、清純派女優っぽくない!?」


 目の前でマネージャーが何か言っているが、私の耳には入ってこない。

 だが、いざ決めろと言われると中々思いつかないのもまた事実。


 どうしようか――そう思った時、


(六月……)


 頭にふと浮かんだのは、あの日の情景だった。

 土砂降りの雨を歩く、先輩の姿。

 そうだ。今の私の原点は、全てはあそこからだった。


 だから私はもう一度、そこから出発しよう。


 私は微笑み、顔を上げる。


「六月……いや、水無月」


「え?」


「『水無月 楓乃』で、お願いします」


 そしてその日より、女優『水無月 楓乃』が生まれたのだ。



 


 ――――――



 ――――



 ――





「……!」


 教室の片隅で、楓乃は意識を覚醒させる。


「ゆ、め……?」


 寝ぼけ眼で周囲を見渡すと、そこは昨日と同様の学園風景。

 分かっていたことではあったが、その事実が楓乃を少々落胆させる。


(まあ、普通に考えたらそうよね……現実はそう甘くはない、か

 そもそもここが現実かどうかは怪しいものだけれど)


 机に頬杖をつき、ひとつ溜息をつく。

 楓乃としてもここは落ち着いて一休みといきたい所ではあったが、周りの喧騒がそれを許さない。

 というよりそもそも、自身が今この場にいること自体が異常であった。


「……ちょっと待って。

 何で私、今ここに。それにこの感じ、まるで今日が……」


 頭に不安を過らせつつ、楓乃は自身の携帯電話を確認する。

 表示されていた日付は、10月29日。最後に校門をくぐった日から、8日が経過していた。


「嘘……!」


 まさかの事態に、楓乃の顔は一気に青ざめていく。

 そして頬を伝う冷汗そのままに、席を蹴って教室を飛び出した。


 まずは先輩に会わなければ――その一心で、生徒行き交う廊下を駆け抜ける。

 そして階段へとたどり着いた時、


「ああ桜木、お前もいたか!」


「せ、先輩っ!」


 ちょうど上の階から降りてきた英人と遭遇した。

 大切な人の安否を確認し、楓乃は思わず安堵の息を吐く。


 だがそんな彼女とは対照的に、英人は険しい表情を見せる。


「色々あるだろうが、とりあえず一つ確認させてくれ。

 今日は29日だが、校門くぐる前は何日だった!?」


「はい、10月21日です!

 正直、何が何だか……まさか先輩も?」


 楓乃は質問の意図を瞬時に察し、答える。

 おそらくは、英人にも同様の現象があったのだろう。


「そうか……それともう一つ」


 その答えに英人は一瞬安堵した表情を見せつつ、即座に次の質問へと入る。


「浅野、どこ行ったか分かるか?」


 その内容は、この事件における最大の容疑者の行方についてであった。

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