神なるもの㉓『ドーモ、ナナシ=サン』
「『
今更だが、今まで自分がどれだけ狭い世界で生きてきたのかを痛感するな」
言いつつ、
現在時刻、午前十一時。
ヒュドラとの戦闘から既に十時間以上。とっくに日付は変わり、高く昇った太陽は村全体をギラギラと照らしていた。
ちなみに今二人がいるのは桓本家の敷地の中。門の外からは自衛隊や警察の車両が忙しなく行き交っているのが見える。
結論から言えば、あの後自衛隊は出動した。
といっても全てが終わった後ではあったのだが、それでもありがたい。これもヒムニスによる必死の働きかけの賜物だろう。また今回は『異能』が絡む事件ということもあり、義堂は警察庁の代表として伊勢崎村に派遣されてきた。彼の任務はこの村で起きた事件の事実関係の調査だ。
「ま、普通は知らなくてもいい世界だしな。
この世界は『異能』の存在だけでも十分過ぎる程、不思議にまみれていると思うし」
車両の行き交う光景を、英人は腕を組みながら見つめた。
一応『再現』で全身の修復は済んでいるものの、その顔には疲労の色がしっかりと出ている。それだけ今回の件は英人にとってもギリギリの戦いであった。
「とはいえ、全長2キロメートルの蛇とはな……本当に神話に出てくる怪物じゃないか。
そんなものが900年も前からこの国に眠っていたと考えると、本当にゾッとする」
「それに関しちゃ俺も甘く見てたよ。
フェルノやクロキアみたいな『魔族』がこの世界に来れても、さすがに大型の『魔獣』までは来れないと高を括ってた」
英人はぎゅっ、と組んだ腕を強く握った。
今まで異世界からこの世界に来た生物は、英人やヒムニス含め皆人型だった。なので英人も知らず知らずのうちに「大型の生物は世界を渡れない」という先入観を持ってしまったのである。実際その先入観による思い込みが英人を後手に回らせた一因にもなってしまった。
「そのヒュドラとやらがこの世界に来てしまった原因だが……心当たりはあるか、八坂?」
「まぁあるには、ある」
「!? どんなだ!?」
義堂ははっとした表情で英人の方へと振り向いた。
「そもそも異世界での伝承じゃヒュドラは死んだはずの怪物だ。それも俺らの先輩である『原初の英雄』に殺されてな。
んでその後『原初の英雄』は『魔王』を倒して帰ることにわけだが……今回はそれと関係しているんじゃないかと思う」
「つまり『原初の英雄』の帰還に巻き込まれた、と……?」
「多少衰えてもなおあの驚異的な生命力と再生能力だ、『原初の英雄』にやられた際もおそらくは完全には死ななかったんだろう。だがさすがに虫の息……意識も存在も希薄な状況だった筈だ。
そんな中で『原初の英雄』の帰還が発生し、世界同士の境界が薄まったことで偶然こっちの世界に転移してしまった……思う」
英人は口元に手を当てる。
「思う? 随分と歯切れが悪いな」
「仕方ないだろ、900年も前の事件だ。
当時を知るヒュドラも既に死んだし、そもそも奴自身が原理や原因を理解していたようには見えなかった。こればっかりは推測するしかないさ……それよりも、今後の話をしよう。
結局、俺たちはどうなりそうだ?」
英人は再び腕を組み義堂に尋ねた。
当面の危機こそは回避したものの、結果から見れば自衛隊まで出動した未曽有の大事件。
伊勢崎村の闇、ヒュドラの存在、残された毒、団平の罪……明るみになった問題を数えたらキリがない。正直英人ですらもうお手上げと言いたくなる。
「とにかく状況を整理してみないとどうにもならんが……さすがにお前や
むろん多少の取り調べはあるだろうが、それ以上はこの俺が許さん」
「ま、俺はともかく彼女は全力で守ってやってくれ。
完全な被害者である点には間違いないしな」
「ああ、分かってる。
それでその件にも関わることだが、
容疑は監禁、児童虐待、脅迫、殺人未遂、それと死体遺棄だ」
「……そうか。
んで懲役はどんくらいになりそうだ? 警視さんよ」
「それはむしろ俺が聞きたいくらいだ。なにせ殺人未遂と死体遺棄の被害者が横で元気に立ってるわけだからな。
確かに経験上ある程度の目算は立てられるが、あくまで普通の犯罪の時だけだ。俺にはすぐに判断がつかんよ。
……そもそも普通の犯罪という言葉自体、あまり好かんが」
そう言って義堂は英人と同様に腕を組んだ。
今後どうなるかはゆくゆく決定していくことだろうが、それでも今回の事件は規模が大きすぎた。
『異能』の存在。
『異世界』との繋がり。
『魔獣』の脅威。
そして、これらに巻き込まれた人々をどう扱っていくか。
今頃この国の上層部、義堂と同様に頭を抱えているに違いない。
おそらくは……『世界の調整力』ですらも。
「……悪いな、義堂。
いつものことだが今回はそれ以上に迷惑かけるわ」
「何を今更。
お前が体を張ってそれを俺がサポートする、いつもの事だろう?
そもそもこれまでの事件で散々お前から手柄を貰い続けてきたんだ、これくらい訳もないさ」
「そう言ってくれると助かる」
二人の間に、しばしの沈黙が流れた。
それは気まずいとか話題がないとかそういう意味ではない。ただ今の二人にとって言葉の必要な時間ではなかった。
「……この村は、今後どうなるんだ?」
しばらくして、英人が何のためらいもなく会話を再開し始める。
「一応、村民は全て隣街の公民館に避難することになっている。
今走っている自衛隊の車両はその輸送目的だな。数も多くないからすぐに終わるだろう」
「避難?」
「おそらく、上層部は今回の件を『原因不明の大規模災害』とう体にしたいんだと思う。
だから避難だけでもさせたということにしたいんだろう。一ヶ所に集めれば管理や取り調べもしやすいだろうしな」
「まあ確かにそのあたりがひとまずの対処としては妥当か。
元々の人口の少なさが功を奏したな」
「そして『神域』ついてだが、そのまま封鎖されることになるだろう。お前から聞いたようにヒュドラの毒がまだ残っているからな。
今の我々の科学技術ではどうにも出来ない以上、現状は
もしその毒がこの村から流出していたと思うと……本当にその人には感謝だな」
「……そうだな。
本当の意味でこの村を救ったのは、他でもない鈴音さんだよ」
英人は振り返り『神域』の方角を向く。
生い茂っていた木々のほぼすべてが消失し、今は禿げ山が残るのみ。だが地面の所々からは毒が噴き出しており、鈴音の術式がそれを瞬時に『変換』しているような状況だ。
ヒュドラは、900年の時をかけ地中深くに毒を貯蔵していた。おそらくは地上に出た際に一気にそれを吸い上げて地域一帯の汚染に使うつもりだったのだろう。英人の必死の妨害でそれは叶わなかったが。
とにかく今はヒュドラの死によってその制御が解けたゆっくりと地表に噴出している状態だ。そのペースを見るにこの地が完全に浄化されるにはかなりの年月がかかるだろう。
完全なる浄化――その時が来るまで、彼女はここで村を守り続けるのだ。
「……なあ八坂」
同じように『神域』を眺めながら、義堂はポツリと尋ねた。
「ん?」
「この村の人たちについて、お前はどう思った?」
「どうって?」
英人がそう返事をすると、義堂は顔を向けて続けた。
「お前はこの村の人間に、罪があると思うか?」
真剣な眼差しだった。
それはおそらく、罪に間近で携わる人間が持つ純粋な疑問だったのだろう。
何故なら、彼らは何もしていない。
『巫女参り』という狂気に対しても、そうだった。
若い女性たちが犠牲となっていくのをただ傍観してきた。
背景に桓本家の権力こそあったが、けれど果たしてそれは言い訳になるのだろうか――義堂は横に立つ男の考えが知りたくなったのだ。
「……分かんね」
答えは、しばしの沈黙の後だった。しかもそれは義堂の予想を大きく裏切ったもの。
少し呆気にとられた義堂に対し、英人は続ける。
「一言で言えば、長すぎんだよ」
「長すぎる?」
「900年という時間だ。これだけの時間が、加害者と被害者の境界を曖昧にしてしまった。
だから俺には分からない……こんな答えで少しがっかりさせちまったか、義堂?」
「いや、そういうわけではないが……少し驚いた。
お前はこういう時、何かしらの持論があると思っていたから」
「こんなもんさ。
そりゃちょっと前まで『英雄』なんてやって持て囃されてたけどさ、力も精神も思想もまだまだまるで足りない。
だからこんな時にも迷っちまう」
そんなことはない、と義堂は思わず言いそうになった。
しかし英人の表情を見た瞬間、それをやめた。
そうだ、彼は『英雄』だった。
だがそれ以上に、昔も今もただ一人の人間だったのだ。
迷って当たり前だ。
葛藤して当たり前だ。
もがいて当たり前だ。
普通の人間ならば。
しかし
(そうだ。
だからこそ俺は、そんなお前を助けたいんだ)
いつか、世界が彼に再び『英雄』を求めようとも――
義堂は視線を前に戻し、英人を同じ景色を眺める。
樹木一本ない風景だが、今の彼にとってはそれでも十分。このお人好しの親友と共にあろう、そう義堂は決意した。
「――こんな時、『原初の英雄』サマだったら満点の回答を出したりするのだろうかね?」
そんな義堂の横で、英人がため息交じりにぼそりと零した。
「そう言えばどんな人物だったんだ、『原初の英雄』というのは。
相当な力を持っていることは容易に想像できるが」
「まあ滅茶苦茶に強かったってのは間違いないな。なんせたった一人で『魔王』を倒したんだし。
けど同時に謎の多い人物でもあってな、そもそも本名が分かってない」
「名前が? 世界を救った人間なのに?」
「まあ正確には、呼び名みたいなもんは伝わってはいるんだけどな。
それも日本人なら一発で偽名と分かる呼び名が」
「ん? どういうことだ?」
義堂は首をかしげる。
「ああ、というのもだな――」
「『ナナシノゴンベエ』――そう名乗ってたらしいんだよ、その人は」
対する英人はフッと笑ってそう答えた。
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