学校へ行こう!⑦『野獣の眼光』

「……あっ、もうこんな時間。

 すみません、つい話し込んでしまって」


 左手の腕時計をチラリと見、真梨香はハッとした表情を浮かべる。


 二人が喋り始めてから既に十分。

 校内の巡回や来場者対応のとこも考えると、これ以上はサボってられない。


「いえこちらこそ。

 都築さんの担任の方から貴重なお話が聞けて良かったです」


「私も色々聞けてとても為になりました。

 少し名残惜しいですが、続きは時間がある時にでも。

 それでは私はこれで。じゃあ都築さん、また後でね」


 真梨香はにっこりと笑いながら手を振り、廊下の奥へと消えていった。

 そしてその様子を見ながら、英人はゆっくりと口を開く。


「……いい先生じゃないか。

 熱心で、優しい感じだし」


「まあそんなんだけどさ……」


 だが美智子はそうぶっきらぼうに言い捨て、窓側の壁にそっと寄りかかる。

 やや頬を膨らましている所を見ると、どうやら機嫌を損ねたらしい。


 文化祭の喧騒の中、二人の間にはなんとも言えない空気が流れる。


(少し放置し過ぎたか……)


 なぜ、ここまで不機嫌になってしまったのか。

 さすがの英人でもその原因の見当くらいはつく。


 そもそも美智子の気性は猫そのもの。

 気まぐれでありながらも、それなりに構って欲しいのだ。


 だがそれをそれを指摘するのはまったくの逆効果。

 ならば進んで自分がその責任を取るしかなかろう。


 そう結論付けた英人は体の向きを変え、美智子の正面へと立った。


「……なにさ」


「すまん、待たせて悪かったな。

 せっかくの文化祭なわけだし、立ち話をしてる場合じゃなかった。

 お詫びと言っちゃなんだが、これから俺と一緒に校内を片っ端から回ろう。

 そんで『十月祭』を存分に満喫しようぜ。

 もちろん模擬店の食いもんとかは全部奢るからさ。どうよ?」


「本当?」


 美智子は眉をピクリと動かす。

 どうやら食いついたようだ。


「ああ。

 終了時刻まで全力で付き合ってやる。

 当然、つきっきりでだ」


 英人はあともう一押しとばかりに畳みかける。


 その言葉に美智子は僅かに悩む素振りをみせたが、


「よし、分かった!

 案内はするけど、私のこと全力で楽しませてよね。

 約束だよ?」


 最後には壁から背を離し、元気よく頷いて返した。


「ああ、もちろん」


「……ふふっ。

 よし! じゃあ早速行こう、先生!」


「おう」


 そうして英人を先導するように歩き出す美智子。

 その足取りは、いつになく上機嫌なものだった。





 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





 それからは二人は、全力で文化祭を満喫した。


 まずは、模擬店での腹ごしらえから。


「――あ! 焼きそば美味しそう! こっちのフランクフルトも!

 それにこのお好み焼きもいい感じ! 

 というわけで先生、これ全部お願い!」


「おいおい、いくらなんでも食い過ぎじゃないか?

 いやちゃんと奢るけどさ。

 そもそもさっきコスプレ喫茶でチーズケーキ食ったばっかじゃねぇか」


「だって私まだお昼ご飯食べてなかったし。もうお腹ペコペコなんだよー。

 それにホラ、甘いものは別腹って言うじゃん?」


「それって食後の話だろ……」


「まあまあ」




 そして模擬店のB級グルメに舌鼓を打った後は――


「へぇ、占い部なんてあんのか」


「女子校だしねー。

 結構歴史あるみたいだよ?」


 いよいよ本番、各団体の出し物への突撃である。

 その第一弾は、『占いの館』という看板が掲げられたこの教室。


「とりあえず先生、早く入ろ!」


「お、おう」




「占いの館にようこそ……私は『早女ソウジョの母』。

 汝ら運命を完璧に占って見せましょう……ぞ。

 よっほっほっほっほ」


 そして教室の奥へと入ると、紫のベールに身を包んだ女子が出迎えた。

 薄暗い室内と相まって、なんとも言えない雰囲気を醸し出している。


「これまた胡散臭そうなのが出て来たな。

 てかどういうキャラ付けだよ?」


「一応歴史はあるから……」


 英人の言葉に美智子はフォローを入れるが、その口調はやや自信なさげ。

 いくら身内と言えども、さすがにこれだと厳しいのだろう。


「それで、汝らは何を占いたいのだ?」


「うーん、どうしよ先生?」


「そうだな……それじゃあ来年の総合運でも」


「分かりました……いや分かり申した」


 そして『早応女子の母』は水晶の前で何やらブツブツ言い始めた。

 その様子はまさにコテコテの胡散臭げな占い師のイメージそのものであり、正直ちょっと盛り下がる。

 今の時代、もうちょいスマートに出来そうなものだ。


「「……」」


 とはいえまさか邪魔する訳にもいかないので、二人は半ば死んだ目でその姿を見つめ続けていた。

 そしてしばらくの後、『早女の母』は驚いた様に口を開く。


「……ほう!

 これはまた面白い結果が出たわ、じゃなくて出たのう!

 お二人さん、来年は波乱の年のようじゃぞ。

 しかも特に上半期が」


「ほう、具体的には?」


「全部じゃ。汝に関わるもの全てが目まぐるしく動く。

 仕事、学業、健康、人間関係、恋愛結婚全てよ……じゃなくてじゃ」


「それって私もなの?」


「うむ。

 汝の場合は特に恋愛関係かのう……うん、まあそのあたりは適当に頑張って。

 他の女子の恋愛とかどうでもいいし」


「いや恋愛の話題が出た途端に本音漏れすぎでしょ」


 美智子はツッコむが、『早女の母』はそんなの聞こえないとばかりに続ける。


「とまあ水晶での占いはこんなとこじゃ。

 お次は手相占いといくかの。

 ほら、そこな男性よ……て、手をだして下さい……ですじゃ」


「ん? ああ、ほら」


「うむ、では早速……ふむ」


 スリスリ。


「ふむふむふむ」


 スリスリスリスリ。


「ふむふむふむふむ!」


 スリスリスリスリスリッ!


「ちょっ、手ぇさすりすぎ!

 ホントにこれで占えんの!?」


 あまりの執着ぶりに、美智子は思わず机から身を乗り出した。

 いくた手相占いと言っても、『早女の母』の行動は常軌を逸していると言うほかない。


「なーに大丈夫大丈夫。

 それにしても……ハァハァ、一年ぶりのオトコの手……最っ高。

 これだから占いはやめられんでぇ……」


「ちょっとぉ!」


 ツッコむ美智子を余所に、なおも英人の両手に血走った目を向ける『早女の母』、もとい女子校生。

 悲しいかな、彼女もまた女子校という環境ゆえに狂ってしまった被害者であった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




 結局『占いの館』からは逃げるように抜け出した二人だが、引き続き文化祭を満喫していった。



 弓道部では――



「弓道体験会やってまーす!

 さぁさぁ、4本中2本以上的に当てたら賞品を上げますよ!」


「へぇ、先生やってみる?」


「ん? じゃあ一回」




「……よし」


「か、皆中……」


「先生、すごいじゃん!」


「和弓は初めてだったけど、なんとかなったな」


「もしや、ご経験とかが……?」


「いや、単なる見よう見まねですね」



 お化け屋敷では――



「ウォォォォォォッ! ノロッテヤルゥウウウ!」


「うわぁっ! び、ビックリした……先生は大丈夫?」


「ま、まあそれなりに」


「ウウウウウゥゥゥゥゥゥ……」


「ん? 何だろ私と先生を交互に見て」


「……男連れとか、マジで呪ってやる」


「マジトーン!?」




 漫画研究部では――



「新作漫画発表してまーす!

 是非お読みくださーい!」


「どれどれ……ってん?」


「全部のページが真っ黒で読めないよ……」


「ふっ、それこそ私が至った漫画の境地……つまりは漆黒の闇。

 この深淵の暗闇こそが読者の心を揺さぶるのだ!」


「いや、単に見せられないから塗りつぶしただけね。

 こいつ、溜まりに溜まったリビドーが爆発したせいか全てのコマにエロぶち込んできやがったから」


「せ、性欲とは神が与えし大罪……私も勝てなかった」


「えぇ……」




 そして体育館――




「イエーイ! 乗ってるかーい!」


「「「「「おぉー!」」」」」」


「いいねー盛り上がってるうぅ!

 よしじゃあこの日のために作った新曲聞いてくれい!

 『ヒロインは私だけ』!」


「「「「「おおおおっ!」」」」」



「す、すごい盛り上がりだな」


「学外でも活動してるバンドだからねー。

 確か動画サイトでは再生数が100万超えた曲もあったし」


「素直にすげぇ……」


「さ、先生も一緒に盛り上がろうよ!

 これが最後のイベントだし!」


「ん、そうだな。

 文化祭の締めにパーっといくか!」


「ふふっ……よーしじゃあ、いくぞーせんせー!」


「おおっ!」




 ――――――



 ――――



 ――

 

 そして夕方。


「いやー疲れたねー」


「だなぁ。

 自分で言っといてなんだが、本当に文化祭を満喫したわ」


 長かった『十月祭り』も終了時刻間近となり、校内も既に帰宅モードへと入っている。

 二人は喧騒の薄れつつある廊下を、ゆったりとした足取りで歩いている所だった。


「ふふっ」


「なんだいきなり」


「いや? ただ今日は楽しかったなーって」


 美智子は無邪気な笑顔を英人に見せる。


「そうか、ならよかった」


「先生はどうだった?」


「もちろん楽しかったさ。

 なんとなく、昔を思い出したよ」


 英人はしみじみと答える。


「えーなにそれ。

 今のちょっーとジジくさくない?」


「ほっとけ。

 それより次はどうする? もうぼちぼち帰るか?」


「んーそうだなぁ……あっ」


 すると美智子は何かを見つけたようにとある方向を指さす。


 その先にあったのは、なんの装飾も施されていない教室。

 つまりは普通の教室だが、文化祭期間中においてはむしろその様子の方が浮いて見えた。


「ん? 空き教室か?」


「うん。

 でね先生、一つ提案があるんだけど……ちょっと入ってみない!?」


 美智子は悪戯っぽい表情で英人の顔を覗き込む。


「なんだ唐突に」


「いいじゃんいいじゃん!

 だって先生、かつての高校生活を懐かしみたいんでしょ?

 だったらこういう普通の教室って絶好の機会じゃん!

 ほら、入ろう入ろう!」


「ちょっ……おいおい。

 ったく仕方ないな」


 そして美智子はパタパタっと駆けていき、教室の扉を開いてその中に入った。

 英人もやれやれといった表情でそれに続く。


 そして、


「――ほら、どうよ?

 これがいつも私たちが勉強している教室。

 懐かしい感じ、する?」


「……ああ、そうだな」


 英人はその光景に思わず目を細めた。


 目の前に広がるのは、西日で朱に染まる学び舎の風景。

 母校とは違うが、漂う雰囲気はあの頃と同じ。


 そうだ、確かにこんな感じだった。


 色あせた記憶が、色あせたまま掘り起こされてく。


「おお? 結構心に来ちゃった感じ?

 ということはやっぱり先生も……ほら、こうやって机に座って授業を受けてたってことだよね」


「当然だろ。俺をなんだと思ってるんだ」


 英人の言葉に美智子は机に座ったまま腕を組む。


「うーん……面白不思議人間?」


「なんだそりゃ」


「でも面白くって不思議な人ってのは事実でしょーよ」


「俺自身は普通の範疇だと思ってるけどなあ……よっと」


 そう答えながら、英人も美智子の隣の机に座る。

 そして二人は同じ高さの視点から、黒板をぼうっと眺めた。


「……もしさ」


いくらかの間を置き、美智子はおもむろに口を開く。


「ん?」


「もしもの話だよ?

 もし先生が私と同い年に生まれてさ、それでいて私と同じ学校に入ったとするじゃん? あ、もちろん共学校ね。

 んでさ、さらには同じクラスになってこうして隣同士の席に座ってたら、私たちの関係ってどうなってたんだろうね?」


「どうなってた、ね……」


 英人は僅かに横目を美智子に向ける。

 しかし美智子の視線は依然として黒板に釘付けのまま。

 こちらを伺う気配すらない。


「やっぱり今日みたいに、文化祭を一緒に回ったりしたのかな。

 あるいは、もっと……」


「……」


「ねぇ、先せ」


 そして美智子が何かを言おうとした瞬間、ピロンとスマホの通知音が鳴った。

 察するに、美智子のものかららしい。


「なんか連絡、来てるぞ」


「うん……あっ受付の子からだ。

 うわ、マジか」


 美智子は焦ったように返信を打つ。

 どうやら急な用事らしい。


「何かあったか」


「うん、コスプレ喫茶の方でね。

 ゴメン、私ちょっと行ってくる。

 あ、すぐ戻ってくるから先生はここで待っててね!」


「ああ」


「じゃあねー!」


 そうして美智子はいそいそと教室を出ていった。


「ふぅ……」


 残された英人はため息ひとつ。

 それは疲れの中に、少しばかり安堵の色が混じったもの。


 緩んだ体のまま、頭を左に向ける。

 そして切なさ滲む陽光を顔に浴び、僅かに響く喧騒に耳を傾けた。


「……俺も高校生の時、同じものを感じた気がするな。

 正確な日付は覚えてないが」


 完全な記憶こそないが、それを「懐かしい」と思う感情だけは分かる。

 ならば、今はその感情に身をゆだねてみるのもいいかもしれない。


「……少し、昔のことに思いを馳せるか」


 英人はゆっくりと目を瞑った。




 ――――――



 ――――



 ――





「――んせ。

 ――先生!」


「……うん?」


自身の体を揺さぶる振動に、英人は思わず目を覚ます。

どうやらいつの間にか眠ってしまったらしい。


(まあ、今日は校内全部歩き回ったんだし当然か)


そう思いながら、英人は自身の脳内を徐々に覚醒させていく。


今の声色からして、起こしたのは美智子だろう。

用事を終えて戻ってきたという所か。


「うん? じゃないよ。何寝てんのさ。

 ほら、起きたならさっさとこっち向いて!」


「はいはい分かった……」


右耳にキャンキャンとした声を受けながら、英人は面倒そうにその顔を美智子の方へと向ける。


「――よ、」


だがその全身が視界に入った瞬間、英人の目が僅かに見開いた。

何故なら彼女は今――例の『キャットガール』の衣装に身を包んでいたからだ。


「お前、その恰好」


「へへ、また着ちゃいました。

 だからね先生――」


たじろぐ英人を逃がすまいと、美智子はずいっと顔を詰める。

それはいつも二人よりもずっとずっと近い距離。


互いの息がぶつかり、瞳の形までくっきりと見える。

そしてその瞳は、


「今は私だけを見てよ、ね?」


飢えた獣のそれであった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る